うえのひと

上にひとが越してきた。

 

いや、実際に会ったという訳ではないが、わかる。上で床が軋む音、水が水道管を流れる後、蛇口をキュッと締める音、換気扇が回る音。

 

そういった様々な、雑多な音が私の中で徐々にかたちになっていき、少しずつ、その人の輪郭を形成していくような感覚に囚われるものである

 

そもそも、上でうごめくのは男なのか女なのか…もっとも、それが人なのか、私の知るよしもないが…仮に人間でなくても、さしも驚かないかもしれない

 

この限りなく近く、限りなく遠き存在に想いを馳せながら就寝すると、朝の鶯の鳴くのを聞いて目が覚める。そんな四月。

 

 

 

 

 

 

にゅうがくしき

先程、大学院の入学式に出席して来ました。正直なところ、私は学部生では無いので参加する意義というのはあまり、感じられ無いのですが家に居るのも退屈、ということも手伝ってか出てみることにしました

 

式場は仙台市の体育館??で華やかに行われました。会場の周辺は人と人と人。私自身、学部時代は理系の単科大学だったので、今まで感じる事がなかった、あのしつこい、ねっとりした熱狂に久々に触れるやいなや、早足で新歓地帯を駆け抜けて、ホールに入り席に着きました

 

式が始まると、ぐろーばる、やらなんやらの総長さんのお話がありましたが、話自体はスタイリッシュに纏まっていて、かつ爽やかな印象を残しつつ、静かに終わりました

 

その後、来賓の仙台市長の話が30分弱態度続いたのですが、周りが睡魔に突かれる最中、私は寝ずに最後まで、この小話に耳を傾けていました。

 

今思うと、わたしは、別に睡魔を我慢して一生懸命に、精力的に、この小皺が目立つ女市長の雑談を聞いていたのではない、ということ。寧ろ、自然に私の内に精製される好奇心の片鱗のようなものが、遠くの壇上にいる市長さんの言葉の一つ一つに目を光らせて、監視しているような気さえしたんです

 

私の18.19歳の学部一年生の時を思い起こすと、確実に睡魔に身を委ねて、両腕で頭を器用に支えながら、寝ていたことだろうと思うと、人間に対する興味が少し、前よりは増たのかなというようなことを思ったのでした

 

でも、人間に対する興味とも少し異なる、そんな印象も持ちました。なんだろうか、面白い事、楽しい事を見つけようとする無意識の執念というか、もしかしたら、そういうものかもしれない

仙台来ました

こんにちわ、山本です

 

仙台への引っ越しも、色んな人のお手伝いもあってか(正直私はほとんど何もしていない)、一応落ち着いたこともあって、一人で占有するには申し訳ないような空間、この新居にて文字を刻んでおります。

 

身の回りのすべてが、一新されました。この無駄な空間、冷蔵庫、カーテン、机、いす、自身の心境までもが・・・それらに埋もれた私は、必死に、雪崩で雪に埋もれた人間が空気を求めるように、「変わらないもの」を求めてるように感じます

 

わたしは、今日は特に用事がなかったため、家にじっとしていました。実家にいた時から家に一日中じっとしている日は、「お昼は近所のパン屋に行く」というのが休日の私の慣例だったので、ここでの生活を始めた今日も、その慣習を引きづってか、パン屋に行こうと思ったのです

 

私は、てきとうに近所にでる簡単な恰好にコートを羽織って、外に出ました。

 

が、

 

そもそも、パン屋はどこだろうか?

 

手元の携帯で調べると、2.5km先の商店街に一つパン屋があるらしかった。少し遠いが、街の散策も兼ねてすこし歩こうか、という運びになりました。くねくねした坂を下って、何やらいろいろと考えを巡らせていると、思いのほか早くそのパン屋についてしまいました。

 

煉瓦造り風のそのパン屋は、小奇麗なビルの一階に位置しており、漠然と、繊細で清潔なイメージを私に与えました。この日の天気の悪さも相まってか、そこにさらに冷たく、冷淡な感覚も付加されました

 

あの、人が作り出す活気や、すれ違えないほど狭く窮屈な空間、薄汚れた外観、雨風にさらされて風化しつつあるあの看板・・・それを、わたしは思いだしておりました。

 

結局、私は店に入ることもなく、その場を後にしました。私が、雪に埋もれて窒息してしまった方が楽であることを、それを悟った瞬間でもありました。

 

 

しゅっぱつ

私は家を出て、スーツケースを引きずっていた

 

スーツケースのキャスターが時折の急な凹凸に悲鳴を上げつつも、わたしの後ろをついて来た

 

少しして、そういえば朝飯を食ってないなと思い出したので地元の駅前のコンビニに入った。コーヒーの空のカップと、フィッシュバーガーを見知った店員から受け取ると、レジ脇の抽出機のところに移って、空のカップを置き、ボタンを押した。その間に、奥でatmを使っていた女が不機嫌そうな顔で大袈裟に、大股になってわたしのスーツケースを跨いで店を去った。

 

熱々のコーヒーを左手に、右手にスーツケースを引きながら自動ドアをくぐった私は、鈍より冴えない大気に身を委ねた…次ここに戻るのはいつだろうか、と

 

彼ら

私は帰宅ラッシュ帯の車内、そして1人の男を想像してみた。まずは1人。別に女でも、誰でも構わない。それはほとんど私にとっての全人類を、より普遍的なものを指すかもしれないから。彼はスーツ姿で、右手に過保護で頑丈そうなiPhoneを持ち、左手で革の、傷一つない鞄を持っている。何でも構わない。その鞄を持つ手は神経質な人のそれで。時々訪れる車内の揺れに備えてかやや股を肩幅くらい開いて、関節を柔らかく保ちながら、ドアの上部の電光掲示板に時折流れる駅名を、たまに見てはすぐに目を伏せた

 

彼が何を考えようが、私は一向に構わいやしない。上司のあれこれの催促に対する、程良く現実味を帯びた言い訳に頭を悩ませてるかもしれないし、地元の駅前で一杯やって帰ろうかという幸せな思いに浸ってる可能性もあるし、明日が終わればまた、一歩週末に近づいたと、自身を鼓舞しているのかもしれない。

 

兎に角、彼の考えがどうであれ、私は一刻も早くこの狭苦しい、彼の複数形である「彼ら」の充満するこの空間、そこから脱出することだけを考えた。私の目は行き場を完全に失い、両手をつり革に費やして、ぶら下がって寝たふりをする他なかった。

 

その「彼ら」に対して、憎むまでの感情はないにしろ、自分から出来るだけ遠くに、遠くの方に突き放そうとする傾向が明らかにみられた。少年のあの思春期のように。勿論、車内で赤の他人である者達と関係を気付く、そのこと自体が非現実的な格好をしていることは十分に承知はしていたが、私の一番危惧する結果に繋がるまで、実際のところ世間で言う、「関係を気付く」という大層な文句すら、もはや不要だったかもしれない

 

例えば、車内で私が少し手を滑らせてスマートフォンを落としたとして。それは「彼ら」の縄張りの中にじりじり堕ちていく。彼らの中の誰かが、素早くそれを拾って、にこりと笑顔を浮かべながら…私に優しく、それを渡してくれるだろう!!!それだけだった、それだけで私の家の敷居をヒョイと越えて、彼らはわたしの庭に入ってこれた

 

私は、彼らを手入れの施された綺麗な庭に通すと、洒落たブロンズの椅子に座らせて、熱いお茶を差し出した。精一杯の洒落と、出来る限りのおもてなしを、可能な限りのサービスを私は心掛けた。疲れ果てた、その顔は、おもてなしという白粉をして…

 

かいてき

何とも過ごしやすく、快適な一日であろうか。私はほんのり、いつもに増して気合いの篭った太陽には目もくれないで、歩を進めた…時折少しだけ大袈裟に、鼻から息を吸い込んだりしながら

 

私が今日を「快適なもの」と判断しのは、季節特有の花粉を、鼻の奥から感じないからという一点からだった。私は常に、木々達の繁殖活動の飛び火を食らいながらも、これまでの春先という期間を幾度と過ごした。だから私だけでない多くの人間が苦しむこの病、それが猛威を振るう春先という時期を嫌った

 

しかし、それにしても私は皮肉だなと思った。

 

春を待ち侘びる淡い期待を、あれを運んでくるのは誰だろう?それは、池沿いの張り裂けそうに膨らむ実をつけた、あの枝々であろうか、いや。

 

わたしは靴紐を結ぶ真似をして一瞬だけ立ち止まって、鼻をすすった。何故だろう?進むはずの季節がかえって逆流していくような気さえ感じられる。快速列車のように鼻孔を抜けていく空気達は、冷たい名残だけを置き去りにして、すぐに消えてしまう

 

わたしはどうやら、あの苦しみの獄中で春の一端を見出していたらしい。それでも今日という日は、たしかに快適だったけれども…

 

 

 

 

たちぐいそば

私は腹が減っていた。駅構内、その立ち食い蕎麦屋に、自然と足先が向いていた

 

 

まず、わたしは店の前の券売機で食券を買った。財布の中を一瞬だけ確認してから、かけ蕎麦を選んだ。物足りない気持ちを抑えながら…

 

 

店内に入り、カウンターで食券を渡すと、店主の「かけいっちょー」という威勢のいい掛け声とともに、私に対してくるりと背を向けて、手際良く蕎麦をほぐし、麺上げ網にそれを放り込んだ

 

 

店の中を見回しても、私以外の客はなかった。というのも、私が閉店の五分前に滑り込んだというのが、おそらくの理由であろうか。

 

 

しばらくすると、タイマーの音が鳴ったので、私はその温かい黒く澄んだ麺つゆの中央に沈む蕎麦を、迎い入れる準備をしていた。準備といっても御大層なものではなくて、カウンターに規則正しく並ぶ円筒の容れ物から割り箸をさっと取り、喉が乾いていたので、先程店主が出してくれた水を少しだけ、口に含ませた。

 

 

カウンターの向こう側から、指は短いが血色とつやがある両手が伸びてきた。その少し濡れた両手にはしっかりと、一杯のかけ蕎麦が握られていることだろう!

 

 

次の瞬間、私の前に開かれた世界、それは用意された台本のどのページにも載っていなかった。その世界の中央にはあるもの、それはうす暗い海ではなく、ユーラシア大陸のように堂々と圧倒的な存在感を誇り、横たわった

 

 

私が注文したのは、「かけ蕎麦」で「かき揚げ蕎麦」ではなかった。

 

 

店主の両腕が伸びてきて、「かき揚げ蕎麦」がわたしの前に収まった。そう、これはかき揚げ蕎麦。私はカウンターの向こうにいる店主をちらりと見たが、こちらに背を向けて、何やら片付けをしている様子だった

 

 

向こうのミスだろう、と私は思った。何故なら私は明らかに「かけ蕎麦」を券売機で買ったし、そもそも「かき揚げ蕎麦」は私の財布キャパを少し上回っているのだから。

 

 

しかし、向こうのミスというのが考え辛いだろうことも、私は同時に気付いていた。そもそも店内の客は私は1人、オーダーミスにしてもまず起こらなかろうに

 

 

あぁそうか…

 

 

店主への嫌疑、という思考から私が解放されるまで、少々の時間を要した。しかもそれは積極的に、店主の善意を探索した結果ではなくて、論理的な結果として漂着したものだったから…

 

 

私は店主の顔もろくに見ず、ご馳走様と一言呟いて、何ともいたたまれない気の持ちようで店を後にした

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ほうとう

それは、間もなく朝日が顔を出そうという頃合いだった。私は独り、細い四脚のコンロに薪をくべて火をつけ、震えながら両手をさすった。私の前方にそびえる雪山ー緩やかな裾野、そこから続く急峻な線が暗闇を切り裂き、天高く昇っていく。目の前にある薪から昇るの透明な熱気と、山頂付近の暗闇に色濃く残る白銀とが重なり合っている様子を、ぼんやりと私は眺めた。この熱が、この広大な大気に果敢にも挑み、あの白銀をも超えて昇っていくと思うと、火葬される人間の魂も、さぞ報われることであろうか

 

 

私は、この時もまだ、ある不安を抱えていた。しかし・・・この現在の私の気持ちは、明らかに、迷惑をかけた人間に対するものではなく、私の業を知ったであろう人間に対するものだった・・・私は眠れずに、まだそこに立っていた。

 

 

暫くすると、向こうの方の砂利を踏む音が近くなってくるのが分かった。その足取りは、少しずつこちらに向かっている。その音の方向は、私たちが寝泊まりする小さな山荘からだった。

 

 

私は、暗闇の中に、確かに一人の人間を認めることができた。それは、今の心境に直接的な火種を与えた人物であった。私はすぐに身体を前に直して、あの美しい稜線を備えた山をみた。しかし、薪火から放たれる透明な熱気が稜線をぼかし、不協和音のように感じられた。そこには、火葬された死者への思いなどは皆無で、それこそ天高々と消えて行ったことだろう

 

 

彼は、昨晩の皆で作ったほうとうの残りを、小さな土鍋に入れて運んできたようだった。何も言わずに、私の前の火のともるコンロに金網を置き、土鍋を置いた。我々はしばらく、静寂を極めた。そして、その静寂の中から、万事が認める自然さをもって、会話が切り出された

 

 

「明るくなってきたな、もうあさか」

 

「起きてたんですか、まだ」

 

「俺も、ご来光をちょうど拝もうと思ってな」彼はわざとらしく笑って、いった

 

 

暫くすると、土鍋のほうとうが煮える音がした。太陽は裾野からほんの少しだけ顔を覗かせて辺りを照らし始めていた。煮立ったほうとうが朝日の細い線に照らされたのを私はみた。その光景は、私の喉奥のあの酸味を・・数時間前の私の酒の席での失態を思い起こさせた。

 

 

私は、朝日に顔をしかめながら、一心にほうとうにかぶりついた。太いほうとうは、私の喉の奥の酸っぱさも綺麗に絡め捕り、あの強い不安も、不快感をも癒してくれるようだった

 

 

 

 

 

それから、何日か経った。私は卒業式後の懇談会を足早に、退出しようとした。もう多分未練はなかった。もう恐らく、二度と会うことのない、修士の先輩方にろくに挨拶もしなかった。しかし、同時に何かしらの打算的な淡い期待が・・・私の中にないとは言えなかった。

 

 

分厚い豪奢な扉を開け、私は広い廊下に出た。それからすぐにホテルの従業員に番号札を渡し、荷物を受け取った。私は颯爽と廊下を歩き、エスカレータの方へ向かった。

 

 

そのとき、私の前方、遠くの向こうのトイレの方から、ひとりが歩いてきた。その歩みは大胆で、繊細なホテルの絨毯と、見事な調和をみせた。私は、歩みを止めることなく進んだ。あの夜を脳裏にしっかりと、描きつつ。砂利道をゆっくりと、着実に進む、あの足音を、あの素晴らしき記憶の一端に触れながら

 

 

私を乗せたエスカレータは、私の意志にはまるで無関心に下っていく。後ろをゆっくりと、一瞬振り向いた私が見たものは、動く段に乗った、重たい空気達の行列だった。私は、彼らとともにロビーに降り立った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

おめざめ

洗濯機の電源ボタンが押された音、それをわたしは聴いた。あの遠くの生活音は、洗面所から廊下を伝ってわたしの部屋に届いたのだろう


それは、私自身に意識が戻りつつあることを、教えてくれた。ある深い水の中から、筋状の光が散乱する方向、その出所に向かって漠然と、無欲に、ゆっくりと浮上していく。


浮力に身を委ねて、昇りゆく過程で、わたしは確かに意識というものを、少しずつであるが獲得していったのを実感した。その意識を持ってして


リビングのドアに手を掛けたときの、ドアの隙間から溢れでる灯油の臭気と、早くも纏わりつくような温度が、わたしに覚醒を悟らせた

また一人と店内に入っていく。入り口の自動ドアが開くたびに、外の冷たい空気が私の足下をさらっていった


狭い店中には、くたびれたジャンパーを羽織り、背筋を丸くしながら浅く腰を掛け、ぶっきらぼうに新聞を広げるおっちゃん。整ったスーツに身を通し、左手で機械的に、或る一定のリズムでマフィンを口に運びつつ、手元の画から世界を覗きみる若者と…


私は、また例の外気を、その冷たさを、足のくるぶしのやや露出したところに見出すことができた。それから、わたしは思った


ああまた、客が一人入ってきたな


ドアの付近を見ると、確かに、この狭苦しい店内に客がひとり入ってきた。彼は私の隣の、二つ椅子の丸テーブルに荷物を置き、何かを注文しにいった


わたしは、店内を改めてゆっくりと見回した。くたびれたジャンパーのおっちゃんは、相変わらずスポーツ紙のある一面に目を通していた。


しばらくして、黒いプラスチックのお盆に珈琲とマフィンを乗せた若い彼が、私の隣に戻ってきて静かに腰を降ろした


彼はコートのポケットからスマートフォンを取り出すと、イヤホンを捻じ込み、耳に掛けた。それから、スマートフォンを器用に右手で操りながら、反対の手で確実にマフィンを口に運び、時々珈琲を啜った


ああまた、1日が始まるのかと


私はそう思った