みんなたーんと創造してる

こんばんは。

滝川クリステルさんと小泉進次郎氏の結婚について素直におめでとうございます!という感想を述べるので終わってしまって一向に構わないのですが、SNS等を見ているとこの件に対して、「これはできちゃった婚ではなく計画的に子供を儲けたなぜなら(以下長文)」云々、ほとんど妄想と仮設の世界から拝借した物品を丁寧に練り上げる試みをする人種、本当にこれが多数続出するのです。

彼らの中では「この新婚夫婦(アナウンサーと政治家)が清純なもので大体の決定事項において端正な理性が働くはずだ」とか「でき婚が世の中的に白い目で見られる風潮を変えたい」とか「だって氏が流石にゴムをつけ忘れるとかあり得なくない笑?」とか、そういった願い達を捨て去ることができない。

私たちも、勿論わたしも含めて日常的にこういうことをある程度無意識にであるが実行している。これをバイアスとか思い込みとか偏見とか捉えることもできるが、少々乱暴ながらも創造力とカッコよく言ってしまうこともできると思う。

創造力は自分の中に眠る願い、これが突き動かす力だと思います。

別のことを書こうと思っていたのですが、今日はこの辺りでお休みなさい

 

憧れと恐怖の狭間

私には憧れがずっとあります。今現在はよく分からない、過去形で表現するのが適切かもしれない。憧れが始まったのは、それはほんの幼くして五歳、そこからずっと想い描き続けたウルトラマン、みたいなファンタジーチックで壮大な憧憬では残念ながらないです。今ちょうど出ててきたウルトラマンついでに幼少期(幼稚園くらい??)の自分語りをしておくと、観てましたウルトラマン、本当に毎週釘付けでした。

ただ毎週観ていてある一つのことに自分は気づきました。当事は明確な意識はありませんでしたが、あの時私は常に怪獣サイドの人間でした。

もう少しハッキリと申し上げますと、怪獣と正義が激突する際に私は常に怪獣を応援していました。今になって当事の私の心境を鑑みるに、ただ不憫だったのだと思います。毎回彼を引き立てて挙句、怪しい獣とかいうぞんざいな字を充てがわれる。合コンでいじられキャラを引き受けて周囲は彼を弄って盛り上がるだけ盛り上がる。結局、毎回お持ち帰りできずに虚しく俯きながらホームで電車を待つ怪獣を見てられなかったのでしょう。もちろん怪獣さんがやられるのはそれ相当の理由があって、遊園地破壊したとか大阪城ぶっ壊したとか、でも当時の私はそんなことはクソどうでもいいと思ってました。

私はテレビの視聴を終えた後、勝手に不憫認定した怪獣をレゴブロックでなるべく忠実に再現するという健気な、そして愚行にも似た行為をするのが日課でした。リビングから子供部屋に移動している間も、レゴを手に取るまでの僅かながらの時間も、先ほど脳に焼き付けた不憫なケモノたち、彼を頭の中からこぼさないように、決してこぼさないようにと一生懸命でした。理科系に進んで鳥人間をやったりエンジニアとして働いてるのも、この時の頭の中で描いて手を動かして組み立てるという行為に少々ネガテイブな表現ですが、障壁があまり無いから、かもしれません。

ウルトラマンの話から少し幼少期の話に飛んでしまいましたが、憧れにバックしたいと思います。(以前までは日記を書く際ある程度の話はまとめてから書くスタンスだったのですが......)憧れは単刀直入に私の兄です。一発成功した人間や有名人ではなく割と身近な五つ離れた兄でした。こういうのを確かロールモデルと巷では呼ぶそうですね。

私にとって彼は私の行動指針のほぼ全てでした。それは単純に、シンプルに人生楽しそうだったからです。中学生くらいから好きな歴史書をパンイチで一日中読み漁り、オタク友達と毎晩スカイプで朝まで喋り、高校は週二くらいサボって家の目の前のブックオフに居座ったり、ともあれば学者になるために客観的に見てもそこまで優秀な方でもないのに博士課程に進学したり...何というか自分の感情にダイレクトに舵を切ることができる人間でした。

兄はどちらかというと破天荒な方だったので、一般大衆社会を重んじる母親からはいつも厳しく叱られ、罰せられました。私は小学校から中学くらいにかけて、毎日のように兄が叱られる光景を見て育ちました。反抗する兄がレプリカの日本刀みたいなものが障子を突き破る光景だったり激しく口論する様子を見ていたので、気づけば私の心の中に占める感情は母親に叱られたくないという云々で覆い尽くされるようになってきました。

先程、私にとっての行動指針のほぼ全ては兄だと申し挙げました。しかしながら、結果として私は兄のような素直でそれなりの芯のある人間にはなりませんでした。なぜなら、私の行動指針が兄の行動であるのは事実だが、私が実際にいつも取る行動は「兄と真逆の行動」だからである。兄と逆の行動をとることが絶対的な案牌であり、母の逆鱗から逃れる安全地帯だった。それは確実に、穏やかなひと時を送れる何よりも信憑性の高い行動指針だったのです。わたしは怒られたくないあまりに、ロールモデルと常に逆のポジションを取って生きてきてしまったということ。わたしは少年期に母親の心情を正確に事細かく把握する能力、これを得たのである。

 

 

ニート的思考が頭をかすめる

なんとなく半休を取って帰ってきてしまいました。帰ってくると鍵もあきっぱでエアコンもつきっぱなしで涼しくてもうこの部屋から次に出るとかよっぽどの事が起こるんでしょう。

 

明日朝会社にむかう

よっぽ度:★☆☆☆☆

理由:

・有給まだある

・特に、これといって死にそうにはない

 

おなかすいた

よっぽ度:★★★★☆

理由:生命活動に支障をきたす。かいにいかなきゃ

 

トイレ行きたい

よっぽ度:★★★★★

さすがにトイレくらいはいきますよ

 

水羊羮食べたい

よっぽ度:★★★☆☆

理由:透明のある夏を、感じてたい。こんびにいこ

 

つかれまひた。おしまい

 

part2

この間の続きです。

 

ちょっとウォーミングアップにおさらいでもしようかと思います。おさらい。皆んなすきですよね。話アラスカ辺りまで飛んで申し訳ないっすが今し方、自分で文字を打ってきづいのが

〇〇。みんなすきだよね。

という口語表現、型、そういば会話の中で結構取り入れてるなと思いました。文末には

(俺はお前らとは違ってんなもんすきじゃねぇーけどな)

みたいなものが隠されているものです。

これは殆ど余談の余談です。と言いたいところですが…………

おさらい、にちょっと寄り道して先に進もうとしたら、もうわたしもブツがはみ出てしまったようです。

先程の先輩の例題みたくあからさまではない。密かに、静かに、我々は毒を盛る。真夏の怪談のように背筋を柔らかいものがさっと這ってそれからゆっくりと全身を巡りしに至らせるものは……

それはわたしの描きたい隠蔽ではない。

 

 

 

 

隠part1

隠す

この言葉はいかなるものか?

少なくとも此奴を見てポップでカラフルな感覚、網膜を刺激して止まない色彩は起き上がってこないこないし、内に秘めたるや何かに引火するような紅い燃えたぎる諸々を呼び起こすこともない。

隠、そこにはできるだけ遠ざけたい後ろめたさがただそこにあるだけで

おうおう、誠に、おもしろくも何ともないクソみたいな説法が始まるわけですが....

突然ですが

 

私(これを書いてるわたし)は何かを必死に隠す人間がとてもすきだ

 

寮の大浴場、デカすぎるそれがしを隠すがデカすぎるが故にデカすぎるそれがしがこんにちはしている状況の同部署先輩。

隠すという行為は色んな理由を持つ。

何者かに勝利する為に、或いは今の生活を穏便に進めていく為に。負い目を感じてるが為に。

この先輩は勝利を得る為でなく、真性包茎という世の中的にシンプルな負い目をただ隠す、という行動によって遠ざけたのである。

ここで我々が考えねばならぬのが、何故この先輩はブツを隠したのか??ということである。別にこの答えは難しくない。それは、この先輩が

真性包茎民族は世の中的に負い目として扱われる対象であるという価値観を持っているから。(真性包茎代表として登壇いただいた同部署先輩に感謝の意を差し上げます。)

価値観。よく見かける言葉ではあるが…兎に角ね、隠すという行動と隠した対象を観測できれば、観測できさえすれば、その人の価値観を垣間見る事ができるわけです。

ただこの価値観とやらをこの先輩はどこから運んできて自分の懐にしまったのか??

先程わたしは

世の中的に

という言葉を無意識に使ったけれど、そういえばそれは彼の価値観の出所でなく、私の、私自身のそれの出所であった。あれれ。

なんか話が逸れてきてしまった

 

これから相手方のお母様に結婚のご挨拶に向かいます。どんな感じでいけばいいんだろう。

まったくわかりません。今のかんじ、浪人していたころ御茶ノ水で初インドカレー屋の暖簾をくぐったときも同じような感覚でしたね。カレー屋に暖簾なんて普通ありませんがそのカレー屋にも暖簾なぞ到底ありませんでした。よく分からないのでリクライニングのレバーを倒しました。倒しまーす。と一言。唱えただろうときには恐らく寝てますね。新幹線で。ね

ね。ってなんなんでしょう。むかし小学生かなにかんとき集会です、ある先生ありがたい説法の中で、ね、をその先生語尾に付けるんですよ。必ず。で皆んなゲラゲラ笑うんっすよ。そのねの回数を数えて。凄くよくある光景かは知りませんが、想像はできると思います。あれみて吐きそうになりました

話は流れますけれど、のれんって押したくなりますよ。相当に。ただ別に腕じゃなくていいかなと僕はたまに思ったりしますね。脛とかだと一見お洒落感ありますが、なんたら、あーだら、一見であって、いかんせんそこそこの量脚を上げなければなりませんし、暖簾のぴらぴらの先っちょだけが脛をかすめてもさしての快感も得られますい。と。

手で押すとなると、うわぁあとなりますよね。寝ます。

 

 

真面目に

この長く突き抜ける廊下には、重く、そしてたるんだ脂肪のように陰鬱な空気が足下に滞留している。廊下のほぼ中央付近に位置する共用トイレと洗面所の窓からは僅かながらの援軍、ひかりが射し込むために、辛うじて皆ここで、この4階で、生活を回すことができているのかもしれない

 

夕方、そこでのむ茜霧島は絶対的に美味い。これはかなり揺るぎのない。そういうこと。酒大して好きでもない私でも思うのだから。尚更かと

事実・洞察・行動提案・成長、これらの我の強い言葉が文字という形態を経て、やがて記号の羅列になり、さらにそれらが分解されて線になって最期にするするぬけるように解けて土に還っていく。この一連のプロセスがそこには確かにある。自分が大切にしている言葉は何であったか?朧げな意識と、鈍くボアんとした頭でオモウ。あー。と

別に悲観したり、特段、評論家を気取りたいということもないし、難しい事をこねくり回したいのでもない。

ある日の幼い私。わたしのクラスに転校生がやった。軽く皆の前で簡素な自己紹介を終えると、彼は私の隣の席に幸か不幸か、腰を下ろした。彼はそりゃ緊張しているし、慣れないこんな環境に来たのも親の理不尽な転勤のせいだし、周囲を呪っている。私には彼の家庭のことなぞ一も分からない。一も分からんから、分かったフリは良くないわけだ。でもパッパラパーな私は分からんことも分からん訳で....

そういう時の秘薬は、取り敢えず、事実を粛々と、ただ粛々と真面目に、一切の嫌味や悪意なしに、正直に受け入れる、この他にはないのである。

私には、こういう処方箋なしには、純粋さや真面目さを取り戻すことが出来ない。

とにかくあきっぽい人

今朝方、4日ほど留守にした仙台の自宅に戻った。

縮れた靴下らを洗濯機に放り込み、珈琲を淹れ炬燵に脚をくぐらして、沖縄旅の感慨にいざ、とぐーぐるドライブ上にアップされたアルバムに、なんとなく目を通しながら、片や朝のNHK情報番組に耳を傾ける。

 

ゲスト斎藤工が、豆乳狂信者として、その猛威を、列島全土の主婦達に向けて存分に振り下ろす。世の子育てから解放された主婦は、この豆乳の深みのある白はきっと、流るるように自堕落な日々を送る自分を根本から漂白してくれる救世主になり得る、と錯覚するや最寄りのスーパーに駆け出すのかもしれない。

ワタシの脳内に電流が駆け巡り、勢い良く玄関を飛び出すも、時はすで遅し。このスーパーには、あー豆乳がみあたらんわ。そっか、わたし以外にもそりゃね、全国区番組でしかも斎藤工だし、ね、ワタシは大してタイプでもないけれど。高々1軒目のスーパーで諦めたら、またわたしは韓流で日中を溶かしきるわたし戻るだけだ、と電動自転車に跨ると、左足でコンクリートを思い切り蹴り上げて隣の交差点のスーパーを目指す。駐輪場に到着すると、入り口付近から白い羽を携えた蟻のような、まさに群、壮観な群がドバドバと、途切れることなく流れでてくる。彼女らの両手には真っ白なビニール袋が握られているが、中身の程はここからは皆目、分からない。確認できるだけでは恐らく長ネギの青の部分が若干飛び出ている程度で、それは氷山の一角であるか否か、一角であったとして、あったとして恐らく残りの袋の中身は。そうすると、このスーパーも捨てかもしれません。いや、そもそもね、ワタシはさっきから頭の中を狂ったように豆乳豆乳豆乳とぐるぐる循環しているけど、豆乳と一口に言ってもどの商品を買えばよいのか?何も考えずに家を出てきたしかなり見ずだったと反省せなあかんかもしれません。と我に返り、身体は自然と家に向いた。

 

私は沖縄旅行の写真をみることに集中しようと、テレビを消した。突き動かされたような格好で何かを始めて、一瞬にして冷めきってしまうことを私はこれまで幾度となく繰り返したように思う。それそのものに飽きてしまうというより、現状に飽きてしまうのである。雍歯がぽろりと抜け落ちるのは下から永久歯が立ち登ってくるからで、雍歯自体の脆さはあまり関与しない。

もう何度もこの生え変わりを繰り返していると、自分の意思というものへの愛着、それが徐々に希薄になっていくのが悲しくもわかってしまう。

 

いんたーほん

家のインターホンの子機を、ここに引っ越して早二年経過する今になって、まさに今日、初めて使う事ができた。進歩というのは、弱小であれど、人によっては進歩となり得る。

普段の私、私はインターホンの音を聞くなり、一瞬痙攣したようにわざと体をバタつかせてから部屋の虚空の方を。何故か浮足だった埃、あの微細な繊維群を眺め、そうすると僅かな落ち着きが生じるように感じた。そのときならば埃、チリ、難なく、いちにーさんしーご!と纏めて面倒をみてやんよと、養って存じ上げますよという妙な熱狂的な覚悟に支配されるような感覚、一種の麻酔作用に似た錯覚、それら諸々に囚われながら、私の身体は結局、今度は硬直してしまう。

てな訳で、私はつらつらと言い訳がましいことを述べたのだが、要は、インターホンというものが無理なのである。てへ。仮に、近所の還暦過ぎのマダムが採れたてのじゃがいもとか根菜類、白菜、仙台名産雪菜、それらをそりゃそりゃ大層ご加護のある古の大樹に両手を回すように抱えてやってきて、それも若者の健やかなる生活を、生活の屋台骨をキチンと見直しなさいねという暖か過ぎてよもや熱湯に近い御言葉を、きっと会えばその裏側に感じることができても、かの慈愛溢れるマダムがインターホンを押した暁には、当の本人は何かに怯えに脅え口をぱくぱくさせて虚空を眺めながら嵐が過ぎ去るのを、ひたすらに、ひたすらに待つのみになってしまう。これはどうも自身の法に触れるため、何とかしなければならん。

私はどうも、この事後的な麻酔作用のおかげ様で、インターホンの子機がある廊下に、ワンルームの炬燵の中からたどり着けずにいた。これが私の前に端然と置かれた、それは明らかなる課題だった。なお距離は永久である。感覚が麻痺しながらも、野菜両手に山盛り熱湯熟熟お姉さんのためにも、あの希望峰にどうしてもたどり着かねばならなかった。勿論、音が鳴るとモニターに鮮明に何かが映し出されることは紀元前から承知していた。承知していたからこそ、とにかく、この麻酔作用に襲われても、理性を保つといか、平常心を保つというのでもなく、あらかじめ、この身体に、炬燵から直ちに脱出しドアを開け廊下に出よ!という旨の制御文を、フレンチトーストの仕込みのように前もって、十分量、染み込ませておく必要があった。

今日、祝日の月曜がこの仕込みを映えある料理に昇華させる、まさにその日となった。インターホンが鳴り響いたのは、勿論突然だった。鳴った途端、仕込みが行き届き過ぎていたな、と後悔するほどに。私の身体は、何の不自由もなく動き、モニターの通話ボタンを押した。

モニターが描いたのは、両手に抱え込むお野菜の隙間からひょいと顔を出すマダムではなく、黒いダウンジャケットを羽織った二人の男だった。この絵を見たときは妙な違和感に襲われる羽目になったが、違和感の輸入先は何処だろうかと、しかし即座にそれは氷解した。何というか、徐々に浮き上がってきたのは昭和天皇マッカーサーとの対談時のあの写真だった。二人の背丈差とか風貌は面白いくらい調和せず、しかしかえってすぐに馴染んだ。彼らのうちのマッカーサーの方は慣れた口調で、我々はイエスキリスト教会の者だと至極淡々と述べた。

それから、確か、正確なところは忘れたが、あなたの日々の忙しい生活の中で、支えになっているものは何か?というような類の質問がなされた。私はモニター越しでその質問に対し、なぜか、ここは冷静に返答をするべきだと思ったし、気付いたらわたしの口は勝手に動いていて、意識が後から慌ただしく追っかけてる形となった。

わたしの生活の支えは、ただマダムの降臨を望む心に結局は帰すのみであると。マダムはただ我々に施しを与えるのみならず、さり気無く、目立たないようにそっと、その本意をその裏側に隠すんですよ。わたしはマダムを誠心誠意お迎えする為に、今日まで自分の感覚に抗うべく、努力してきましたと。

そろそろか、とモニターに注意を向けると、玄関裏の工事中のアパートから杭を打つあのくぐもった音があるのみ、となった。