悲劇のトマト事件

これは喜劇ではない、悲劇である


何もかもsmoothに事が進む、勿論挫折くらいはある。ただ、それが津波のように畳み掛けるように自身に押し寄せた経験は私には見覚えがなかった


必ず、悪事のすぐ裏には何かが、都合の良い、何かが必ず潜んでいる


そういう風に、人生は、そういうものだと思ってきた


社会、人、家族、全ての集合体…生命は何時も忙しなく外界から受け取ったものを排出しそれを維持し、運営している


だから、その考えそのものが間違っていたのかもしれない。常に生命体は順風満帆ではなく、不安定でグラグラで今にも崩壊しそうな、そんな状況でも問題なく、営業存続できるのかもしれない


瑞々しいトマト、潤い、艶やかな、このトマト


ただ、私は一向に羨ましいとは思わない


そういう無神経な考えが、その発想の源泉が、私を幸せたらしめる何よりの証拠であろうか