新小岩アタック

「天使…悪魔とか、……………………


私はつり革を掴んだ逆の手で、イヤホンを付けたまま、急いでその音量を下げた。それはほとんど反射的だった。その男の声を私は聞きたい、そう思ったのだろう。


それは、特段傾聴すべきものではないかもしれない。日常的に、日常的な空間で行われる、ほんの些細な、日常会話なのかもしれないのだから


ボリュームダウンと平行して、徐々に、前に座る二人の男女によって為される会話の一端、それがラジオの周波数をピタリと合わせたかの如く再生された


「だって森本君、新小岩アタックって…。絶対バカにしてるよね


その瞬間、狐につままれた気分になった


悪魔?天使?確かにこの辺りの会話を完全に拾えていなかったが、その後の


新小岩アタック?


その言葉を残して、それ以降二人は会話をほとんど交わさないまま、結局秋葉原で下車した


二人がそそくさと立ち上がり、ホームに降りるのを私は横目で見送りながら、目の前のその空席に座った


その席はまだ、あの慇懃そうで、眼鏡スーツの森本という男と女子大生を想わせるあの女との、歪で不恰好な会話が、あの言葉が、新雪の上の足跡のようにくっきりと、その辺りに漂い、消えずにあった


私は少しのあいだ、それについて考えてみることにした


しかし何一つとして、わからなかった。そして終いにはどうでもよくなって寝た。乗り換えの西船橋までは、まだそれなりの時間はあった


それから、完全に、唐突に私は目覚めた。夢想の世界にいた私の脳は、水を得た魚のように覚醒し、足先に冷たく乾いた空気が届くのを感じとった


私の長席の向かいの扉は、開け広げられ、外界との調和を無理して保っているようだった。その奥には、柱に括り付けられた、縦書きの、あの例の文字列を捉えることができた


そのとき私は、それが当然の、ごく当たり前の事象であるように思えた


新小岩アタック…


私はたしか、そうつぶやいた