きれない爪切り

家に着くや、朝付けっ放しで出ていった玄関の換気扇を止めて、ほんの目と鼻の先にあるワンルームの部屋に、光を灯した。ふわりと光が私の眼に入りこむと、そこに部屋が現れた。てきとうにコートをハンガーに掛けて、流れるように電気ケトルのスイッチを足の指で押してから、すぐにテレビのリモコンを手に取った

 

電源ボタンを押そうとすると、親指の爪が長いのが急に、妙に気になった。自分の手を目の間近まで持ってくると、明らかに、右手の親指の爪だけが、不自然な異彩を放ちつつ私を見つめているのがみてとれた

 

私は、爪切りを引き出しから出して、ティシュを何枚か無造作にとって座り、膝の上にふわりと乗せた。それから、爪切りの刃を指の肉と爪の間とに滑り込ませて、力を加えた。

 

そのまま両刃を押し込むと、厚みのあるその爪は少しばかりかその身をたわませながら、上手くやり過ごそうとしているような、そんな感じにさえみえた。それでも私は自分の、たかが爪などに対して一切の慈悲など当然ないから、ただただ力を込めた。冷たく銀色に光る刃が徐々に、ゆっくりと爪に食い込むのが分かった

 

ちょうどそのとき、テレビの奥の芸人か何かが春の俳句を一つ詠んだ

 

うららかな  からっぽの 校庭のねこ

 

その俳句自体は正直なところ、私自身に何の感動も与えなかったが、うららかなという一つの言葉だけが、私の心を撫でるように、やさしく吹き付け、心地の良い余韻を少しばかり残したのだった。