かみのしてん

最近というのも、もはや、脳天、つむじが見える。自分のつむじというものはこうも、上陸したての台風のようだったとは。兎に角、わたしはわたしのつむじがみえるわけで。

この現象に苛まれ始めたのはいつだったか?もう、正直言って私にはほとんど記憶にない。というのも徐々に後退?して拡がっていくのであるから。生え際ではなく、視界がね。わたしが認識する世界がふわふわと宙に浮いているんよ。少なくとも高校、大学の初年度くらいまではつまらん新書を読んだりスマホをいじったりしても、ゆるやかな鼻筋、それを視覚という情報の中に明らかに捉えることができた。それは確かだと思う。それから二、三年経って気づいたら、もう、つむじであるんだから、そこまで到達しているわけで。それはそれは困ったもので?こうやって今もふかふかのベッドに仰向けになっていると、わたしの不甲斐ない顔面と対面せなきゃならない。

もう随分と、慣れてたものだが、こうも自分の一挙手一投足をまざまざと見せつけられると、ね。行動が色々と、制限されてくるもの。

ーそれはあなたもお分かりでしょうに?ねこちゃん。

わたしは、横でせいぜい半分くらい目は覚ましているだろう小動物に同意を求めた。

ーそうですね…

愛猫の御登場。むくりと起き上がって、ベットの麓からぴょんと登ってきた。名はねこ。そのねこさんからは気の抜けた炭酸のような御返事、それが微妙な間を開けて戻ってきた。いつもどおり。

ーおはよう、ねこ

ねこはキョロキョロと辺りをそのあおいだか茶だかわからぬ透き通った眼で、わたしを捉えた。

ーどうです?つむじのご機嫌は?

ねこは毎朝のようにわたしに尋ねる。今日も綺麗に、黒々逆巻くつむじは健在であって、その端整さなことといったら、日を増すごとに一級品そのもののようにさえ、思えた。

ー今日も残念ながら、ね。綺麗にくっきりとしてるよ

ーそうですか…ところでこんな時間ですがお仕事はお休みですか?

ーそれなら、ね昨日辞表を投げてきた。近い将来あの上司のつむじになると思うとね

ねこは口角をほんの少しだけ上げてわらった。

ー珈琲でもいかがです?

ーどうも、あーお湯だけ頼むわ

ねこはテーブルに飛び乗って、2Lミネラルウォーターのペットボトルのキャップを器用に回すと、少し底を持ち上げて、徐々に傾けながら横のケトルに注いでいる。

寝癖頭のわたしはこの先をぼんやりと、思った。このまま視界が後退する、つむじは段々と遠ざかる、いつぞや大気圏すらもゆうに突破して、優雅にゆらゆらと星間を飛行しながら、久遠、宇宙の真理まで到達できるかと想像する、嘔吐、吐き気。それこそ神さまじゃないかと。わたしは神さまの代行か、なにかなのか?いやいや、上司のつむじに恐れ慄いて会社を辞めてきた天性の狭量を持つこのわたし、が神様代行業務とか任されるのか、ねと。

そんなこんなで、ぶぉーーと電気ケトルが吠えた。わたしはベットから起きた。ねこには熱湯の処理は危険であるという暗黙の内である。ここからはわたしの出る幕で、インスタントの珈琲粉を二つのカップの底にさっとばら撒いて、それからお湯をちょろちょろ注ぐといった具合だ。完璧。ねこのカップには一掴みの氷を入れて、テーブルに置いた。カチカチと氷に亀裂が入った音がして、珈琲の香りが八畳間の部屋を占有し始めてから間もなく、ねこはテーブルにやってきて、美味しそうに珈琲をお召し上がりになっておった。わたしはというと、そう、ヤケににこにこと、しておられる。この病になってから上映される自身の湿気た面、これが堪らなく嫌で、毎度、我が家の愛猫に一種の憧憬に似たものすら抱いた。そうかそうか。わたしはこれまで幼少から物を口に運んだり、液体を体内に取り込んだり、といった基本的な行為を幾らも積み重ねて来た訳だが、こうも、ぶっきら棒にしていたとは。いかんせん、申し訳ないと思う次第で、わたしは無理矢理にでも笑みを作ることを強要した。遂にはこうして反射的に、それが起こるようになるまでになった。その努力もあってか、最近はねこが妙にわたしに懐いているように感ずる、恐らく気のせいではないやろうと。

昼の手前、八畳間に明るみが射し込む中、我々はテーブルを挟んで随分とくつろいでいる。

ーそういや、猫ってつむじないんか?

ーそうですね、考えたことすらないです

ねこは、頭とか耳とか背中とか腰とかありとあらゆる大陸全土を探り始めた。夏祭りで鰻ならぬ猫の掴み取りなんかがあれば、ぐにゃぐにゃと長い胴、四肢を曲げて、こんな風に抵抗するのだろうとな、と。

ねこは突如、ピタリとその阿保踊りをやめて慌てて、冷たいのかぬるいのかの珈琲を啜った。それから、ねこは話しはじめた

ーこれから、松戸に行って参ります

ーいつもの人間信仰会のあれか

ーはい、仰るそれです

ーもう一人でお湯は沸かせるもんな

ーありがとうございます…

ねこは少しばかり顔を赤らめた。わたしは続けた

ーいや、湯が沸かせれば実際、殆ど人間と言ってもいいかもしれよ。だってさ、珈琲も飲めるし、即席の類は作れるしな

ーそうですね…でもつむじが、少々、欲しくなりました。

ぼそりと小さくねこが呟くと、彼は玄関からそそくさと出て行った。わたしを目指すねこ。ははは。取り残されたわたしは伸びをしながらカーペットの上で横になった。わたしはわたしが寝っ転がっている様子をまざまざと、みさせられる。つくえ、その上の珈琲カップ二つ、貫禄のある七味唐辛子、わたし、空のティッシュ箱、コードの絡まった掃除機。タウンワーク

ねこになりたい。わたしはにゃーとおもいきし叫んで、自分の頭を触ってにつむじがあることを確認すると、大分悔いて、泣いた。