うなじと直線

流石に蝉は食えんだろうと、思いつつも、でも蝉を口にぽいと放り込んでジャギジャギシャリシャリ両顎を上下に、リズミカルに、小気味よく動かすと、特に蛙の唐揚げのような意外性、旨さもなく、節がある角ばってトゲトゲして尖った脚、硬い甲殻とか鱗のように剥がれて細いくなった羽が上顎にひっついたりして、もう私は、お嫁にはいけないかもしれない。

彼女は蝉の音が降りしきるねっとりした或る夜、Monsterを片手に、研究棟辺りをぽっぽらーほっつき歩きながら夜食、いや、野食にありついた。口の中の不快感、この不愉快な夏の風物詩を一気に胃に送り込むべく、右手に持った細長の缶を口元に持っていき、勢いよくそれを傾けた。もう、空、か。そう思ってから、その辺に缶を放って、カランコロンカランコロンとコンクリートにぶつかって甲高い悲鳴をあげる様子をぼけっと、眺めていた。

身体と脳味噌、精神、心とか、この結び付きがこの液体を摂取すると、緩くなるのを感じる。頭で考えた事、そして思慮の末、それに従って身体は動作するが、その感覚が今はほとんど無いといっていいと彼女は明らかに、感じていた。現に、蝉なんて食いたかなかった訳で 、土中7年、その鬱憤たるやを晴らすべくお腹を震わせながら羽をバタつかせてる油蝉を口の中で咀嚼して、気付いたら味覚が訪れ、間も無く嘔吐した。ぐうぇっと。

身体はは見ての通りぴんぴんしているし、でも思考はぼんやり霞んでて、盆踊り、なんたら音頭が頭の中を駆け巡ったかと思うと、今度は伸び縮みしながら、反芻して、忙しない。一瞬とて気を抜くと、口の中でのあの不愉快な感覚が蘇ってたまらん。と思いながらも、彼女は蝉の味、食感など所詮はこんなもんか、この程度ですか、と、思わなぬ訳でもなかった。

彼女の聴覚は或る音を捉えた。どちらの方角からか知った事じゃないが、バンバンパンパンと耳がつん裂くような爆裂音があたり一面に響いている。なるほど、ね、浴衣、うなじに団扇。研究棟を一歩でも外に出れば花火の見物客に揉まに揉まれて、通勤快速さながらの行列にぶつかる訳で、仕方なく、棟前の非常階段近くに設けられたほとんど腐って馬鹿になった木製ベンチに腰掛けて、ぼんやりと門の外の行列に目を向けた。ほんのりと、彼女に得体の知れぬ生ぬるい、湿り気のある優越感が、背中を這うのを感じた。あの、浴衣うなじは、あっちの浴衣うなじも、向こうのも、ね、蝉の味は知らんだろう、と。あのうなじが蝉を鷲掴みにして、口に放りこむことは到底、考えられんことで、なぜならそれは、蝉の味、味覚にたいする定規をあのうなじ達はなんら持たん訳で、なんなら何も知らずに蝉そのものを不味いものと考える訳である。そりゃ、仕方ない訳で、うなじがうなじたらしめるのは、花火を観たいが為に、あの夏の夜空に映し出される極彩色の煌きを眺めたいがために、あの行列に身を投じてる、至極真っ当、でごわす。浴衣うなじ達は特に意識することなく、欲求に駆られて行列に投じ花火をみる訳で、特に意識することなく、欲求というあの駆動力によって蝉を喰らうというのは、無理な話である。浴衣うなじは、思考と行動とがタコ糸のように真っ直ぐで、直線的に連動する。わたくしは、目の前にただ、蝉があって、なんとなく、蝉を食ったのである。わたしも蝉は勿論、触れただけでも、気色悪いと感ずるのに。ね。