日曜日のあちらやこちら

いつになく現実からただ逃れたいという気になっている。今のわたしは恐らく、藁にもすがる何たらで、ひびわれたこの賢くスマートで優秀なフォンに文字を書きつけている、血筋が浮き上がり渇ききった亡者であろう。

現実とは何であらうか。この目にみえる毛布とかまくらカバーとかお湯を沸かしてコーヒーを飲むとか、文字を書き付けるだとか、そういう類のことは現実なものだろうか。いや、でもわたしは今ね、何ものから逃れたくてそれらにすがっているのだから、枕カバーもこの毛羽立だちまって全盛期のみる影もない毛布も、彼方側の世界の住人であって。ただわたしにとってコタツは侮れぬ存在である。コタツに脚を突っ込むや、あの忌まわしき研究室のPC排熱の手、あの感触がしたかと思うと、一気に引きづり込まれるのである。奴は侮れぬ、困った。