反省なし

今朝、教授から大学院の卒業単位が足りていない旨の連絡を受けた。結論から言うと私は救われたのか何だかよく分からんが、救われてしまったようである。

二年前の卒論シーズンのときも、これと全く殆ど変わらないことを経験した。それを私は何となく思い出した。怠惰とか不誠実とか、自業自得だとかそういうものは、痛い経験に逢ったり、それこそ、単なるそのトラウマに似たものを皮切りに次第に綻び薄れていき、やがて消えゆくものだと、その当時の私は考えた、と思う。

確かに、今でもそれはほとんど正しいと私は思う。怠惰や欲望はある程度、意識的に、合理的な物事の運びを考えれば、その通りになるのである。ただ、今回の件で分かったのは、多分これから先も、私はこうやって私自身の首を絞めながら、生きてゆくのだろうと、そう思うし、きっとそうなのだろうと、予感がする。

恐らく、私をそうたらしめるものは、欲望とかそういう大きなうねりの中ではなく、それはそれはささやかながらも絡みつき離れない、さぞ厄介な古の原理、があるのだと思うし、それはもうどいてもらうのは、諦めるしかあるまい。