イートイン爺

わたしは中々、独りというものに飢えている。このように書くと、わたしはつくづく幸せものだと気付かされる。わたしのことを好いてくれる人間もいるからだ。わたしが常に孤独の中にあれば、わざわざ手間を掛けて孤独を望もうとすることもしないだろう。

 

わたしが今、腰を落ち着けているのは、コンビニの飲食コーナーの一角だ。先程から店員と客との揉め事が騒がしい。内容に聞き耳をたてているとスポーツ紙をぶら下げた爺さんが、店員に向かって一方的に文句を垂れているようだ。爺さんはイートイン申告をして軽減税率対象外なのに関わらず、申告をせずに軽減税率対象の恩恵を受けた上でイートインコーナーの一角を占めている阿保客(多分わたしのこと)がいるとかで興奮しきって今にも口から手榴弾位は吐き出しても納得できてしまいそうな形相、眼光を彼は備えた。

 

わたしがコンビニのイートインコーナーに坐していたというのは、その例の、独りにしてくれ活動の一環だった。孤独を愛する男の聴覚と視覚は少なくとも、イートイン爺の白濁して粘り気のある鼻声と歩道の脇に避けられた雪塊のような、なんというか白髪がやや優勢であるかのような、いと鮮やかな絵画によって失われてしまった。

 

店員に曲がりなりにも相手にしてもらえている爺、その鼻声がナイアガラの滝壺に落ち込む最中、わたしは残りのコーヒーを呑み込み、そして席を立った。