土井善晴の一汁一菜的思想

最近というのも、大いに、味噌汁に力を注いでいる

我が家の晩餐に並ぶ品はといえば、味噌汁と白米、以上、たったこれだけだ

これは単に、従来の一汁三菜的思想を打破すべく爆誕した土井善晴の一汁一菜を盲信しているためで、それ以上でもそれ以下でもない

兎に角にも、己の全精力を目の前の味噌汁に捧げよ、と、土井善晴が人類に求めて止まない一途で純情なる願いが感じとれる.

肝要なのは、一汁一菜という宗教は多忙に対して潤浸する麻薬でも、蜘蛛の糸でもない.そこに彼の一切の妥協はない

 

この土井善晴の作り上げた思想も今後も続くであろう食卓史のほんの序章に過ぎないのだろうし、まだ進化の過程であることはほぼほぼ間違いない.

ほんの何かが発端となって、ちょうどプロテスタントが分離したように、ベクトルの異なる歩み、派生を見せるかもしれない.

ただ次の動きとしては一汁一菜から一汁もしくは一菜への変遷だろうか?

明確に打ち出されたこの導を、開拓していきたい所存.