2・28

朝からわたしは、いしるの虜だ。「いしる」なるは日本三大魚醤の一つであるが、魚醤と言われて想像するナンプラーほど癖の強さがないが、マイルドで和のテイストに親和性が高い。何というか使いやすい。最高すぎる。使いやすく手軽にアクセントを加えることができてもう声が出ませんすみません。

社員独身寮に住んでいたころ、わたしは周囲からテロリストと囁かれていたことがあった。共同調理場でフォーを毎朝生産した時期があり、業務スーパーで大量に仕入れてからというもの狂信的なフォー信者となっていた。

その際にナンプラーをドボドボドーボドボ使ったので、廊下という廊下にナンプラー臭気が浸透していった。廊下からドア越しに咳き込むのが聞こえた。

臭気の拡散と反対に、わたしの人権はみるみる消失していった気がするけれど。人権とフォーを天秤にかけてフォーが勝ってしまったのでこれはいた仕方がない。

いしるの存在を知っていればかのような、苦渋の天秤にかける必要もなくなるので強く、ここでわたしはいしるを推したい。言うまでもなく、ここで書いた事は便所の落書きとそう遠くはないことだが。

 


養命酒は至高の一言に尽きる。というのも、いつだが養命酒のHPを散策していたのだが、AI養命酒なるものが抽選で12名という微妙な人数に当選する、との情報を目にしてしまった。

このAI養命酒なるは、SONYAIスピーカーなるがマトリョーシカになってるという大変に身も蓋もない製品なのだが、さらに懲りないのが、AI養命酒メタルエディションDXなるものも緊急追加なる小見出しで堂々紹介されていた。

一見、ちょっぴりすべった一発ギャグに見えなくもないこのキャンペーン企画も、言うほど飛び道具的発想のそれではないというのが私見なのだけれど。

養命酒スマートスピーカーにしたい欲求を抑えられなかった?のは何となく理解できんくはない。というのも養命酒の一リットル瓶は我が家の居間でもお嫁様の次席くらいには存在感を放つ。さらには安定感を有しているし、そういうことです。はい。

 


そういえば先ほど妻が「カットMP」と呟きながら、ニッコリわたしの方に歩み寄ってきた。ニコニコというよりニタニタしてる。北センチネル島の未開民族のごとく、迫りくる宣教師を前にわたしは一瞬、身構えた。

彼女は左手に出刃包丁のような、あの小さい手にそぐわない樹脂の櫛と右手には頼りない糸切ばさみのようなものを握っている。長い金髪が下の方で左右に揺らしながらキッチンの方からやってきた。

わたしは気づいたら、硬く冷たい丸いすに座っていた。パンイチなのでまじで冷すぎた。ズボンを履きたいと懇願したら、彼女はパンイチの方がむしろ都合が良いと言った。

後頭部の方から血気盛んなモータ音がする。これは明らかにモータ音だけれど、あまり聞き慣れた感じがしない。なにかガリガリと言うか、ドライヤーモーターのようなソフトでモワッと広がるような感覚とも異にするし、きっと隣家のおっさんが庭の芝でもせっせと整えているのかもしれない。

呑気な日曜日。

急に耳の横あたりに金属片を当てられたように、ヒヤリとした。さっきのモータ音も幾ぶんか近くなったような気がした。気のせいかもしれない。

冷たい金属片が耳の横にグッと押さえつけられ昇竜拳のような勢いで垂直に突き抜ける感覚が皮膚を通して伝わった。これは多分気のせいじゃない。

肩の上に柔らかな感覚があった。黒い塊に見えるそれらは、ふわっと空気を含んでいるように見える。

妻の「ごめん調子に乗った」と言う声が、幾分かのラグを伴い、耳に届いたのは多分気のせいだろう。