3・3

かの哲学者ショウペンハウエルは書くために書く輩をこれみよがしに批判した。何か主張したいことがあるならそれを表明したらいいし、ないならそんなことをわざわざする必要性が皆無であると。

彼が21世紀のネット社会を目にしたら頭を抱えて発狂する事はほぼ間違いないことと思う。

さっきTwitterで見かけたのだが、村上春樹が昔こんなことを言ったらしかった。SNSをなぜみないのか?の問いに対して、ネット上に転がる大体の文章が酷いもんで、やっぱりいい音楽とかいい絵画とかだけ見て過ごしたい自分にとってSNSの文章は読まないに越した事はない云々。なるほど、なるほど。

 


わたしとお嫁様は今朝、ようやく先週くらいから下準備していた味噌作りに再び取り掛かることにした。茹でられた多量の大豆たちが、わたしのカムバックを冷蔵庫の暗黒で期待しているはずなどもないのだが、気分がわたしに行動を促した。

と言っても、あとは大豆を潰して米麹と塩を混ぜまくってコネコネすれば造作もない、終わりである。

わたしは何の気なしに、手でコネコネし始めたのだが、お嫁様が突如、悲鳴を上げた。

わたしはとりあえず手を止めてお嫁様のご尊顔を覗いた。どうやらわたしの穢れの多い手で味噌をコネコネするという行為そのもが、味噌が雑菌の温床と化すリスクが存分にあり得るわけで、アンタ阿呆じゃないのdっwぢじゃふぃjいえんフィオ絵フォイエjフェオ位フェオ伊jフィ!!!!と言った具合であろう。

わたしは今朝の味噌作りを思い出しながら、何となく、わたしの生成したこの味噌を村上春樹に提供したいなぁという欲求が泡のように浮かんできた。

村上春樹に俺の渾身の味噌を食わせたい。浴びせたい。

やはり氏といったら美しい味噌に取り囲まれて日々の端正な生活を送っているだろうから、わたしの菌のサラダボウルと化したグローバル味噌を実食、もちろん視覚的にも精査していただき、何たるやの意見をいただきければこんなに嬉しい事はないかもしれない。