亀雪崩 3・6

5人、カラフルな婆婆が跳ねるは跳ねる。老体に鞭を打つ。魚の群れが身を捩らせ水面から跳ねるように。躍動する。

靴は履かない。靴なぞいらん。でも流石に靴下は欲しい。なぜならば、石はひやり冷たいから。

成田山新勝寺の境内、わたしと母はいくらかの時間その光景をぼけっと眺めた。母の不機嫌なるも手伝って、わたしは尚更吹き出しそうになったけど、さすが吹くのはやめといた。

この婆婆らは自分らが何を踏んづけているか、おそらく理解できていない。

物理的な石を踏んでいるのみだと感じていて、ツボを刺激する丸くて硬くて気持ちのよい最高のオブジェクトくらいにしか思っていない。

または何処ぞの空間では熱心な信徒であってもこちら側に映り込んだ像がたまたまこの有様だっただけで、悪い子は写像、映写機かもしれない。

 


寺の境内というものの中には、石が無数に敷き詰められている。我々があの上を歩行すると石同士がぎゅっぎゅっとひしめき合って鳴きはじめる。

鳴くといっても少なくとも、嬉々としたものではないのは確かだし、新雪を踏んだ音ほどサバサバした無感動な音でもない。

それより耳掻きを突っ込んでさっとかき回したときの、鼓膜に伝わる振動、ザクザク感、これらのフィーリングが近しいかもしれない。

これはわたしが懇切丁寧な主観を披露するまでない経験だろう。

玉砂利、というらしい。この玉砂利なるが、境内に無数に散布されているのは、玉が魂を意味しているらしく、その洒落の利かせ故らしい。

本当なのか、本当でもなんでもいいんだが、そんなつまらんことのために、この玉砂利やらは配置させられていて、それでいいのか?とわたしは思ってしまう。

それよりも婆婆らのツボを刺激するデバイスであって下さい。それでいいと思います。

 

池中央の岩礁で亀雪崩ことタートルフォールが発生したのが、霊魂跳躍婆集団を目撃したほんの二、三分直後だったことと思う。

因果は不明。

おびただしい数の緑亀、甲羅干しに登った岩からバラバラ水中に引き戻される。崩壊。

因果は不明。