サルト・デル・パストール

サルト・デル・パストール。羊飼いの跳躍。

サルト・デル・パストールをわたしはやってみたいのだ。やりたいです。やりたいんです。
勝手におやりなさい。

正直サラリーマンなんかやってられんくて、羊飼いになりたいんです。彼ら彼女らは名刀正宗の2、3倍はあるだろう棒を使って平然と跳躍をやってのける。そこに痺れるし憧れる。川を渡り、急峻な断崖を難なく降ることもできる。

さて、CAPCOMのモンハンシリーズ最新作であるモンスターハンターRISEでは壁登り等のアクションが導入された。

そこにはサルト・デル・パストール。要は高跳びの要領で棒を地面に突いて跳躍したり、高所からの落下による衝撃を吸収する、といったモーションは一切ガン無視され、世のモンハンを待望した羊飼いやわたしのような羊飼い志望者を奈落と絶望の淵へと突き落とした。

CAPCOMは非情である。落下衝撃を無にできる我々サルト・デル・パストール徒には心配は無用なのだがな。

この原因たるは、サルト・デル・パストールの世への認知度が圧倒的に低いことに由来する。こと私も5分前にサルト・デル・パストールを知った。こんなにエレガントなものを私はしらなかった。そんで感動して1ヶ月ぶりにblogを綴りました。もう2ヶ月間も会社に行かず何をしていたのか、ゴロゴロして休職なる甘い蜜をちゅっちゅ吸い続ける人生をやってた。以上。

5分前にTwitterでサルト・デル・パストールのgifをみた。はじめのうちはサルト・デル・パストールは崖から飛び降りるこのおっさんの名だと思った。トンデモナイ技術を持ったオッサンが世に降臨したと思った。昨日か今日は紀元前になったかもしれなかった。そしたら違いました。サルト・デル・パストールは跳躍そのものをさしていた。わたしはただの馬鹿だった、アホ過ぎたました、しゃあせん。

そのあと何回かサルト・デル・パストールのgifをわたしは再生した。私の精神世界は羊飼いと羊と草原が織りなすあの特有の牧歌的世界観に一気に引き込まれて、違和感なく統合されていった。

ただその麗しき精神の浄清とやらに当然かどうかは知らんが、水を差す奴がおってそれがチンポ・デル・パストールであった。

チンポ・デル・パストールなる伏兵がわたしの脳内で神聖なるサルト・デル・パストールの殺害を目論むというか、そういうシンプルな版図が興りつつあって、善なる理性が全力で抑えにかかった。

チンポ・デル・パストールは川なぞ当然渡れる訳もなく、それどころか一向に皮が余る騒ぎである。末の、パストール、は意味を成さない、ノリである、世の中ノリなるは結構重要で、わたしのようにノリが悪い人間は生活が危うくなる、しかして、パストール、に意味はないこともなくはないということになるかもしれない。

暇人なるわたし。パストールなる意を真面目に調べてしまった。どうやらスペイン語らしく、豚を回転させながら焼く調理法を意味するとのことだった。そうですか。タコス・アル・パストールとは最もメキシコ人が熱狂して愛してやまない彼らのソウルタコスらしく(タコスにも色々あるらしいよ)、パストールケバブ屋台のあの光景を思い起こして下さい、あれです。

そうなると伏兵のチンポ・デル・パストールはその全貌をほぼ明かしたことになろう。牧歌的雰囲気を醸す、なんでしたか、あの、ええ、サルト・デル・パストールなるの素朴で美しい技術に対するチンポ・デル・パストールの地獄な拷問なる光景では、尊さの観点で一向に歯が立たぬことは自明であり、あえなく27歳会社員の、温かな日和のなか、低学年水準の悲しき伏兵の命は、脆くも潰えたのであった。