1/f説法

わたしは赤髪になった。

だからといってどうなるでもないし、ほんとになんもないんけど青髪から赤髪になった。美容師に赤髪にするよう告げると鬼滅かぁ!といった。それでわたしは一旦置いて竈門炭治郎は赤髪だったことを思い出した。頭の回転が著しく鈍い。竈門炭治郎、赤髪のシャンクス、赤毛のアンジークフリード・キルヒアイス、これらの名だたる錚々たる面子にわたしが名を連ねることになるだろうとは到底おもわない。烏滸がましいにも程がある。わたしはアンのように虐めてきた相手の頭をそこいらの石でかち割ろうとする獰猛さもないし誇示すべきものもなければ、護りたいアイデンティティたるも持ち合わせておらない。うる覚えですまぬがシャンクスのように他人にやる麦わら帽を常備しておらず、竈門炭治郎のごとく筒を咥えた親愛なるカワイイ妹もおらずそれどころか鼻息の荒い万年南北朝時代菊地氏オタクの小太りの兄しか存在しないし、ジークフリード・キルヒアイスのように頭のキレるカリスマ皇帝の右腕でもない。

赤髪にチェンジしたあと新宿のスタバにきた。テラス席に座った。そうしたらこのテラス席からスタバの客は消えてくれとお叱りを受けてスタバの店内の仕切りの効いたボッチ席に舞い戻った。

てかさぁもういわないけどさぁ、隣の女は彼氏らしき男に言った。この女曰くノーカンだと後に言った。男は要するに説教を食らっていた。彼氏はうん、うん、と定期的に頷く。わたしは1/fの揺らぎを感じた。うん、うん。うんうん。うんん。心地良いリズムだ。焚き火がわたしの瞼の裏にちらつく。眠くなってきた。買ってきた佐川恭一の小説はまじでおもろいが集中できない。

かおるんさぁ、で?結局何がいいたいんの?バイト紹介されて辞めづらいのはわかるよ?うん。わたしだって紹介で入ったし、でもさ。うん。かおるんはそうだって言ってるけどわたしはそう思ってるわけ。わたしがそう思った時点でもうだめなわけ。うん。だってかおるん、わざとじゃなくても人殺したらだめでしょ?そういうこと、わかるよね。うん。いま免停なんでしょ?うん。かおるんの価値観はなめくさってるよね、社会を、ほんとに。わたしほど意識高くしろとはいわないけどさぁ、かおるんは裕福な家庭に生まれて親の脛かじって、もうそうじゃなくて。うん。わかる?あたしのいいたこと?

私はこの男の存在を肯定はしないが同情だけはした。わかる。めちゃくちゃ同じ種類の人間な香りがする。うん、しか言えない。ことばが出てこない。生に意志を持ねぬ者。特に赤髪にしたい理由もないが、わたしは赤髪になった、うん。この女はサルト・デル・パストールは嫌いだろう。だっさ。と舌打ちして一蹴するだろう。なぜならばこの女がサルト・デル・パストールをする意味がない。メリットがないからである。かおるんあたま沸いてるん?、と。それで終わるであろう。

ただ問題はかおるんがサルト・デル・パストールをやろうと提案しない。そのことにある。男として甲斐性がない。無能である。何故提案しないのか?彼はサルト・デル・パストールを知らないからである。恐らく、かおるんは羊飼いの跳躍を知らない。べつに無知は一向に悪いことではない。こればかり仕方がない。わたしもつい先日まで知るわけもなかった。

一方でかおるんがサルト・デル・パストールを既知だったとして、かおるんは女をサルト・デル・パストールに誘わないだろう。そんな気がする。彼は腑抜けである。

サルト・デル・パストールを知らぬ読者の方はほんとうに申し訳ない、そう思う。これを知らずして読了した者はわたしが最も好む無能である。

サルト・デル・パストール

サルト・デル・パストール。羊飼いの跳躍。

サルト・デル・パストールをわたしはやってみたいのだ。やりたいです。やりたいんです。
勝手におやりなさい。

正直サラリーマンなんかやってられんくて、羊飼いになりたいんです。彼ら彼女らは名刀正宗の2、3倍はあるだろう棒を使って平然と跳躍をやってのける。そこに痺れるし憧れる。川を渡り、急峻な断崖を難なく降ることもできる。

さて、CAPCOMのモンハンシリーズ最新作であるモンスターハンターRISEでは壁登り等のアクションが導入された。

そこにはサルト・デル・パストール。要は高跳びの要領で棒を地面に突いて跳躍したり、高所からの落下による衝撃を吸収する、といったモーションは一切ガン無視され、世のモンハンを待望した羊飼いやわたしのような羊飼い志望者を奈落と絶望の淵へと突き落とした。

CAPCOMは非情である。落下衝撃を無にできる我々サルト・デル・パストール徒には心配は無用なのだがな。

この原因たるは、サルト・デル・パストールの世への認知度が圧倒的に低いことに由来する。こと私も5分前にサルト・デル・パストールを知った。こんなにエレガントなものを私はしらなかった。そんで感動して1ヶ月ぶりにblogを綴りました。もう2ヶ月間も会社に行かず何をしていたのか、ゴロゴロして休職なる甘い蜜をちゅっちゅ吸い続ける人生をやってた。以上。

5分前にTwitterでサルト・デル・パストールのgifをみた。はじめのうちはサルト・デル・パストールは崖から飛び降りるこのおっさんの名だと思った。トンデモナイ技術を持ったオッサンが世に降臨したと思った。昨日か今日は紀元前になったかもしれなかった。そしたら違いました。サルト・デル・パストールは跳躍そのものをさしていた。わたしはただの馬鹿だった、アホ過ぎたました、しゃあせん。

そのあと何回かサルト・デル・パストールのgifをわたしは再生した。私の精神世界は羊飼いと羊と草原が織りなすあの特有の牧歌的世界観に一気に引き込まれて、違和感なく統合されていった。

ただその麗しき精神の浄清とやらに当然かどうかは知らんが、水を差す奴がおってそれがチンポ・デル・パストールであった。

チンポ・デル・パストールなる伏兵がわたしの脳内で神聖なるサルト・デル・パストールの殺害を目論むというか、そういうシンプルな版図が興りつつあって、善なる理性が全力で抑えにかかった。

チンポ・デル・パストールは川なぞ当然渡れる訳もなく、それどころか一向に皮が余る騒ぎである。末の、パストール、は意味を成さない、ノリである、世の中ノリなるは結構重要で、わたしのようにノリが悪い人間は生活が危うくなる、しかして、パストール、に意味はないこともなくはないということになるかもしれない。

暇人なるわたし。パストールなる意を真面目に調べてしまった。どうやらスペイン語らしく、豚を回転させながら焼く調理法を意味するとのことだった。そうですか。タコス・アル・パストールとは最もメキシコ人が熱狂して愛してやまない彼らのソウルタコスらしく(タコスにも色々あるらしいよ)、パストールケバブ屋台のあの光景を思い起こして下さい、あれです。

そうなると伏兵のチンポ・デル・パストールはその全貌をほぼ明かしたことになろう。牧歌的雰囲気を醸す、なんでしたか、あの、ええ、サルト・デル・パストールなるの素朴で美しい技術に対するチンポ・デル・パストールの地獄な拷問なる光景では、尊さの観点で一向に歯が立たぬことは自明であり、あえなく27歳会社員の、温かな日和のなか、低学年水準の悲しき伏兵の命は、脆くも潰えたのであった。

 

 

本棚

3・22

本棚というものがある。

 

本棚は基本的に本を収納したりすることを目的にしている。

だから我々が本棚と言われて思い浮かべるもの、それは本が整然と並んでいる状態があって、厳粛で荘厳な雰囲気を醸す木目の効いて落ち着きのある黒トーンがその場を制している状況。

これは一種、神聖な領域とまでは言わないにせよ、私たちの本棚の原風景は少なくとも、いかがわしくはないだろう。

 


わたしはお嫁様と二人で本棚を築いた。破風板をホームセンターで買って。

築いた、というと城を建造したようだけど、あながちその表現は間違いではないように思う。堀を作り、敵の侵入を阻むべく複雑な入り組んだ土塁や塀を建て、ド派手な天守閣を中央に鎮座させる。

本棚も、本棚で、木や鉄材の枠組みというだけのものではない。

そこの棚に置く物、木材、生み出される空間とそれらの総合が本棚たる物であると考える。

 

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お嫁様とわたしが築いた本棚は、双方の脳内を参照してつつ反映させた厳粛極まりない空間ということができるかもしれない。

お嫁様の尊いジャニーズグッズは掘れば掘るほど湧き出てくるし、わたしの乱読気味に買いあさってほとんど読まれていない、いわゆる堅苦しい積読本も棚にとりあえず詰め込んだ。まだ入るかもしれない。入らなければ横に伸長するだろう。この本棚は。

海水と淡水が交わる汽水域のように、この本棚は、本棚の原風景とジャニーズグッズが交わる交差点であって、推しと集合と位相、躍動感あるアクリルスタンドとカント、荒木飛呂彦とキスマイが顔を合わせる、なんというか、スマブラ的な?あの途方もないオフ会が実施されている危険区域なのかもしれない。

 

 

 

optional parts

3・19

お家でざる蕎麦を食ってもテンションが上がらないという時代がわたしにもありました。

幼少期からの記憶で、テーブル中央で山盛りになった蕎麦を家族でつついて食っていたが、山が依然山を為してることによくよく絶望しながら、それ啜っていた。食への感謝なぞ皆無な野郎をやっていた。

家で蕎麦を食っても何故にテンションがこうも上がらないか?

これについて考えると、一番大きな要因として基本あの乾麺であって、あれはただの乾麺で生じゃないので、やはり心の底を押し上げるエロさが奴には足らない。

したがって、足らないものは仕方ないので何か別の要素で補おうという方策に頼らざるを得ない。他にポジティブな部分が見出せればよい。

家そばを別の次元に昇華させる秘技は、何たるであろうか?

ねぎ?いや、足らん。擦り下ろしたワサビ?、まだ足らん。

煎った胡麻

いや、辿り着いたものは、卓上のリーサルウェポンであるネリゴマ氏だった。ネリゴマ。

基本的に煎った白胡麻(黒)を練ったもの、それがそのままネリゴマなるものだろうが、焙煎具合が色々あり個人的には香ばしさがあんまりない方が好みだ。

これが家蕎麦に革命を起こした。

 


この蕎麦から得られた知見としては、オプションパーツが結構有効だということだ。

要はオプショナルパーツを刷新することによって、マンネリから脱出できるかもしれないし、異空間に跳ぶことができる可能性があるのではないか。

うちの冷蔵庫に永らく眠る里芋があった。

この眠れる獅子をこのまま味噌汁にぶっ込んだりしてもまぁいいのだけれど。

何とか彼を主人公として立ててみたいという謎の欲望がわたしに立ち上がった。この欲望の理由は何かはわからないが、日の目を浴びることがない里芋への同情心なのか。

里芋に同情すると聞くと、このひと暇なんじゃね?と思う方がおられるかも知れないが、まさにその通りで、わたしはここ一ヶ月は休職しており暇をクソほど持て余している。

逆にいえば、休職を選択することにより冷蔵庫の片隅で体操座りする里芋に手を差し伸べることができる寛大な心を手にする訳で、休職ないしは失職は意外に悪いものではないかもしれない。わたしのように元気ならば、だが。

 


里芋に話を戻しますと。

里芋を中心に添えたチーム編成を考える。

今朝やったわたしの試みは、里芋はやっぱジャパニーズな芋なので、ちょっとこう外して、ちょっと外しまして、フレンチな要素をappendしちゃいたいな?と思ったのですね。

そうしたら意外といいんじゃないかと。

フレンチな要素が何か考えると、4GBドンキPCのようにフリーズしてしまった。

とにかく里芋を別のn次元空間に写像したいわけで、ジャパニーズ味噌汁空間から抜け出したい。

里芋はとりあえずただ単にオリーブオイルで焼く。以上。問題は里芋にかけるオプショナルパーツの部分で、ソースの話だ。

ソースとなると、酸味+油+塩分+水分がいい塩梅で調整されていればいいという経験則があったので、レモン水と白ワインビネガーで酸っぱさと水分を取りつつ、バターとオリーブオイルで油分を確保してあとは脳死クレイジーソルトでもふりかけておこうという戦法でいこう。

冷蔵庫に帆立少々と玉ねぎの中途半端な残りもあったので、それも粉々に刻んでオプショナルパーツとして馬車馬のように働いてもらうことに決定した。

なんかオプショナルパーツとやらがなんだかわからなかくなってきた、今日この頃。

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※写真の後ろのスープっぽいのがゲロっぽいですがゲロではありません。気分を害された方は大変申し訳ございません。

 

苺ビュッフェ

3・18

 

今夜我々夫婦が訪れたのは、名古屋にある苺ビュッフェだ。

とにかく全ての料理という料理、酒、デザートに至るまで苺で構成されている。

この店に関しては妻がトゥイッターで知ったらしく、今朝行きたい行きたい行きたい行きたいの連打をやっていたので、夕方から名古屋に電車で向かった。

いざ店に着くと、建物の外観がラブホでしかなかった。一瞬目を疑った。飲食店だよね、と。これはラブホ以外の何者でものないしラブホ以外の感想を抱かせる一切の隙を与えない徹底ぶりに、俄然興味をそそられていた。

わたしと妻は側からみたら、普通にそこそこの年齢の男女であろうと思うので別にこれがラブホであったところで、どうでもいいのだけれど。

 


店に入ると、東南アジア系のヤケに乳首の長い女体像みたいな置物をすり抜けてから、我々は席に通された。

先週行った新大久保の韓国料理屋のアットホームの空間のそれとは違ったベクトルの空間があった。バーっぽい。暗め。

まず初感が、女の子しかいない。

年齢はどのくらいだろうか?妻と色々これに関して話したが、アベレージ22とかその付近だという話になった。妻はワタシぐらいの26の女はこんなところにまず行きたいと思わないだろうと真顔でそういった。

わたしもそうだろうねと言った。

 


この店は、苺を主体とした料理ビュッフェの店である事は、先ほど述べたが、もう一つ売りみたいのがあってライブキッチン(よくあるやつ)なるで、このシステムはよくいうならばその場で炙った肉等を提供してくれて熱々のうちに食すことができるというビュッフェの弱点を補強するシステムだが、悪く言えばスーパーの一角の試食販売を想起させる、一種の、諸刃の剣的な存在なのだ。

ライブキッチンはシェフっぽいおっさんがベルを鳴らすことによって始まりが知らされる。

ベルの音が暗い店内に響くや、一斉に女の子の行動を促す。

シェフが何の料理を提供してくれるかは、本来はわかるはずなのだが、実際のところ席を立って見に行かなければ判断ができない。

というのも、ベルが鳴ったと同時に料理名を発語するのと、かつ彼の声が絶妙に通らないので非常に聞こえづらい、という何とかなりそうな理由から。

 


ミルフィーユなるのベル時は、かなり驚きを隠せなかった。

ベルがなったと同時に女の子が長蛇の列をなした。これまでも肉寿司のときもそこそこ列があったが、その5倍以上だった。それは、蟹の天津飯やサムギョプサルのベルの時の比ではなかった。

それらを完全に凌駕した。

わたしは苺ミルフィーユの列を席で座って観ながら開いた口が塞がらず、鳥肌が立った。

浅草橋の隅田川沿いの早朝の炊き出しの風景を思い出した。

それはわたしが学生時代に都内に出て終電を逃して千葉に帰ろうと酔っ払って歩いた時にみた朧げな記憶だったけれど。

 


わたしは幻影を振り払うと、苺ミルフィーユの戦禍に入って行った。

エアコンお掃除

3・17

 

ものを分解することが家内の趣味かもしれない。

どうしてか分解することが楽しいらしい。今回白羽の矢が立ったのは、エアコンだった。

勿論、妻も分解することそのものが目的ではなくて、エアコンクリーニングをやってみたいとのことだった。

ただ、エアコンクリーニングの大義名分の裏には、分解という愉悦が潜んでる事は経験上理解できた。

エアコンクリーニングもしっかりと調べていないが、メーカーか何かのちゃんとしたところでやると15kくらいのお値段がするので、馬鹿にならないというか、万年金欠の我が家にとってこれは一向に致命打になりかねない。

 


とりあえず妻はエアコンの下に丸椅子を置くと、どうぞと、椅子の上に至急乗ってくださいと言わんばかりの手を上品に添えた。

わたしは基本的に妻の指示には従うので、丸椅子の上にすぐ乗った。ホコリがフードの上にも薄ら溜まっている。わたしは特に気にならないが、妻は多分こんなのをみたら速攻フキフキしたくなるんやろな、とか思った。

妻が三菱重工ビーバーエアコンの清掃ブログを見ながら、何処のパーツを外せだのなんだの要領よく指示していき、それに沿ってわたしがバコバコ外していく。

我々は無心になって手を動かしていたら、なんだか当初の目的を忘れていたのかわからないが、気づいたらコンデンサやらの素子とメッシュ状の熱交換器が剥き出しになったなんだかプロトタイプみたいな状況になっていた。

これを戻すということを、私たちは忘れていたのかもしれない。

進む以外に脳がなかったし、わたしも分解の魔力に魅せられていたように思う。

妻は以前から分解が好きだと言ったが、妻の手によって葬られた機器を、わたしら幾つかは知っている。

たしか一つ目はあの扇風機だったと思う。ちょうどこの社宅に越してきた一昨年の晩夏の頃も、金もなくだだっ広い社宅でやることがマジでなにもなかった。

分解すること以外に。

その扇風機は妻による不可逆の迷宮に迷い込んで、そこから出ることはこの先もないと思われる。

 


この日記なるは実のところは身も蓋もない話をすると、3・18日に書いている。3・17に体験したことを後日にまとめて書いている。

なぜそんな話をしたかは、わたしは、エアコンが今現在しっかりと稼働していないことを知ってるから、という話で。

 

 

 

 

3・16

今日はすき焼きを食べた。

実家から送られてきたので。ありがたい。

すき焼きの逸話みたいのが調べていたら出てきたので、ちょっと紹介したい。

 


田中角栄大平正芳は築地ですき焼きを食べた際に、辛い味好きの角栄は醤油を多量に入れまくって、甘い味好きな大平は多量の砂糖を入れたため鍋の中がカオスな状況になって、味も何もわからなくなってしまった。

それからは、二人ですき焼きに行く際は、二人の鍋を別々にして用意するようになったという。

 


わたしと妻の間ではこのような事態にはならなかった。

それは二人とも甘過ぎるのも辛過ぎるのも、その両極にしょうと思わなかったからだ。

 


仮にわたしが角栄とすき焼きを食べるという世界が存在したとして。

角栄が醤油を注ぎ始めたら、待ったをかけられたはわからない。その世界のわたしは秘書かもしれないし、官僚かもしれないし、はたまた大臣かもしれないけれど。

角栄が先輩で総理大臣のポストに既についていたなら、わたしは醤油が鍋に注がれるのをただ唖然として見ることしかできないだろう。

ジョロジョロジョロ。

わたしの身体は動かない。というより、まったく動けない。

わたしが望まない世界に、傾こうとしている。

 


しかし、大平はただみているという愚行はしないのだろう。そして実際にしなかった。

角栄は大平の八年先輩であったが、大平は自身が望むすき焼きワールドを実現するために砂糖をプッシュした。全力で。

結果的に鍋の中はめちゃくちゃになったけれど。

めちゃくちゃになってしまった結果、次回から鍋を分けるというソリューションが生まれたわけで。

わたしも砂糖をプッシュできる人間側にいたいかもしれない。

3・15

昼間からミスドでドーナツ食べ放題をやっている中学生が見渡す限りで三グループくらいいる。

彼らは黙々とドーナッツを摂取している。1500円・60分のこのイベントはどこの店舗でも実施されているかはわからないが、愛知県知立駅前店では盛大にそれが執り行われていた。

あとで妻に聞いたら、逆に聞くけどアンタやったことないわけ?みたいな顔をされた。それほどメジャーなものなのか。

わたしの横の男子中学生は二人してドーナツを皿から溢れんばかりに搭載して淡々と口を動かしていた。gif画像のように。

彼らは二回三回とオカワリに行くものの、毎回皿に載るドーナッツの数は減っていく。そして咀嚼の速度も徐々にゆっくりになってやがて止む。

 


妻は最近ドクターマリオをやっている。彼女は作業ゲーが大好物で、テトリスもずっとやってるし、オーバークックというただ無限に料理を作り続けるゲームも無限時間プレーできる。

彼女はドクターマリオがゲームとして難易度が高くてオモロイとよく評するのだが、ドクターマリオの設定だけには、かねてから疑問を呈していた。

ドクターマリオというゲームについて、注釈しておくと骨子としてはテトリスライクなゲームだ。領域内に三色の菌ブロックが予め配置されていて、ドクターマリオが放った薬で菌を撃滅させるだけの呆れるほど単純極まりないゲームである。

白衣を纏ったドクターマリオが画面の右上を陣取っており、彼はポンポコ薬を放る。

プレーヤーがやるべき事は、菌と同じ色を四つ組み合わせて、菌を消却することのみである。

基本的にゲームの時間進行とともにドクターの薬を放り込む速度が上がっていく。徐々に加速していくのが普通にわかる。

妻は理解不能な嗚咽をあげる。シャウトもする。ドクターマリオはドクターに関わらず、プレイヤーを困惑させる存在に成り下がっている。

プレイヤーは何と一対一なのかわからないけど。投薬加速の結果として、患者の体内に残された菌はカオス状態に配置された効用のない薬に埋もれていってしまう。

 


ミスドを食いすぎて腹一杯になって気持ち悪くなった中学生ですら、ドーナッツを体内に取り込む速度を絞るというのに、ドクターマリオは投薬を加速して自分やプレーヤーや患者の首を絞めることを平然とやる。

でもよくよく考えるとドクターマリオはドクター以前にエンターテイナーでも同時にあるためにそれは仕方のないことなのかもしれない。

彼は患者の命を救うこととと、プレイヤーを楽しませるという背中合わせの事項を宿命的に抱える苦労人である。

そう考えると、ミスドを食いすぎて腹一杯になっても加速的にドーナツを口に運び続ける中学生がいたとしても、悪くはないのかもしれない。

3・14

今日は妻が親知らずを抜きに行った。

昨日の夜に焙煎機を作りにきた友人が散々親知らずは痛いとの吹聴をしたので、妻はビビっていた。

妻は痛いのは嫌だ、といった。

痛いのが好きな人はそういないとわたしは言った。

でもだからといって痛いが正当化されるわけでないと彼女は言った。

とにかくビビりまくっていた。

焙煎機の人は上顎の歯は頭蓋骨の一部だから抜かれてもさほどは痛くないが、下顎は筋の上に歯が載っている形になってて引っ張って抜く場合は、筋が引っ張られるので死ぬほどに痛いと妻に説明していた。

歯を粉砕する場合をとるならば、下の歯でもさしも痛くないらしい。

上の歯が頭蓋骨と同体だということをわたしは気にかけたことがなかった。

考えればそうだなと納得はできる。確かに。

 

妻は歯医者から帰ってきて、かなり元気だった。

だから、下顎を今日はやらなかったか、粉砕の方で施術を受けたと思った。

実際にどうだったか聞くと、左の上下をやったらしい。引っ張って抜いたが大して痛くなかったらしい。

それは良かったとなった。杞憂だったと。

それから1時間くらい経つと、妻は歯が痛いといった。

ちょうどお昼だったので横浜家系カップ麺を食べて妻はロキソニンを飲んだ。

 


わたしは真面目なのでホワイデーのお返しを考えていたけど、とりあえず妻にバレンタインにもらった「カカオから作るチョコ作りキット」なるでチョコを精製して差し上げることにしようと思っていた。

そのキットを妻にもらって以来、それに触れてなかった。

超絶面倒ごとがわたしは嫌いだった。

妻はそのとき普通にただチョコを渡すのはちょっとつまらんとか言っていたような気がする。

本日は万人が認めるホワイトデー。

妻は虫歯でないにしても、歯痛でうずくまってる人間にチョコを渡すというのは、わたしのわずかばかりの倫理観が、それを許すことをがどうしても出来ない。

チョコをキットから作って愛妻に差し上げたいのは山々だが

今年はそういう理由で降りようと思う。

3・13

焙煎機ができた。

コーヒー焙煎機なのだが、完成したといってもわたしが作ったわけではない。

この焙煎機プロトタイプCF-2021-01は友人が作ったものだ。

この焙煎機なるは、焙煎するときにフライパンやら鍋やらで豆を揺すりながらやると焼きムラが出来てしまって微妙になったりするので、それを何とかしたいというらしい。

昨日の夜に友人が北側の部屋を貸してほしいといったので好きに使ってくれといった。

うちには工具がなぜかいろいろあったし、社宅の部屋も余りまくっていた。

2時間くらい工具の音がギイギイギコギコしたあと、友人は居間にそれを運んできた。

熱電対とモーターとシャフトに金属のヘラのようなものが付いて、モータとシャフトはプラ板に固定され鍋の蓋の穴に強引に通されていた。

なんかすごいプロトタイプっぽいプロトタイプだった。

友人はガスコンなり早速電磁調理器で焙煎していたが、その光景はといえば休日に優雅なひとときを過ごすそのものだった。

 

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Fig. コーヒー焙煎のご様子

 

わたしも妻も参加して中身を混ぜる攪拌翼?の形状があーだこーだといって百均を回ったりしていた。

なんというか、鳥人間サークルをにわかに想起させる1日だった、ような気がする。

来週もまた改良を持ってくるらしい。