最近というのも、雨の存在を忘れていた。本当に綺麗さっぱりに。上から水が滴り落ちてくる現象、そんなものがこの世には存在したなという具合


思えば、昔わたしは雨が好きだった。雨がすきというのは正確ではないかもしれない。むしろ晴れが嫌いだった、という方が適切だろうか…









毎週金曜の夜、お人形さんのようなお天気キャスターに殺伐とした視線をぶつけていた。この女から発せられる言葉は死の宣告かそれとも解放令か…土日を部活の試合で潰されたくないと祈る当時中学生の私にとって、毎週訪れるの緊張の瞬間、恒例の行事だった


或る金曜の夜、夕食の時分、私はさりげなくテレビをつけようとリモコンを探していた。母は作った料理を丁寧テーブルに並べ始めた


味噌汁を運びながら母は言った


「土日は天気悪いみたいね、お布団今日干して正解だったわ」


この瞬間、私はこの込み上げてくる嬉しさを必死に抑えた。そういう風に生きてきたから。母に悟られてはならない。決して


稲妻の如くこの全身を駆け巡る愉悦により、数秒間身体は麻痺し、もはや身体の制御が効かない。


この喜びは何か行動として、なにかに、形として昇華されなければならない。母に私の愚考を勘付かれない範囲での…


私は急いで自室のベッドに飛び込んで、何度も小さくガッツポーズをした。それは本当に絵に描いたようなガッツポーズだった…






気が付いた。意識が、ふと浮上してきた。そんな感じだった。夕食は食べずに寝てしまったらしい。わたしは真横にあるカーテンから出る一筋の木漏れ日を確認した。しかし、さしも格別驚かなかった


晴天だった。すんなりとこの卑劣な現実は、私の中に入り込んで、何事もなかったように素早く浸透し、溶け込んだ。下の乾いた路面を走る車のエンジン音だけが、やたら不自然に私の耳の中で響いた。


冷え切った昨日のおかずを口に運び終え、いってきますと一言、家を出て行った


母は満足そうに、いってらっしゃいとそれに応じた