ようこそ

何という、逆さまの世界。地面という地面が、剥き出しのコンクリートが、後頭部から硬く冷たく感じられる。眼下、いや頭上とでも言うのだろうか?太い杉の幹が真横にそびえ立つ。誰か此方に気付いてはくれぬだろうか?わたしはそう思わざるを得なかった。誰でもいい、誰かこのスリット状の細い溝にはまったロードバイクの前輪を、少し引っ張りだしてくれるだけでいいのに。強烈な右脚の痛みは、恐らく下ハンドルの隙間に太ももが挟まっているからだろうし、兎に角、自転車とわたしが、複雑に絡み合っているのだろうということは理解ができた。

わたしは地面に後頭部を着けたまま、精一杯、眼球を眉に近付けるようにして、上目遣いのようになりながらキャンパス内の大通りを私は見ていた。大通りといっても、この朝方の時間帯だと時折、ひとが疎らに通行するという程のものだった。

わたしが現在身動きが取れなくなっている場所、それはキャンパスの通りから少し外れた研究棟の入り口付近だったため認知されずにいること自体は特段、驚く事でもなかった。

そんなこんな。あれから、どれくらい経ったろうか?女性が一人研究棟の入り口に向かってくる。わたしは意を決して、すみませんと少し大きな声を上げた

向こうは此方に気付いたようで、少しばかり早足で向かってきた

「大丈夫ですか?

「はい、溝にはまったホイールを引っ張っていただけますか?

「ちょっと待ってて下さい

と言いつつ、試行錯誤しながらもかなり力を込めてホイールをスリット溝から抜き取った。

「いやー助かりました。本当に。右脚が痛くてならなかったので

「いえいえ、ここの溝、はまりやすいんですよ

「はまりやすい?

私は少し驚いた風な声を出した

「はい。私も一年前クロスバイクではまりましたし、先週辺りにも、この春ここに来た助教がはまって大変な騒ぎになったんですよ。とにかく、新参者が…次々と。この時期に、ね。

「洗礼のようなものですかね…

「ようこそ、素材棟二号館へ

 腫れ上がった右脚を軽く摩りながら、ゆっくりと立ち上がった