おしゃべりねこ

ぼくの家の猫ぽんたは、決まって、ぼくが帰宅すると渡した紙に何かを描き始める。スーパーの特売の広告、薄い紙っぺら、何でもいい。それらの縁で首回りをくすぐると目を細めて、必死に背伸びをして、頬を擦り合わせようとする姿は何とも、愛らしいものである。

ぼくは仕事でかいた汗を流すべく、シャワーを浴びて、着替えを済ませて、ついでに歯磨きぐらいはしてリビングに戻ると、ぽんたは食べ散らかした蜜柑の皮の亡骸、遺骸の上に横たわり、机の上でいびきをかいて寝ていた。テレビもつきっぱなしである。寝息と連動して僅かに上下するその短い腕、その先にちょこんとした肉球が可愛らしい。そのうでのちょうど延長上に、2Bの鉛筆があった。それは彼からしてみると広大な机に、虚しく転がっていた。

彼のその渾身の作品は僕の机のど真ん中に、おとといか昨日と同じように、これ見よがしに広げて、置かれている。ぼくは眼鏡を掛けて、椅子に深く腰をかけてから改めて、それを取って眺めようとした。

すると、さっきまで机で死んだように寝ていた猫が、或いは起きていたのかもしれない。机の上からぴょんと跳んで、こちらに降りてきた。彼はぴん、と一定の姿勢を保ったまま、見つめている。

 

 

私の特筆すべき点は「目的のためには、自分の考えや信念すらも曲げる覚悟を持っている」この一点に尽きます。先の活動で、リーダーである私の設計立案が基になって推し進めているプロジェクトがありました。しかしながら、自分の立案した計画では納期に到底間に合わない旨の指摘を同僚から受けましたが、私は聞く耳を全く持たず半ば自分の意地で強行し、挙句の果てチーム全体に迷惑をかけてしまいました。そこには闇雲に己の芯を貫くのみで、信念のしなやかさや柔軟性、そういったものが明らかに欠如していました。私はいわゆる、俗にいうところの猫ですが、そこらの人間と比較にならぬ程の強靭かつしなやかな信念を備えています。最近、河川敷の原っぱで雑多な猫に鯖缶を分け与えて余生持て余す暇な爺がいます。私はこうみえても何者からか、何かを与えられて生きるのは好みません。だから御社に対してこうしてESなるものを書いている訳です。が、さてさて、話を戻しましょう。しかしですよ、あの爺の鯖缶は至高です。もう一度言いますが、至高です。至福です。至ります。致死です。私の信念を致死に追いやりました。致死ですよ?分かりますか?それ程絶品です。私のまけです

 

 

 

私がそれを読み終わったころには、彼はまた不規則的ないびきたてていた