瞼をそっと閉じる、そして、

何気なく、目の前の光景に申し訳なくなって、なんとなく居たたまれなくなって

彼女は両手を広げた。地鳴り、頬を伝う風、それは何故かこの緊迫した状況に見合わない爽やかな風、その刹那、彼女は、主人公たるやは、例のごとく、のっぺりした大地のその上空、宙を舞った。紛れもなく、彼女がポップコーンのように弾け飛んだのは、この無数の眼を持つ、王蟲様の大行進の最中にいたからである。ちなみに、彼女の名は、ナウシカという。

このとき、王蟲らを前にした彼女は(物語を私自身があまり覚えていなのだが)、何かしらの覚悟を持っていたのだろう。彼女の広げた両腕の意味するところは、王蟲らの人間に向けた怒り、それを受け止めるという意思も、勿論、あっただろうが。

ところで、私は先日、この師走の何たるゴタゴタやかましい時期に、オーストラリアに家族旅行に行ってきた。次、次回、機会があるならどこに行っちゃう?肉まんを頬張りながらぼんやり旅行ブログを漁っている私、あれま、こんな写真がしょっちゅう目に飛び込んでくる訳である。それは一言。ユウダイなケシキをバックにして両腕を広げる人々。そして、例にもれず、私も、私の家族も、ユーカリの薄い緑と無限の空の下、同じように両腕を広げていた。でもそこには、ジャパニーズがカメラを前にすると決まって取るピースサインに見てとれるような、湾曲的で不自然な強制力を感知することはできなかった。

私は、何か、この雄大な揺り籠に申し訳なくて、両腕を広げたことをまだ覚えていた。