隠す
この言葉はいかなるものか?
少なくとも此奴を見てポップでカラフルな感覚、網膜を刺激して止まない色彩は起き上がってこないこないし、内に秘めたるや何かに引火するような紅い燃えたぎる諸々を呼び起こすこともない。
隠、そこにはできるだけ遠ざけたい後ろめたさがただそこにあるだけで
おうおう、誠に、おもしろくも何ともないクソみたいな説法が始まるわけですが....
突然ですが
私(これを書いてるわたし)は何かを必死に隠す人間がとてもすきだ
寮の大浴場、デカすぎるそれがしを隠すがデカすぎるが故にデカすぎるそれがしがこんにちはしている状況の同部署先輩。
隠すという行為は色んな理由を持つ。
何者かに勝利する為に、或いは今の生活を穏便に進めていく為に。負い目を感じてるが為に。
この先輩は勝利を得る為でなく、真性包茎という世の中的にシンプルな負い目をただ隠す、という行動によって遠ざけたのである。
ここで我々が考えねばならぬのが、何故この先輩はブツを隠したのか??ということである。別にこの答えは難しくない。それは、この先輩が
真性包茎民族は世の中的に負い目として扱われる対象であるという価値観を持っているから。(真性包茎代表として登壇いただいた同部署先輩に感謝の意を差し上げます。)
価値観。よく見かける言葉ではあるが…兎に角ね、隠すという行動と隠した対象を観測できれば、観測できさえすれば、その人の価値観を垣間見る事ができるわけです。
ただこの価値観とやらをこの先輩はどこから運んできて自分の懐にしまったのか??
先程わたしは
世の中的に
という言葉を無意識に使ったけれど、そういえばそれは彼の価値観の出所でなく、私の、私自身のそれの出所であった。あれれ。
なんか話が逸れてきてしまった