憧れと恐怖の狭間

私には憧れがずっとあります。今現在はよく分からない、過去形で表現するのが適切かもしれない。憧れが始まったのは、それはほんの幼くして五歳、そこからずっと想い描き続けたウルトラマン、みたいなファンタジーチックで壮大な憧憬では残念ながらないです。今ちょうど出ててきたウルトラマンついでに幼少期(幼稚園くらい??)の自分語りをしておくと、観てましたウルトラマン、本当に毎週釘付けでした。

ただ毎週観ていてある一つのことに自分は気づきました。当事は明確な意識はありませんでしたが、あの時私は常に怪獣サイドの人間でした。

もう少しハッキリと申し上げますと、怪獣と正義が激突する際に私は常に怪獣を応援していました。今になって当事の私の心境を鑑みるに、ただ不憫だったのだと思います。毎回彼を引き立てて挙句、怪しい獣とかいうぞんざいな字を充てがわれる。合コンでいじられキャラを引き受けて周囲は彼を弄って盛り上がるだけ盛り上がる。結局、毎回お持ち帰りできずに虚しく俯きながらホームで電車を待つ怪獣を見てられなかったのでしょう。もちろん怪獣さんがやられるのはそれ相当の理由があって、遊園地破壊したとか大阪城ぶっ壊したとか、でも当時の私はそんなことはクソどうでもいいと思ってました。

私はテレビの視聴を終えた後、勝手に不憫認定した怪獣をレゴブロックでなるべく忠実に再現するという健気な、そして愚行にも似た行為をするのが日課でした。リビングから子供部屋に移動している間も、レゴを手に取るまでの僅かながらの時間も、先ほど脳に焼き付けた不憫なケモノたち、彼を頭の中からこぼさないように、決してこぼさないようにと一生懸命でした。理科系に進んで鳥人間をやったりエンジニアとして働いてるのも、この時の頭の中で描いて手を動かして組み立てるという行為に少々ネガテイブな表現ですが、障壁があまり無いから、かもしれません。

ウルトラマンの話から少し幼少期の話に飛んでしまいましたが、憧れにバックしたいと思います。(以前までは日記を書く際ある程度の話はまとめてから書くスタンスだったのですが......)憧れは単刀直入に私の兄です。一発成功した人間や有名人ではなく割と身近な五つ離れた兄でした。こういうのを確かロールモデルと巷では呼ぶそうですね。

私にとって彼は私の行動指針のほぼ全てでした。それは単純に、シンプルに人生楽しそうだったからです。中学生くらいから好きな歴史書をパンイチで一日中読み漁り、オタク友達と毎晩スカイプで朝まで喋り、高校は週二くらいサボって家の目の前のブックオフに居座ったり、ともあれば学者になるために客観的に見てもそこまで優秀な方でもないのに博士課程に進学したり...何というか自分の感情にダイレクトに舵を切ることができる人間でした。

兄はどちらかというと破天荒な方だったので、一般大衆社会を重んじる母親からはいつも厳しく叱られ、罰せられました。私は小学校から中学くらいにかけて、毎日のように兄が叱られる光景を見て育ちました。反抗する兄がレプリカの日本刀みたいなものが障子を突き破る光景だったり激しく口論する様子を見ていたので、気づけば私の心の中に占める感情は母親に叱られたくないという云々で覆い尽くされるようになってきました。

先程、私にとっての行動指針のほぼ全ては兄だと申し挙げました。しかしながら、結果として私は兄のような素直でそれなりの芯のある人間にはなりませんでした。なぜなら、私の行動指針が兄の行動であるのは事実だが、私が実際にいつも取る行動は「兄と真逆の行動」だからである。兄と逆の行動をとることが絶対的な案牌であり、母の逆鱗から逃れる安全地帯だった。それは確実に、穏やかなひと時を送れる何よりも信憑性の高い行動指針だったのです。わたしは怒られたくないあまりに、ロールモデルと常に逆のポジションを取って生きてきてしまったということ。わたしは少年期に母親の心情を正確に事細かく把握する能力、これを得たのである。