ミニ四駆屋行きました

以前もどこかに記したのだが、私といものは、この世に生を受けて以来といもの、憧れの触手を四方に伸ばしてきた。ほんの幼少期のころはウルトラマンに、小学生に上がるとあの魔術的に球を支配するロナウジーニョに、何があったか、私自身知る由もないが..中学に上がる頃はコミケに意気揚々出陣するオタクの皆さんに人間的興味が移り、大学以降はオタクを追って入った理系学部で出逢った人間に感化され、技術をあんなに楽しそうに語るオッサンたち、彼らに純粋な羨望を向けた。

こんな日曜の昼間の真ん中らへんにこんなつまらぬことを書き記しているのは、なんとなく、久しぶりに義務的で儀礼的なブンショから解き放たれたいと願う、わたしの無意識の衝動、その一派がどうにもならんくなったという半分の愚痴に加えて、わたしの憧れが次のステージに移行しつつある一つの変曲点を迎えているような、そんな感じを受けたから、であろうか?

この次のステージへの予感、それはきまって、これこれーーが引き金となる。これとは、あの無力感と諦めである。悪い意味での諦めではない。だからわたしもこの感覚を味わうまでは、自分は確実にロナウジーニョになれると信仰しているし、それは無力感が背後から襲うまでは、夢見心地、風なびくアルプスの草原を駆けずり回っているワケである。わたしはそれなりに内向的で自分を責めがちな人間であるが、一方ではトンデモナイ幸せもんである。

少々、立ち止まって考えてみる。

わたしのこれまでの憧れシリーズを俯瞰して共通項を見出したいが、ぱっと見、彼らはなんか、なんというか楽しそうである、わたしなぞが楽しいとかそういう言葉を発する暇もなく、四隅から純粋、溢れている。

 

一昨日、わたしは妻と友人たちと、飲みの席でミニ四駆を買いにいこうという運びになった。妻とわたしはわりかし新しい経験に飢えている人種であったが、正気に戻るや、友人たちはあまり乗り気とは正直言えなかった。(ほぼ強制的に道連れにした)

蓋を開けてみれば、もうわたしがここの文脈で事実を述べる必要は感じないが、彼らは私達夫婦の想像を遥かに上回る興味を示した。店内のミニ四駆コースに張り付く玄人に前輪駆動がー摩擦がー云々、ミニ四駆のテクノロジーに彼等は惹かれた。