腐らせたらよくないという発想

あらこんな時間!今晩のおかずは、えーっと、とね、賞味期限が明日の鶏のもも肉が冷蔵庫の中に鎮座しておったのでーこの鶏肉を使おう!

という脳の思考回路が開き、それは間も無く実行された。

人間とは、つくづく、成長できる生き物であるということを実感せざるを得ないのだ。というのも、わたしが何気無く今日行った行為は、かなり称賛されるべきことである。

・冷蔵庫を開けて、無意識に賞味期限をチェックした

・賞味期限切れは悪きものである。少なくともポジティブではないことを、というより、明かにネガテイブであると認識した。

・賞味期限が明日なので、この瞬間使うか、冷凍するかをせねば、ならんな。素直に思う。

上記のような判断、思考は、理性の賜物とか論理的思考とかの問題でなく、あくまでその人間の感覚の領域の話であって躾とか脳のいらん癖とか、要は癖であるのだ。今はこの例の癖を矯正している真っ只中なので、かなり称賛されるべき行為とかほざいているが、それが癖になってしまった暁には、何も感じずに私の前を過ぎ去ってゆくのだろうか。

そういえば、この癖という言葉は基本(悪)癖であり、(無意識下)に生まれるものを指すことが多いような感ずる。一方で、(グットな)癖は、習慣というような程度(意識的)に制御された、というニュアンスを含み棲み分けがなされている。こういう棲み分けは、(悪)癖である。

この悪たるや、(無意識下の!)習慣、ようは深いところに根付いた、賞味期限は悪きもの!とか、掃除機を3日かけんと身の毛がよだつ!とか、躾とかから来る慎ましやかながら地味でいい仕事をする奴らは、筋トレは人生豊かにするとか(たまにわたしもしてます)とかバレットジャーナルで日程管理して最高の自分精製しましょうとか(まえまでしてました)、そういう強い意志力が必要な度派手なハイカラさんの背後にどうしても、埋もれて隠れてしまうのです。癖という言葉が(良)をもカバーすることを願わんとす。