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赤羽の電光掲示板が高解像度であることに驚く。武蔵浦和まで埼京線にゆられ、武蔵野線に乗り換えた。豊橋で買ったピレーネなる菓子を頬張ったがやたらと美味い。

飛び乗った海浜幕張行きはいかんせん人が多いし乗客の面々も終始浮かない表情というか、彼らに生き生きした表情をされても困るが、表情以前に醸し出す雰囲気がもう死に絶えておる真冬の蝉のそれだった。

彼等には床に転がるオレンジが見えているのか分からないが、とりあえずわたしはそれがしっかりと見えた。

オレンジが一つ床にある。

これがオレンジかどうか断定はできないが、それに近い柑橘類の何かだろう。デコポンかと言われればそうかもしれないし、ただ、みかんのサイズではない。檸檬でもないだろう。確実に。

これが仮に檸檬だとしたならば、梶井基次郎の仕業の可能性が考えられるが、いや、彼はこんな武蔵野線の車両の床なぞに檸檬を配置するという芸当は、まずしないだろう。

車両が小刻みに揺れるが床のオレンジなるはそこに相変わらず微動だにせず居座った。わたしは終始そのオレンジがある床一帯を眺めた。

革靴らがオレンジを踏んづけそうになりながらも、いつも寸前ところでそれは不思議と回避された。微動だにせず空間に張り付いたままのオレンジが革靴の奇襲を回避するという奇妙なる矛盾すら感じとれた。

でも恐らくこの矛盾は嘘で、革靴の主たちはオレンジの存在をしっかり認識して避けているように思う。

 

 

先程乗った新幹線でeggなるギャル雑誌のyoutubeチャンネルに、わたしは釘付けだった。

わたしの中での認識ではギャルというのは、陰キャに関わらずなぜか阿保みたく敵陣まで攻め込みまくって成った突然変異種みたいなものだという今のところの見解なのだが。

ギャルなる存在とこの孤高のオレンジが奇妙にシンクロしながら、いや物理的にはギャルは孤高ではないのだが、とにかくこれらがわたしのギャル像を静かに醸成していった。