3・8

炬燵の中に足先を突っ込んで眠っていた。これは昔からよくやることだったので、とくに不自由は感じない。寧ろ心地良さすら感じる。

大学時代によくサークルの代表宅でこの炬燵寝法なるを習得済みという訳で。

妻の足が眼前でバタバタしてるが、これでもどうやら寝てるらしい。どんな夢をみているのか、わたしの想像力では正直なところ追いつかないだろう。

これまで度々、妻と朝方にみた夢の話をした。人の夢の話ほどしっくりこなくてつまらんことはないと思う程だが、正体不明の引力に惹かれて聞きたくなってしまう魔性の文学かもしれない。

 

出汁の香りが部屋に充満してきて、完全に目が覚めた。妻も起きていた。バタバタしてたのは確信犯をやっていたのだろう。

机にお吸い物が並んだ、我々夫婦よりふた足くらい早起きした妻のお母様が用意してくれたものだ。

たいへんありがたいおはなしだ。

お母様は麩が想像以上に膨らんだといった内容の悲鳴をキッチンから発した。妻は「だから言ったじゃん↑?お麩は袋全部いれないでしょ普通、昨日いったじゃん」みたいにたしかギャルっぽく言った。

ごめーんとお母様は謝った。

確かにお吸い物にしては麩の体積が半端なかった。

お麩  in  お吸い物

が、

お吸い物  in  お麩

という逆転した構図を取っており、わたしとしては何ともこれが新鮮で、朝っぱらからたのしかった。


そういえば、スシローに妻と3時くらいに足を運んだ。クソみたいな時間のせいで寿司が全く回転してないし、頼んでもいつものスピード感は影を潜めた。

わたしはウニラーメンとやらを頼んだのだが、それも

ウニ +  麺 in  汁

という構成を勝手に期待していたのだが、手元に来てみると

ウニ  on  麺

というそれだった。

わたしは朝の微妙なデジャブ感をほくほくしながら食べていたのだが、よくよくタブレット端末をみるやその商品は「油そば」なる記載があった。

端末の写真はというとしっかり汁に浸かっている

ウニ +  麺 in  汁

の様相を呈しているだけあってそこは、名称と異なる捩れ国会状態になっていた。

ただ、その混乱のお陰でわたしは今朝のデジャブ感に入りびたることができた。愛でたし愛でたし?

 

ただ、これらの混乱はわれわれが麺には汁がお吸い物は汁が必ずしも入っているという暗黙知がわるさをしているといっても差し支えはないかもしれない。

わたしがメニューをチラ見して、脳髄反射的にウニと麺コラボを食いたいと願ってそれを頼む際、ウニ+麺→汁というものを勝手に創造してしまった。五右衛門がつまらぬものを斬ってしまったように、我々もついつい、つまらぬものを創ってしまう。

この瞬間も、わたしはつまらぬものをつくったように。