持続可能な朝ごはん SGMn

おはようから始まる朝は貴重だ。

人類はなかなかそんな朝にはお目にかかれない。目が覚めたときには、昨晩の酩酊の記憶が脳のうらでどんよりくすぶっていたり、脊髄反射的に風呂に向かったり、あるいは二回目の幸福に突入したり、そもそも独身貴族には不可能に近い。猫でもいればいいかもしれない。まあいろいろある。いろいろな朝のかたちがある。

朝の無数の可能性が、湯気のようにもわっとバックグラウンドに浮かびあがってロマンチックな色を帯びながら我々の目の前に出現する。というわけにもいかない。一日の始まりは大抵は渋い。会社に行きたくない。目ヤニで目が開かない。トイレに行くのが怠い。口の中がぱさぱさして深夜に口呼吸した己に自己嫌悪。胃の奥がなぜかキュルキュルする。日の光がまぶしい。もうちょい加減できんのかとキレる。

朝に見舞われる大量の鈍撃。悲鳴を上げる体力・気力すらない。歯向かうすべがない。受け入れるしかない。自然界の掟を悟るような感覚を不快に対して持たなければならない。すべての不快感覚を無に帰し塵とする最強の朝の麻薬【SGMn】がわたしの前に出現するまでは・・・

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名だたる料理研究家たちは簡単な朝ごはんを提唱した。鍋一つでできる。とかレンチンでOKとかそういった物腰の思想たちである。

わたしはそういったファスト手軽的思想を否定するつもりは毛頭ない。ただわたしと妻は旨いものを食いたいという欲望を持っていた。だから多少時間がかかっても究極にうまいものを追求しようと。

そしてその二年ばかりの追求の成果が【SGMn】である。

さば・ごはん・味噌汁・納豆

起源にして頂点。旨いの一言に尽きる。飽きない旨さ。毎日これでいい。この中のひとつが抜けても調和が乱れる。バランスが命である。SGMnは四人で一つということ。繊細な彼らは離散したNEWSのように活動を続けることは不可能。これは肝に銘じなければならない。逆に、欲を出し色気づいてここに一つアクションでも加えようというものなら、SGMn空間のユートピア的秩序はあえなく崩壊する。色気づくのはいけない。これ以上品を増やしてはならない。大事なことなのでもう一度言う。色気づくのは崩壊を意味する。足るを知る。

SGMnは最高に旨いというほかに持続可能性を約束する。というのも、コメを前日の晩に洗っておけば16分で完成する。手数も少ない。コメに火をかける。サバはグリルに突っ込むだけ。味噌汁は野菜を切って入れて味噌を溶く。納豆は冷蔵庫から出すのみ。

SGMnは我々の朝を保証する強力なウェポンであった・・・