夫婦喧嘩を書く

話は急なのだが。

 

ピカールという研磨剤がある。粘度が低くトロッとさせた歯磨き粉のような奴で、わたしはどういう訳か、食器棚のザラザラした金属板を無性にところ構わず磨きたくなった。

 

暇だった。

 

磨きたくなったので、磨いたしまった。磨きたくなったという衝動と行動の間には殆どラグがない。

 

気づいた時には磨き始めていた。スポンジヤスリで研磨液を伸ばしてシャッシャと手を動かした。

 

綺麗になっていく感じがない。

 

それどころか黒く鈍い風合いのテカリかたでこれは何とも取り返しがつかないことをしてしまった。

 

という云々を妻に報告する暇もなく、妻が現れた。

妻は放心状態で泣いてしまった。アンタはアンタの自転車にワタシが傷を付けたことを今でも散々に言う癖に、私がいつも綺麗にしている10万の食器棚をたまたま何を思ったかワケワカラんことをやりだしたアンタがめちゃくちゃにした...と。

 

という妻の様子をみて、流石に申し訳ないと思わずにはいられなかった。ただヤスってしまったものはもう戻ってこない。どんより端の方だけ暗い金属光沢を放っているのが分かる程度だ。違いに鈍感な私でも、それを理解することができた。

 

そして妻はかなりのところ、口を聞いてくれなくなった。

 

わたしはこの文章を書いている時点で、私自身反省というものができていないのだな、ということを何となく知っている。だからこれは私の愚痴の吐ける為に書いた文章でもあるという点で、本当に低俗なものだと言える。

そんなを理解しているから何なんのだよ!!と言いたいけど要は、私は自分は理不尽な目に遭っているのではないか?と心の端々で思ってしまっており、それを止める事が叶わないということで、そもそもそれを止めようとする努力が私なる人間の端的な限界、それを物語っているに過ぎないと思う。

 

この世は基本的に不条理だ〜。みたいなチープ・カフカみたいなことを自分に言い聞かせても気は楽にはなれない。どっちもそれぞれ不条理だをやっているのだから。YOUアナタも不条理?ワタシも不条理?OK(おーけー)でもことは通用しない。火に油を注ぐ。だからどうすることもできず数年前からやっているこの日記なるに記録することしかできない。インターネットの海にコンクリートをしき詰めたドラム缶をぶん投げて沈みゆく様をぼやっと、ただ眺める。

 

眺める。

 

たとえば妻に反論しても確実に勝つのは不可能だ。頭の回転の早さというてんで軍配が上がるというのもあるが、相手の文と文を繋ぐその緩いとこを引きちぎっても、妻がキレているという事実にはあんまり関係がないように思うので、反論しても無意味なように感じてしまう。からだめなんだろう。

 

というのもあるが、やっぱり亭主関白をたとえめっちゃ乱用できたとしても、思考の速度で敵わないし、なにより面倒なのだと思う。

 

ただ、面倒なのだろう...

 

これ以上はない。そして私が反省をせぬまま負けを認めて夫婦紛争は終息する。そして行き着く暇もなく論理哲学論考を読んでしまう。なんのこった全くわからない。ここまでわからないと逆に清々しいとも言えるような。言えないけど。

ツルツルの世界。そう著者のウィトゲンシュタインという人は表現した。ザラザラの世界という上記のわたしのような、研磨剤を食器棚に使用してしまった世界。その世界を駆けずり回った後はツルツルの世界、カッチリ固まった理論っぽい世界がさも恋しくなる。研磨剤を無意識にも使ったのは、ツルツルの世界へ行きたかったのかもしれない...

ツルツルへの衝動。異国の地でふと味噌汁を欲する。そんな感じだろうか?(渡航歴なし)