神楽坂

神楽坂を、私は歩いていた


そのゆっくりとした歩みは、四年間の永かったここでの生活、それを思い起こすようであった。昼下がり、この時間帯は奥様方の集団がポツポツと、狭い路地に力強い歩みで、そして大きく繊細そうな笑い声を振り撒いていた。


私はちょうど腹が減っていたので、何処かの店に入ろうかと彷徨っていた。この坂を歩くことも、もうそう無いことだと思うと、少し粋な店でランチでもと思ったが…それは財布が許さなかった


辺りをぐるぐると、見回していても、特に思い入れのいる店や食べたいものも見つかる事はなく、とうとう坂の下の交差点のところまで下ってきてしまった


妥協に妥協を重ねた私は、結局銀だこに入っていった。というのも、たこ焼き8個入りが200円引きだか何とかだった


この店は、中が立ち飲み屋のような空間になっており、勿論テイクアウトも可能だった。お持ち帰りのお客は外に二、三人の短列を形成していた。坂の上から吹き抜ける冷たい風と、陽の光が差し込まないこの坂特有の日陰、それが相まってもなお、たこ焼きを待つ彼等の熱に自然と、私は惹かれたのかもしれない


そんな彼らを横目で称賛しつつ中に入ると、二人掛けの椅子と小さな丸テーブルが縦に、ズラリと並んでいた。右手には、透明なガラスを挟んで、無愛想な厚化粧のねぇちゃんが淡々と、銀の串を両手に小球を巧みに廻していた


私はてきとうな席、この女の仕事振りを望める席に腰を下ろし、テーブルを挟んで向かいの椅子に鞄を置いた


店内は、OL二人組と、ほぼ私と同時に入店した爪楊枝を口に挟みながら競馬新聞を広げる中年のおっさんとだけだった


「あれ、私達忘れられてるかなー

「いやー、でも流石にこの人数だしそれはないっしょ笑


OL二人は言った


話を聞いていると、この二人はもう随分待たされている感じだった。私はガラス越しにたこ焼きを焼く女の他のもう一人の男店員に声をかけて、至極シンプルなたこ焼きを注文した


別に私は時間があったので、時間がかかるのは承知で本でも開いて待っていようと思った


それから少しして、奥の競馬新聞のおっさんが男性店員を呼んだ


「すみません、たこ焼きを一つ。今安いんでしょ?

「はい、たこ焼きの方ですが…少々お時間の方が…かかってしまうかもしれませんが…

「別にいいよ、それは


そう言ってまた新聞を広げ始めた


私はこの会話を聞いて若干得をしたような気になっていた。というのも、私にはこの店員から時間を要することを告げられなかったからであった。競馬のおっさんより少し早く注文した私が、次回の焼けるタイミングにギリギリ滑り込んだといった具合であろうと思った


OLのところにもたこ焼きが運ばれてきた。OL達は、これは二人で一つで正解だったねと楽しそうにお喋りしながら、丸々したそれを幸せそうに口に運んでいた


それから少しして、男性店員がお盆にたこ焼きを二つ乗せて此方に歩いてくる。その一つを競馬新聞の前に置くと、私の方に向かってきてそれを差し出した


その瞬間、空腹を満たせる喜びと、何かに納得しない心のわだかまりのようなものを明らかに私は抱え込んでいた。


一瞬で平らげた私は、店を出ると速足で交差点に出た。赤信号、その待ち時間はいつもより永いものに感じた。