飛田新地でソーセージパンを知った。

冷たい北風が吹き抜ける中、友人ら3人と格子状の通りを気の向くままに歩く23時。月曜にも関わらず通りは人で賑わってる。春休み中なのか大半は大学生のグループだろうか。

わたしは、友人らの陰になって後ろからついていった。遠くでまるい月が綺麗にきらめく。その淡い光は目に左右から絶えず飛び込んでくる白壁とピンクネオン色よりさりげないものの、わたしの黒い陰を余計引き立たせるようで、なんだか怖気付きそうになる。

あぁ。

憂鬱だった。不安でもあった。だからさっさと入ってやる事やってボロ宿に戻ろう。たかだか、15分きりの辛抱である。

わたしは、風俗に行ったことがなかった。

番頭の女将さんの手招きが左右から放たれる。お兄ちゃん決めちゃいなよー。熟れすぎたしわがれ声も飛んできた。わたしは声の主に視線を移す。捉えたのは、たぶん安心感のある現実的な更年期むかえた女性だった。この人はわたしの世界にちかい存在。近所のスーパーに夕方過ぎに行けば、値引シールが貼られた惣菜をじっと凝視している、あの存在に近い。ありふれている。むしろありふれ過ぎており、この場に似つかわしくもないような気が起きる。

そう思ったときには、移った視線がすでに女将にないことに、わたしはきづいた。

白色七難を隠す、と妻の祖母がよく言っていたのを耳にしたが、これがそれだと理解した。女将の脇、店先の玄関のところにちょこんと座っている存在があった。視線がすぐに合う。にこりと笑って首が微かに傾いたかと思えば、細長い指が揃った手のひらがゆらゆらと海底のワカメのようにしなやかに揺れていた。人形。

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「ちょまっ!て」

と言ったときには、すでに遅かった。20分コース16000円が開始されてから、どれ位時間が経過しただろうか?たぶん経過したのは数分だ。わたしは果てた。どうしようもないあの脱力感に苛まれながら、天井を仰ぐ。

室内はやたら乾燥していた。口と喉がパサつく。部屋には薄桃色のカーペットの横に布団が綺麗に敷かれていた。真っ白なシーツ、その上にわたしは仰向けで寝ていた。壁には墨で裸の女が描かれた掛軸のようなものがある。

すみません。さっきのお茶いただいていいすか?

わたしは横にいるお人形さんにそう告げると、にっこりして、まっといて下さいな、と言って部屋を出ていった。

ふぅ。わたしは何かを成し遂げた後にする溜息をした。部屋でひとりになってすこしだけ安心したのだろう。壁掛けのデジタルのストップウォッチを一瞥する。実家の風呂を沸かすときに使う百均のタイマーを思い出す。まだ5分しか経っていない。よって、残り時間は15分もあるわけだが、わたしは何をすればいいのだろう。とりあえず、布団の上に仰向けになったまま、お茶を待った。

喉が渇いたのだ。

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すこしすると、引き戸を勢いよくひく音がした。お人形様が黒い漆の盆にお茶を乗せて布団の脇まで来てくれた。そのまま、すこし屈む格好になってわたしに湯飲みを差し出した。

どうも。

わたしは仰向けになったたまま、みぎ腕をメビウスの輪のように奇妙にくねらせながら、湯呑を受け取った。受け取ったそのいきおいで、布団から起き上がろうとしたとき、左脇腹に激痛が襲う。つった。うっ。と何故か湯呑みをもった右腕で脇腹を迎えにいこうときには既に遅かった。

わたしの身体の反射が炸裂したときには、それはもうほとんど声にならない悲鳴に近かった。裸の地肌にアツアツの茶をぶちまけたわたしを、お人形さんは横でおっぱい両対ぶら下げて正座してそれを見ていた。

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大丈夫?

と一応心配されたときには、お人形さんはゲラゲラ下品に笑っていた。でもその笑いには優しさが含まれているようだった。

大丈夫大丈夫。前にもこういうお客さんいたんだよね。ちょっとまっとって、氷持ってくるわ。こういうときは、アイシングが大事だから、ちょっとまっとって。と二度同じようなことを反復してから、またバタバタと部屋を出て行った。

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それから、わたしのお腹らへんには、氷がどさっと入った「玉出」と書かれたスーパーのポリ袋が当てがわれた。

なんだかすみませんね。ちょっと起き上がるとき、カッコつけちゃったみたいです。無意識のうちにですね。見栄みたいなやつです。普段使わない筋肉を使ったからツッチャッタんですね。まぁよくあるんです。あと冒頭にも申し上げたとおり、初めての風俗で緊張があったのかもしれません。

いや、でもアソコはほんとうにご立派でございましたよ!とくに根本。

と不意をつかれた股間フォローを受けたが、何かこちらがそれを言わせる流れを作ったようでかえって恥ずかしくなる。山本(もと)だけに?とテキトウなよく分からないボケをしたことが少し悔やまれた。

話をこの件からずらす為に、お人形さんに晩御飯になにをたべたか?とりあえず聞いてみることにした。

「うーん。ご飯はまだかな。めっちゃお腹すいとるよ。あーでも、今日は割りかし食べとるなぁ。あれ、ソーセージパン!ソーセージパン!二つ食べたねん。3時くらいだったかな。だからそこからはいままで何も食べてないんよぉ。でも、お昼はビーフカレー食べた、と思う。」

「ソーセージパンってあれですよね。ホットドックのことですよね?大阪では、ホットドックをソーセージパンと呼ぶのでしょうか?」

わたしは丁寧に質問をした。日本のことを知りたくてたまらない外人のように。すると、

「ホットドックはホットドックで別や。別別。ホットドックはあのパンに切れ目が入ってて、そこにボーンってソーセージが乗っかってるアレやろ?それはソーセージパンではないんや。それはホットドック。でソーセージパンはこう、ソーセージがあるやろ?ソーセージパンはソーセージを中心にして、パンが螺旋状にトグロまいとるやろ?あれや。あれがソーセージパンであんたが勘違いして思い浮かべてるのは、それはただのホットドック。理解できた?」

「あのすみません.....ちょっと、あたまを整理させてください。」

ヒリヒリする脇腹のうえの氷が冷た過ぎて嬢の説明がなにも頭にはいってこない。さらに傾聴に集中できないのはわたしが賢者モードであることも無関係ではないようだ。さっき飲んだハイボールのせいで頭もガンガンするし。

「ごめんなさい。まだ、わたしの中のソーセージパンが一向にホットドックのままなんですが....。すみません、もう一度、違いを説明いただけないでしょうか?....」

そろそろ頭をそこらへのテーブルの角に打ちつけたくなったところで、二対のおっぱいをぶら下げたその生命体は口を開いた。

「わたしの指、これあるやんか?これソーセージな?これをソーセージとまず思っとって。で、このソーセージの周りにぐるっとパンを巻く。これが、ソーセージパンやわ.....で、」


このあと、同じ問答が何度か繰り返されたあと、ストップウォッチはケタタマシイ音を鳴らした。

 

20分が経過した。