浄化

妻がマクドナルドでパートをしているので、その送迎をかねて家族3人でついでに昼食をとった。

娘が注文するものは決まって毎回ハッピーセットだ。われわれ親は考えることから逃れるように、セット内容は牛乳/ナゲット/サラダという使い古したフォーマットを繰り返し使用する。ハッピーセットといえば、その肝は明らかにおもちゃが付いてくることだろう。大人の都合で<付属する>という表現を使うが、子どもたちにとってはおもちゃこそがハッピーセットの全てであり付属物などでは決してない。そして、大人にとっても同様の事情が起こり得ることはわたしの妻をみればわかることだ。

今回のハッピーセットは、妻が欲しくて狙っているおもちゃがあるらしい。注文する前にそのプロモーション動画をわたしに見せてくれた。

- YouTube

我々夫婦はプリキュアに相当疎い。幼少期も観たことはほとんどなかった。学生時代に理系単科大学というプリキュア好きの多い特殊環境にいたが、それでも「女の子版の戦隊モノ」くらいのイメージしかもてていなかった。この事情は妻も同様のようだ。にもかかわらず妻はこの「まわる!フレンドリータクト」に取り憑かれてしまったようだ。紹介動画のなかでは

ガルガルを浄化しよう!!!!

という文言が出てきた。30歳の妻はどうやらこの「ガルガルを浄化する」というパワーワードに魅了されているようであった。横で一緒に動画をみていた2歳娘にも「ほのちゃんも浄化するー浄化したいのーじょうかしたいのー!!」とテーブルをバンバン叩きながら大層ご満悦だ。水曜の昼間からここまでハイテンションな家族をマクドナルドであまり見たことがない。

ふたりが謎の盛り上がりをみせるなかで<ガルガル>という存在者にわたしは想いを馳せた。その存在者は主人公プリキュア?にとって<不純>な存在であることが、積極的に<ガルガル>を浄化しようとしているその姿勢から理解できた。仮にガルガルが不純でなければ、不純でないものを浄化しようとしたという点で、プリキュアは主人公でありながら、明らかに判断ミスを犯していることになる。

さて、<浄化>というと、わたしは哲学者のニーチェを頭にイメージした。ここでニーチェにとっての<ガルガル>とは何だったか?少し長く退屈な引用をしてみよう。単刀直入に言えば、ニーチェにとっての<ガルガル>はニーチェ以前の哲学の思考法の前提である。

最高の価値をもつものは、もっと別のところから、固有の源泉から生まれるのでなければならない。──移ろいやすく、人を惑わせ、欺くような取るに足らぬ世界からは、狂気と欲望の混乱のさなかからは、そのような最高の価値をもつものを導きだすことはできないのだ! そうではなく、存在の母胎のうちに、移ろうことのないもののうちに、隠された神のうちに、〈物自体〉のうちにこそ──その土台が存在するのでなければならない、ほかのどこでもなく!」  ──このような判断のしかたこそが、哲学に固有の先入観を作りだすものであり、こうした判断方法によって、あらゆる時代の形而上学者をすぐに見分けることができる。このような価値評価の方法が、彼らのすべての論理的な手続きの背後に潜んでいるのだ。

光文社 善悪の彼岸  

最高なものは隠されていたり、固有の源泉から生ずるetc..という先入観しかもたず、邪悪なもの/狂ったもの/隠されていないものには見向きもしない哲学者たちをニーチェは痛烈に批判した。ニーチェにとっての<ガルガル>は<ピュアで端正なものを真理だと思い込んでいた哲学者たち>なのである。ニーチェの手元にフレンドリータクトがあればすぐさまカントをはじめとするこういう種類の人たちを浄化して回ったことだろう。

そんな下らないを妄想していたら、妻が食事を2階に運んできてくれた。ありがとうございます。とんだ亭主関白である。

これでガルガルを浄化できる。

妻はハッピーセットを2個買っていたこともあり、ガルガル浄化装置を手に入れることができた。(確率にしたら2/6だったので、それでも結構運が良かった部類だ。)待ち時間に今回のハッピーセットの教育的な意義について記してある箇所を発見した。

第1弾のなりきりのおもちゃでは、プリキュアのポーズやセリフを演じて表現したり、プリキュアになりきってストーリーを想像したりする「ごっこ遊び」を通じて、言語や社会性、感情などの表現を豊かに育むことができます。

マクドナルド公式アプリより

さっきのわたしの暇つぶしはフリードリヒ・ニーチェごっこ遊びであった。確かにプリキュアになりきってそのストーリーは想像していないが、わたしの気分はニーチェだった。それこそ大船に乗ったつもりで近代の哲学者たちの高みに立ったような、不思議な高揚感を得ていたのだ。危険な高揚感である。娘には確実に薦めることはできない。

このハッピーセットは本来は「表現や社会性を豊かに育むこと」なので、拡張され肥大化したごっこ遊びは明らかに毒であり、やはりプリキュアのストーリーにそって浄化を進めていくのが目的に適うだろう。