身体が鉛のように重たい。
これが労働の疲れかと思うと、もう金輪際、今後は疲れてたまるもんかと思いつつも、明日になればどうせ身体は元通りになっているので、どちらにせよ、また、働いてしまう。
自分はこうして椅子にふかく座ってじっくりと噛み締めながら疲労を感じているときは、全体的として、別に不幸なわけではない。むしろ、ゆっくり休みながら、疲労を客観視するこのプロセスそのもには快すら感じるものだ。これは、疲労状態で身体や頭を動かすことが辛いのであって、疲労そのものは、比較的苦ではない。
さて、わたしがこんなことを言いだしたのは、仕事を始めたことに由来する。一年余りの休息期間が終わっていまは、疲労を噛み締めるまでになったということだ。
こんなことは、まずあり得ないことだった、と言いたい。もういちど重ねるが、一年前から考えたら、あり得ないことが自分の身に起こっている。
そういう意味で、二重の意味でも疲労を噛み締めているのかもしれない。