こんばんは山本です
この仙台に来てからもう少し経ちますが、向こう(東京)とは時間の進み方、これが異なるように感じます
なんと言うか、時間が早く進行すると言ってしまえば、それまでなんですが…
これについては、明日明後日位に纏めたいと思います。とりあえず、今日は寝ますおやすみなさいませ
こんばんは山本です
この仙台に来てからもう少し経ちますが、向こう(東京)とは時間の進み方、これが異なるように感じます
なんと言うか、時間が早く進行すると言ってしまえば、それまでなんですが…
これについては、明日明後日位に纏めたいと思います。とりあえず、今日は寝ますおやすみなさいませ
わたしは、駅へと向かう大通り、青葉通りに面する大きなカフェにいた。店の中は結構な人で賑わっていて少し煩いくらいだったが、わたしはこの位が好きだった。広い木目が強調された机に分厚いノートパソコンを置き、来週、明日から始まるであろう新しい研究テーマの下準備を、横にあるアイスコーヒーを時折口に運びながら、軽い和やかな気持ちでやっていた
ちょうどお昼に入ってから、4.5時間経ったということもあってか、空腹感が急に目立つようになってきた
わたしは、特にこれといって何も考えずにバックから財布を取り出して立ち上がろうとしたが、何かがわたしを引き留めた。少し立ち上がったまま、まるで貧血を起こしたかのように、粗めの布地のソファに吸い込まれていった。崩れたわたしとは対照的に、眼前に家計簿と思わしきものがゆっくりと起き上がり、ごく簡単な、当たり前のような計算が展開されていった。
結局、わたしが腹を満たすために、列の後ろに並ぶことはなかった。このことは、明らかにわたしの生活に対する責務から産まれたものであるのは言うまでもなかったが、それ以上に気になったことがあった
それは、以前のわたしが、故意に打算的な性格を持った行動を避けていると感じた点であった。兎に角、やたらと自分は、自分自身を運命という名の大河に、その大きな流れに身を任せることに美徳を感じていたし、少なからず、それに酔っていたのかもしれないと思った。というのも、周りの人間が必死に、大河を漂流する小さな木々に捕まっている姿を、嘲笑さえしていた気もしたからである
そんなこんなを考えていると、外の空気に触れて少し体を動かしたくなったので、わたしは小さなお盆に乗った空のグラスを、返却口にそっと置いて外に出た。ここが通りの商店街ということもあって、学生やら家族連れやらで賑やかにしていた。向こうの、遠くの西陽が、夏に渇いた喉を流れる麦茶のように、微かな潤いを与えたくれた
ダイエットとか、そういう多少なりとも苦痛の生じるものを成功させるには、当たり前だけれどそれに見合う動機が不可欠だと思う
冒頭に言った通り、わたしは筋肉に興味が無い、全く。そもそも「夏に向けて筋トレをする」という世の男どもの発想すら、ただの無機的な文字列としか捉えられなかったし、そういうのに情熱を燃やす友人の熱意こもった演説を前にして、ようやく僅かなイメージが湧いたたけだった
そんなわたしが筋トレを続けていけるのか?これだけ聞けば、まぁ不可能だろう
ただ、ただ、わたしにも意地があるから、一回始めたからにはやり続けようとする。一度、一定の初速を持った車輪は何処まで進むのか?この慣性的な力が、勢いが、モチベーションになり得るのか?
少しばかり、この実益のほとんどない筋トレを通して、自分の無意味なものへ向かう意地とやらを、何日か検証してみようと思う
いつ、雲間から光が射し込むのだろうか?そんなこんな、わたしは石巻を経由して、女川町まで来ていた。その女川、駅舎を出ると海に向かって真っ直ぐと続く、几帳面に煉瓦が埋め込まれた幅広の道、その両脇には黒い瓦の屋根に統一された八百屋から、郵便局、小洒落たバーまでがずらり、並んでる。
この煉瓦作りの真新しさを感じさせる道をお散歩していると、魚市場の中からわたしの半分の背丈もないくらいの、頭が身体に対してややアンバランスさをまだもつ少年がきゃっきゃ笑いながら、飛ぶような勢いで道に出て来た。煉瓦に立つ彼のその眼に、わたしは明らかに吸い込まれ、前から強く吹く新鮮な潮の香りを含む風と相まってか、まるで彼自身が、この街の象徴のように…真新しいこの建物や道、電柱、道路総てを代表しているかの様に感じられなくもなかった
そうこう散策をしていると、雨がパラパラ疎らであったが、雨宿りという意味も込めて、近くの駅舎の二階にある銭湯に行こうということになった。わたしは銭湯で烏の行水を終えるや、更衣室の出て直ぐにある二十畳くらのたたみのスペースに来ていた。その空間は地元の人間が集う場所になっており、海やわたしが乗って来た仙石線の線路が続く山の方の景色を望むことができた。しかし、誰も外の景色などみる者はおらず、持参したお握りだか、惣菜だかを窓際にある電子レンジまで熱心に運んだり、生ビールを豪快に飲むもの、またある者は、テレビの横ある座布団を大雑把に二、三枚引き抜いて、楽天の試合だかを観ながら、それを敷いて昼寝をしたりしていた。
わたしも気がつくと17時で…というのも完全に彼らの空気感に浸っていた。自分の背丈分の座布団、それはそれは、旅の午後に相応しいひと時ではないだろうか!!
こんばんは!
明日は少し出掛けてこようと思います。正直そこそこの時間が掛かって、遠くに来たぜという実感を与えてくれる場所であれば僕は何処でもかまいやしましぇん
何かてきとうに本でも一二冊持って、電車の中で読むんですがね。たまに集中がプツンと切れて顔を上げると向かいの人の背後の窓からは、見たことあるような、はたまた無いような、そんな退屈な景色が広がってるんですよ。でもそんな退屈な、月並みの外の世界を見て、また手の中の本に返ったりしながら、気付いたら目的地なんですね!
後で振り返ると、きっと本の内容なんか記憶の片隅にもないですが、…あの時間は、あのひとときはとてもすきです
家に着くや、朝付けっ放しで出ていった玄関の換気扇を止めて、ほんの目と鼻の先にあるワンルームの部屋に、光を灯した。ふわりと光が私の眼に入りこむと、そこに部屋が現れた。てきとうにコートをハンガーに掛けて、流れるように電気ケトルのスイッチを足の指で押してから、すぐにテレビのリモコンを手に取った
電源ボタンを押そうとすると、親指の爪が長いのが急に、妙に気になった。自分の手を目の間近まで持ってくると、明らかに、右手の親指の爪だけが、不自然な異彩を放ちつつ私を見つめているのがみてとれた
私は、爪切りを引き出しから出して、ティシュを何枚か無造作にとって座り、膝の上にふわりと乗せた。それから、爪切りの刃を指の肉と爪の間とに滑り込ませて、力を加えた。
そのまま両刃を押し込むと、厚みのあるその爪は少しばかりかその身をたわませながら、上手くやり過ごそうとしているような、そんな感じにさえみえた。それでも私は自分の、たかが爪などに対して一切の慈悲など当然ないから、ただただ力を込めた。冷たく銀色に光る刃が徐々に、ゆっくりと爪に食い込むのが分かった
ちょうどそのとき、テレビの奥の芸人か何かが春の俳句を一つ詠んだ
うららかな からっぽの 校庭のねこ
その俳句自体は正直なところ、私自身に何の感動も与えなかったが、うららかなという一つの言葉だけが、私の心を撫でるように、やさしく吹き付け、心地の良い余韻を少しばかり残したのだった。
上にひとが越してきた。
いや、実際に会ったという訳ではないが、わかる。上で床が軋む音、水が水道管を流れる後、蛇口をキュッと締める音、換気扇が回る音。
そういった様々な、雑多な音が私の中で徐々にかたちになっていき、少しずつ、その人の輪郭を形成していくような感覚に囚われるものである
そもそも、上でうごめくのは男なのか女なのか…もっとも、それが人なのか、私の知るよしもないが…仮に人間でなくても、さしも驚かないかもしれない
この限りなく近く、限りなく遠き存在に想いを馳せながら就寝すると、朝の鶯の鳴くのを聞いて目が覚める。そんな四月。
先程、大学院の入学式に出席して来ました。正直なところ、私は学部生では無いので参加する意義というのはあまり、感じられ無いのですが家に居るのも退屈、ということも手伝ってか出てみることにしました
式場は仙台市の体育館??で華やかに行われました。会場の周辺は人と人と人。私自身、学部時代は理系の単科大学だったので、今まで感じる事がなかった、あのしつこい、ねっとりした熱狂に久々に触れるやいなや、早足で新歓地帯を駆け抜けて、ホールに入り席に着きました
式が始まると、ぐろーばる、やらなんやらの総長さんのお話がありましたが、話自体はスタイリッシュに纏まっていて、かつ爽やかな印象を残しつつ、静かに終わりました
その後、来賓の仙台市長の話が30分弱態度続いたのですが、周りが睡魔に突かれる最中、私は寝ずに最後まで、この小話に耳を傾けていました。
今思うと、わたしは、別に睡魔を我慢して一生懸命に、精力的に、この小皺が目立つ女市長の雑談を聞いていたのではない、ということ。寧ろ、自然に私の内に精製される好奇心の片鱗のようなものが、遠くの壇上にいる市長さんの言葉の一つ一つに目を光らせて、監視しているような気さえしたんです
私の18.19歳の学部一年生の時を思い起こすと、確実に睡魔に身を委ねて、両腕で頭を器用に支えながら、寝ていたことだろうと思うと、人間に対する興味が少し、前よりは増たのかなというようなことを思ったのでした
でも、人間に対する興味とも少し異なる、そんな印象も持ちました。なんだろうか、面白い事、楽しい事を見つけようとする無意識の執念というか、もしかしたら、そういうものかもしれない
こんにちわ、山本です
仙台への引っ越しも、色んな人のお手伝いもあってか(正直私はほとんど何もしていない)、一応落ち着いたこともあって、一人で占有するには申し訳ないような空間、この新居にて文字を刻んでおります。
身の回りのすべてが、一新されました。この無駄な空間、冷蔵庫、カーテン、机、いす、自身の心境までもが・・・それらに埋もれた私は、必死に、雪崩で雪に埋もれた人間が空気を求めるように、「変わらないもの」を求めてるように感じます
わたしは、今日は特に用事がなかったため、家にじっとしていました。実家にいた時から家に一日中じっとしている日は、「お昼は近所のパン屋に行く」というのが休日の私の慣例だったので、ここでの生活を始めた今日も、その慣習を引きづってか、パン屋に行こうと思ったのです
私は、てきとうに近所にでる簡単な恰好にコートを羽織って、外に出ました。
が、
そもそも、パン屋はどこだろうか?
手元の携帯で調べると、2.5km先の商店街に一つパン屋があるらしかった。少し遠いが、街の散策も兼ねてすこし歩こうか、という運びになりました。くねくねした坂を下って、何やらいろいろと考えを巡らせていると、思いのほか早くそのパン屋についてしまいました。
煉瓦造り風のそのパン屋は、小奇麗なビルの一階に位置しており、漠然と、繊細で清潔なイメージを私に与えました。この日の天気の悪さも相まってか、そこにさらに冷たく、冷淡な感覚も付加されました
あの、人が作り出す活気や、すれ違えないほど狭く窮屈な空間、薄汚れた外観、雨風にさらされて風化しつつあるあの看板・・・それを、わたしは思いだしておりました。
結局、私は店に入ることもなく、その場を後にしました。私が、雪に埋もれて窒息してしまった方が楽であることを、それを悟った瞬間でもありました。
私は家を出て、スーツケースを引きずっていた
スーツケースのキャスターが時折の急な凹凸に悲鳴を上げつつも、わたしの後ろをついて来た
少しして、そういえば朝飯を食ってないなと思い出したので地元の駅前のコンビニに入った。コーヒーの空のカップと、フィッシュバーガーを見知った店員から受け取ると、レジ脇の抽出機のところに移って、空のカップを置き、ボタンを押した。その間に、奥でatmを使っていた女が不機嫌そうな顔で大袈裟に、大股になってわたしのスーツケースを跨いで店を去った。
熱々のコーヒーを左手に、右手にスーツケースを引きながら自動ドアをくぐった私は、鈍より冴えない大気に身を委ねた…次ここに戻るのはいつだろうか、と