ぐぢゃぐちゃ好き

「そのときは、まだぼくが死んでるときだね」

と大層大昔、そんなようなことを二十年くらい前の僕はそう言ったらしい。母からそんな話をいつだったか聞いた。「そのとき」とは、まだ私が産まれる以前、すなわち平成五年以前の話を指しているのだろう。

今は随分マシになったけどね、とんでもなく馬鹿な基地外児だったとよアンタは、と、母から毎度のごとく聞かされた。母親談、を引用しまくる私だが、いかんせん自分が阿呆で問題ばかりを起こしていたという記憶という記憶が、一切ないので、しかたあるまし。ひとつだけ、現存する私の記憶を訪ねると、酉(とり)年生まれの私が同じ酉年生まれの爺さんからおまめぇはおれににてんなぁあ、そりゃ酉年だもんなぁおめぇもぎゃはははは、と孫の私の顔を見るたび言うもんだから私はどうにか曲解して、いつしか或る時に、自分はとうとう鳥なんじゃないかと、そう思うに至って階段を怒涛の勢いで四つん這いになって駆け上がってから爺宅のベランダから飛び降りを敢行したわたしは、あえなく、重力に屈して、ぎゃんぎゃん鳴いた。その後爺さんが母親から叱りつけられる様子をみてこの世の理不尽この上なき事を、知った。

わんぱくはさておき、ところでわたしは卵かけご飯が好きだった。卵かけご飯さえあれば、この先も、ずっと永遠、何とか愉快にやっていけると思っていた。卵かけご飯が当時のわたしの世界観だった、少なくともそれに似た何かを形作っていたように思う。真っ白なご飯と鮮やかな黄色卵をぐぢゃぐちゃにして、これでもかという程に混ぜて、交ぜて混ぜた。生きるとか死ぬとか、赤信号とか青信号とか、男とか女の子とか、ブックオフとか駅裏の霊園とか、そういうものも、全てがぐぢゃぐちゃの混沌の最中にあったかと、思う。