第2次パスタ欲(10年振り)

パスタ欲が滞りなく喉元から溢れ出てきてしまう。

いまパスタ以外に作りたいものがない。アラビアータ。それは気づいたら机にぽつん置かれている。アラビアータを作った記憶がないにも関わらず。

それでは何処からともなく延々、アラビアータが湧き出でる地点がこの築30年の木造家屋にあるかと問われると、私は特段それを否定する役を背負っているわけもないが、一応、それはありえんじゃないすかねぇ?と答えるだろうが、私はその真相については、実のところ何も知らないはず、というより全く知らないし別に知りたくもないが、知らないの。テキトウに無責任な発言をするのは失礼であるかもしれない。誰に対して何が失礼なのかはよく分からない。

失礼である。という言葉を使ってしまうのは昔の上司のせいであったりする。私は妙なところに拘るその上司が結構好きだったりした。外注の図面納品書の表紙に受領のサインをするのだが、そこにコメント欄が設けてあった。殆どの設計者は特にコメントすることもなかったので、その欄を完全に空白に遊ばせていたが、その上司はそれは失礼だから、と生粋の三河っ子の岡崎弁で真剣に私の眼を見ていった。それから私は、特に書くことがなくとも、外注先に向けて、素晴らしい図面をありがとうございましたとか、今後とも宜しくお願いします等、毒にも薬もならない言葉を小さい欄に詰め込んだが、そういう食玩的なオマケほどの言葉でも社会ないし人間関係を廻す潤滑作用があり、それを岡崎の上司はわたしに何としても伝えたかったのであった。

ところでこの無尽蔵たるやのパスタへの執着と情熱を何処に発散するべきか?それはパスタを作るという一点に向けるのが正しい真っ直ぐな仕方であるのは私も認識しうる限りなのですが、どうもそうも用意されたその円滑な因果をふつうに遂行できないという状況もあるのでして、それはお嫁様がパスタを毎食私が作るものだからもうこんなもん食いたかぁねぇと苦言を呈する訳でして、私としては、それがパスタ欲をパスタで直線的に回収できないというジレンマを抱えてしまっているということなんですね。

想えば、パスタは私が人生で初めて作った料理でした。サイゼにあるアーリオ・オリーオ的なものから始めた記憶が。きっとパスタって凄くシンプルで簡単で分かりやすいんですね、かつ炭水化物で腹も満たせて中学生くらいの頃から好んで作っていたのでした。その頃はパスタ創作欲をパスタ創作でまさに回収が可能だった非常に恵まれた時期だったとも言えるわけでして、その時代をなんとも懐かしくもなんとも羨ましく懐古するおじさんをやっているのですが、そんなことをしても私のパスタ欲がパンパンに膨れ上がる一方で、かつお嫁様のパスタへの飽きと怒りが回復するでもなく、ただただ虚しい気持ちに駆られるだけであるので、やめます。