食洗機を止めた

食洗機。いつもうるさいけど本当にありがとうな。うるさいけど感謝している。甘ジョッパイ正義のアメリカ食文化を感じる。ぅおおおおおんぅおおおおんと、彼は元気な声をあげた。

到底、声などというものでなく、ポンプと洗浄用のファンのモータがただただ煩い。それだけである。

食洗機の横で食洗機からあぶれた食器をだらだら洗っていた。背中越しに声がした。生後半年。愛姫ほのちゃんが腹が減ったとのことでミルクを作って欲しいとのことだった。それは大変。光速でヤカンに水を入れ、間髪せず火にかけた。

ヤカンに火をかけた後の動きはいつも決まっていた。半年間やり続ければ、特に何も考えずに自然と身体は動く。脊髄反射的とまで大袈裟なことは言えないものの、2対の眼球はあの透き通ったガラスの入れ物を確かにサーチしたはずである。

それは紛れもなく、あの哺乳瓶という容器である。この瞬間ばかりは私は哺乳瓶ストーカーであることを認めなければならなかった。哺乳瓶ストーキング山本生後28年間絶版男性が晴れてここに誕生した。お腹を空かせた姫のため地獄の果てまで哺乳瓶を欲し、無限に追尾する装置machineと化す。無論、哺乳瓶は自律的に移動することはないものの、哺乳瓶の現在置かれている状況。すなわち床に転がってあるのか?持ち運びの為のマザーズバックに入れたままになっているのか?はたまたこの荒れ果てた惨劇、台所の汚皿に埋もれているのか?謝ってピクルスのための瓶として用いられてはいないか?生花の受けになってやないか?もちうる限りの想像力をフルに活かし、仕事で持て余したイマジネーションをここに惜しげもなく注力する。

ぅおおおおおんぅおおおおおん。

ううううおおおおおおおん。ううわおおおん。

隣りで煩いながらも健気に仕事をする食洗機が相変わらずいつもの調子だ。ありがとう。本当にあなたには感謝しているんです。

ぅおおおおぅんんんうおおうおおお。

お??

うおおおおおん。ほにゅぅううううん。

ほにゅ??.....まさか....哺乳瓶、中、か。

刹那、食洗機は停止していた。止めたのは紛れもなく私である。部屋の中は一瞬にして静寂が訪れた。川のせせらぎでも何処からか聴こえてきそうだ。時間がゆっくりなった感覚に突然囚われた。

食洗機を停止してから、不思議と物足りなさを感じるのはなんだろう。何に対して物足りなさを感じているだろうか?まるで私自身も停止してしまったかのようだ。でも動いていることは動いているのだ。現に稼働していた食洗機から腕を伸ばして哺乳瓶を取り出そうとしている。

停止したもの。それはドライブ感。疾走感のようなもだろうか。食洗機の音は時間を進ませた。私の仕事はその食洗機の音に同期していた。ただ乗っかっていたのであった。乗っかって横で皿を洗っていた。

私はこの機械の環境音のおかげで進んでいた。自分で進んだ気になっていた。