とにかくあきっぽい人

今朝方、4日ほど留守にした仙台の自宅に戻った。

縮れた靴下らを洗濯機に放り込み、珈琲を淹れ炬燵に脚をくぐらして、沖縄旅の感慨にいざ、とぐーぐるドライブ上にアップされたアルバムに、なんとなく目を通しながら、片や朝のNHK情報番組に耳を傾ける。

 

ゲスト斎藤工が、豆乳狂信者として、その猛威を、列島全土の主婦達に向けて存分に振り下ろす。世の子育てから解放された主婦は、この豆乳の深みのある白はきっと、流るるように自堕落な日々を送る自分を根本から漂白してくれる救世主になり得る、と錯覚するや最寄りのスーパーに駆け出すのかもしれない。

ワタシの脳内に電流が駆け巡り、勢い良く玄関を飛び出すも、時はすで遅し。このスーパーには、あー豆乳がみあたらんわ。そっか、わたし以外にもそりゃね、全国区番組でしかも斎藤工だし、ね、ワタシは大してタイプでもないけれど。高々1軒目のスーパーで諦めたら、またわたしは韓流で日中を溶かしきるわたし戻るだけだ、と電動自転車に跨ると、左足でコンクリートを思い切り蹴り上げて隣の交差点のスーパーを目指す。駐輪場に到着すると、入り口付近から白い羽を携えた蟻のような、まさに群、壮観な群がドバドバと、途切れることなく流れでてくる。彼女らの両手には真っ白なビニール袋が握られているが、中身の程はここからは皆目、分からない。確認できるだけでは恐らく長ネギの青の部分が若干飛び出ている程度で、それは氷山の一角であるか否か、一角であったとして、あったとして恐らく残りの袋の中身は。そうすると、このスーパーも捨てかもしれません。いや、そもそもね、ワタシはさっきから頭の中を狂ったように豆乳豆乳豆乳とぐるぐる循環しているけど、豆乳と一口に言ってもどの商品を買えばよいのか?何も考えずに家を出てきたしかなり見ずだったと反省せなあかんかもしれません。と我に返り、身体は自然と家に向いた。

 

私は沖縄旅行の写真をみることに集中しようと、テレビを消した。突き動かされたような格好で何かを始めて、一瞬にして冷めきってしまうことを私はこれまで幾度となく繰り返したように思う。それそのものに飽きてしまうというより、現状に飽きてしまうのである。雍歯がぽろりと抜け落ちるのは下から永久歯が立ち登ってくるからで、雍歯自体の脆さはあまり関与しない。

もう何度もこの生え変わりを繰り返していると、自分の意思というものへの愛着、それが徐々に希薄になっていくのが悲しくもわかってしまう。