窒息

日々の日常というのは、こうも単調なのかとため息をつくことも、しばし。

いえに帰るや、わたしは手を洗いアレクサに部屋の電気を付けてくださいと、深々お願いをした。パッと灯がともる。わたしはソファに腰を下ろす。何のことはない。手慣れたものだ。

 

時として、日常という者は、可愛いおっとりとした面持ちを我々に晒しながらも、わたしの首根っこを掴むや水の張ったところに、決して抗えない力で押さえつける。

げぼぼぼおおおお、おぼu。DAZUKEDEGUDASAあああああい!!!!!!!!!

わたしは苦しゅうこと、苦しゅうことこの上ない。なんか知らぬが溺れている。こんなに可愛い娘?に殺されるのも悪くは無いかとか、そんな能天気な妄想に浸る余裕は一切ない。自然と身体のあちらこちらが、異様なまでの不揃いなリズムを備えて動く。声こそは響かないが、わたしは確かにタスケをよんでいるらしい。

そして、かようにして、わたしの頬あたりにエラが生えた。

晴れて、わたしは魚類か両生類だかの洗礼を受けてしまった。過去にメキシコサラマンダーの異名を持つ私に相応しい。ははは。これこそ、運命だろうか。どう肯定的に捉えても、エラはいらぬよ。ああ、先程までのあの苦しみはない。感謝すべきか。

 

日常というものは、わたしにとって、結局のところ、ドロドロしたきもちのわるい流れだ。

自ら不条理を叩きつけながらも、同時にそれに適応させるような力を、与えるのである。そう思うと、どこかもて遊ばれているかのような感覚に陥らなくもない。

この不吉な予感は、わたしを運命論者へと誘うのであろう。

 

この奇妙な力を、成長だ、と高々と主張できる人間に、わたしは憧れるのだった。