推し、皇帝

ヨガというものをご存知ない方はこの日本にはいらっしゃらないと思います。いてもいいんですが。

 

で、それで、これからしたいこととしては皆さんにヨガ、を薦めることです。推薦というやつですね。ヨガを推します。それでもって推薦するにも推薦するなりの理由というものが然るべくしてあると思うのです。白紙の推薦書では確実に入試に落とされますね。担任は生徒が昼休みの掃除を率先してました、とか、文化祭で夜遅くまで残って頑張ってましたとか、宿題は九割五分やってきてましたとか、書かねばならんのですね。ジャパネット高田も床に有象無象の屑をばら撒いてその吸引力を誇示するパフォーマンスをしますし。だからこう、ヨガの隅から隅まで包括的に満遍なくちょっとしたアクセントを足しながら素晴らしさを皆さまに伝える、というのが推薦するということの意味だと思うのです。当たり前ですね。

ただ、ものごとはどうも上手くは事が運ばないのが常でして。ヨガの推薦文を記してみたところ、客観的にみてもヨガの推せる点が一つも表現されておらず、これは悪い癖なのですが、論ずる点がズレてしまったと申しましょうか、そういうことは往々にして起こりうる事なのです。枝葉に関心がいってしまう、そういう類の問題です。それはここに一つ、承知いただければ幸いでございます。

 

 

 

 

 

会社に通わなくなって約4ヶ月。ここまで人生で何もしなかったことはそうそう無いというか無い。小学生の夏休みでも2ヶ月間しかない。しかも彼等には宿題とかいうものが課される。わたしには何も課されてない。昼寝、昼寝、夜寝、朝を無限にループする。何もしなくてよい。寧ろ何もしないことが推奨されているか知らないけど概ねそう思う。あってもせいぜい早朝にセロトニンがてらの軽いウォーキングをしましょうくらいの推奨だろう。

何も課されてないからあたりまえだが何もしないことに対しての罪悪感は驚くほどない。焦りもない。いや、焦りもないといったら嘘になるかもしれない…?実際、ほどほどに真面目な私には焦りがあった。妻もいる。将来的に子も爆誕する可能性もある。妻子持ち。そういうことだ。

 

少々の焦りに背中を押され、ソーシャルな接点を求めた俺は、ヨガ教室なるものに通いはじめた。このヨガ教室なるものは自分でいきたいレッスンを事前に予約して赴く、そんなスタンスだ。俺の通うヨガ教室には予備校の浪人コースのようにインストラクターの名前とレッスン名が記された時間割がある。

が、この時間割は俺にとって大した意味を持たない。というのも、取るレッスンは既に決まっているからである。インストラクターの中には中部地区でも人気実力ともに欲しいままに君臨するレジェンド、「トップインストラクター」と呼ばられる女性講師が存在する。雰囲気はカリスマ予備校講師をイメージしてもらえば十分である。(時間割には名前講義名の横に👑が記)

俺はそのトップインストラクター(以後帝王と記)のレッスンがあればすかさず、アプリから反射で予約をキメる。帝王は週一くらいで俺の通う近所の町教室に飛来。始皇帝の天下巡遊。本レッスンは即刻満員御礼となりキャンセル待ちは日常茶飯事。帝王の人気は他の追随を許さない。要は格が違うのだ。

帝王のカリスマたる所以は、その圧倒的過ぎる話術にあるのでした。このホットヨガに脚繁く通う主婦たち百人単位の家族構成、身体的不調や悩み、趣味、子供の学年、夫の職、夫の愚痴、ヨガスキル等の情報が全て皇帝のデータベース内に格納されており、その出し引きの速度は光速を遥かに凌駕する。

さらには汎用的賞賛話術(勝手に名前つけました)を巧みに駆使する。例えば皇帝がちょっと興奮気味で講義後に山本さんー何かスポーツとかやってらしてましたか☆?と何気無く尋ねるや、俺はサッカーをやっていたと返答する。皇帝は目を抜群に輝かせて、なるほど♪通りで体幹が素晴らしい☆と俺を讃える。俺はひたすら照れまくる。女性に褒められるということは特に嬉しいものだ。

同様の質問をされてる若い女性がいるのを以前見かけたことがあった。その人のビジュはスポーティな雰囲気でポニーテールくびれ抜群の広背筋やばい美女だったものの、

吹部でした…みたいな返答した。意外にも運動経験ゼロ系女子であった。皇帝は身体を動かす習慣がないのに私のレッスンにここまで喰らい付いてこれるのは才能だと讃えた。

全てをポジティブに包み込む母性。汎用的賞賛話術と共感点をみごとに抑えた緻密なデータベースにより、皇帝はすべての会話シチュエーションに柔軟かつ臨機応変に対応できるのでした。そして俺のように普段から賞賛に飢え、慣れてない人たちはなんだか肝が浮遊する感覚、ワフワフしてしまうのである。わふわふー。わふー。ふわふわー。

これは既に皇帝の術にかかっている状態である。皇帝のわふわふを喰らったヨガ徒は、このわふわふ感を無意識のうちに求めて次回も皇帝のレッスンを取らずにはいられない。カリスマには中毒性が常なのだ。

 

ここまでに皇帝のヨガスキルに関することを俺はまだ言及していない。していない、という表現よりは二つの意味合いで「できない」のだ。

まずは当たり前だが俺にはヨガスキルを判定することが能力的に不可能だ。俺より身体の硬いヨガ徒を未だ目撃したことがない。(シンキャクがヒザくらいしか逝かないくらいの人)

二つ目、皇帝は基本的にインストラクターであるものの、ヨガなぞレッスン中にやらない。ヨガ講座というのは前でインストラクターが鳩のポーズを実演するとそれを真似て主婦群が一斉に鳩のポーズを行うという段取りである。皇帝にはヨガ教室界の常識なぞの些細なことは通用するはずもなく、「最近ですねー膝関節がダメだから私は動きません☆」と講座の冒頭でおっしゃるのでした。よってレッスンは皇帝の一声のみによって進行していく。彼女の膝がダメなのはそれもそのはずで、皇帝は御年半世紀超えにして、社員として残り続け裏方に回らずに鬼のような現場主義のためにインストラクターとして最前線でやっているのである。要はキングカズであり、5年前くらいのミハエル・シューマッハである。皇帝は生ける伝説であり、それゆえ生きているだけで神格化されるため本当の実力がどうだとかの軸で測れる類ではないのでした。

 

そんな皇帝にもレッスン中にその品格を問われる事案が発生することもある。皇帝は2種類のレッスンを担当している。ひとつはマジで途中で帰宅したくなるくらいキツいレッスンで、もう一つはヨガニードラと呼ばれる一時間の殆どを目を瞑って仰向けに寝て終える、というなんとも、一見すると気楽なレッスンだ。

後者のレッスンはいびきをたてて爆睡する人間が後をたたない。片っ端から皆寝る。爆睡。皇帝はというと「右足の中指に意識を集中して下さい」云々をお経のように次から次に指示し唱える。その入眠作用はヨガ徒にとって大変な狂気なのでした。居眠りしていては身体の隅々一点ずつに意識を集中させることは不可能であり、ヨガニードラの練習に一向にならない。皇帝としてもこれは看過できない由々しき事態であり、当然いびき爆睡ヨガ徒を一掃せねばならない。彼女はヨガニードラを純粋に布教したいのだ。ただ、皇帝は品位が自分の経歴に箔をつけていることを承知していたので、爆睡している主婦を叩き起こす、という選択はしない。(ヨガの経典ヨガ・スートラに記される八段階ピラミッドのうちの最下段の一段目、[慎むべき事柄]の中で、「他人に対する攻撃意識を持つこと」を禁じられているのであった。)

 

必死こいて足の親指にその意識を集中している我々、起きているサイドの人間に皇帝は放ったのでした。「横に寝ている主婦がいてもその人はあまり気にせずに親指の先端に意識を兎に角、集中させて下さい。」皇帝は爆睡の民をふつうにパージしたのだった。血も涙もない。しかしながら、捨てるものはきっぱり捨て去る潔のよさ、覚悟に俺はたしかに痺れた。レッスン中、目鯨を立てていてはサマーディなる煩悩を打ち払った八段階の登頂、究極に至れるはずもない。皇帝も葛藤しているのだろう。眠った人間をいなかったことにしてしまった。

ここまで、俺を初めとする睡魔に打ち勝って生き残っている勢も、隣から規則正しいイビキがミサイルのように飛来するとことにイラつき始めた。睡魔と意識を集中できないもどかしさのジャブを永遠と食らい続けるサバイバルゲーム。そもそも俺は発達障害という集中する行為が極端に苦手なタイプ。ただそんな言い訳は皇帝の前では通用しない。寝ることは死を意味し、即刻、皇帝に愛想を尽かされる。皇帝はニートである俺の貴重なソーシャルな領域の住人だ。ここで寝れば俺はその瞬間ただのニートに戻る。横の主婦が1人2人とバタバタ睡魔に敗北していく。ホットヨガの温室の暑さがここちのよい温もりに変わりつつあった。いつの間に四方をいびきで包囲されていた。皇帝の鎮魂歌がいびき勢力を助長した。

気づいた時には俺の意識も親指や薬指などになかった。やまもとさーんと声がした。やまもとーさんー。やまもとさん?俺は全身に意識が戻った。暗室には皇帝と俺1人とが取り残されていた。

レッスンはいつの間に終了していたのでした。皇帝は俺を起こすと部屋からさっさと出て行った。それ以降、皇帝は俺に対してその笑顔を振り撒くことはなくなった。