先延ばし癖

あれを入手せねばならぬ。

 

あれというのはたわいもないトイレットペーパーのことだ。トイレットペーパーを入手するという行動を起こさない限り決して便意を催すことはできない。便意を催さないようにするためには、基本的には何も食ってはならない。食うことはダイレクトに便意を感じるに繋がる。それでも便意は来るだろう。お節介にも何も喰わなくても便意はいずれここに来る。それは知っている。自律神経というのが勝手に作動して生命活動の膿を落とす。自律神経様には何も頼んでいないのだが自立している故に勝手にぱっぱ色々やる。ただ不都合にも自律神経はトイレットペーパーは買ってこない。自律神経に命ずることはできない。ひとの言うことを聞かない。トイレットペーパーを買いに行くのが億劫なので便意を催す神経伝達を送るのを辞めてほしいと相談しても断固シカトされる。話すら聞いてくれない。そもそも自律神経がどこの部署、管轄なのかも不明。内線番号もしらない。一切は閉ざされている。自律神経はメンタリストDAIGOから言わせれば内向的だ。でも良かったな自律神経さんよ。内向的な奴はそうでないものに比べて何%だか成功する確率が高いらしい。

便意を催さないために食わないのをやめるという考えがそもそも間違っていた。いつかは破綻することだ。それに忘れていたが人間は食わなければ枯渇しきって死ぬ。ギリギリまで便意を催さないために食を切り離し渋り続けるも、そのことを思い出したころには既に手遅れかもしれない。腹は減ってるを通り越して腹は減っている。ソファから外に出るのも無理。既にエネルギー枯渇は終末。よって冷蔵庫まで至らない。冷蔵庫まで到達できぬので食にはありつけない。意識がなだらかに遠のき薄れつつ胡散霧散する最中。澄んだ闇に走馬灯が流星の如く過ぎる白金の煌めきはなんだろうか。その数多の一つ一つの流星を脳内デジタルズームのように拡大するのにその僅かながらのエネルギーを振り絞る他になかった。最期の力は好奇心に振った。解像度は行き過ぎた抽象度のモザイクアート。ボヤけた白さ、これは白さゆえのポリゴン感なのか。降り注ぐそれらが筒状のものであることは確認できた。無限のそれらは他でもないトイレットペーパーであることに気づいた瞬間に夢から覚めた。

廊下の奥から声がする。お嫁様の声だ。彼女の悲鳴で目が覚めたらしい。どうやらトイレットペーパーがないらしい。ただちにスギ薬局に向かわねばならない。ただちに。