持続不可能すぎた朝食SGMn

我が家のSMGn(鯖味噌汁ご飯納豆の持続可能的朝配膳)は三日で死去した。三日坊主を体いっぱいで表現してくれました。

 

 

妻は納豆はたまに食べるのがいいとか、サバもさすがに毎朝はきついとか身も蓋もないことをいいはじめたのでそれがSGMnにとっては鎮魂歌となった。

SGMn発足当時は、何故30年生きてて気付かなかった・・・とか、納豆うますぎて死ぬわWとか私も妻も朝っぱらからハイテンションMAXで我々は意気揚々ハイタッチし人生勝ったような表情を浮かべて手を取り合って笑った。

それから雲行きは一転、二日目で箸が思うように二人とも動かなくなり死相が顔を出したかと思えば、三日目の朝は葬式の様相を呈した。

 

何が持続可能だとわたしは過去の自分に言いたい。毎日違うものを食えばいいではないか、と。

ただ、過去の自分や妻を執拗に攻めるのは何か違う。彼らとしても毎日違うのも食うという行為につかれたから持続可能性に光明をみたのであって、そういうことだ。持続可能性や簡便さや美味さのパラメータを適切に調整することが仕事になる。

SGMnは美味くて手間がかからないが、途方もなく飽きるという課題が見出された。そもそも冷静に考えれば飽きない食事などそうないのだろう。

仮に持続可能性を担保するのでも、調理の簡便さ、時間的コストの低さに付していかに飽きないかが大事なファクターになることを我々は今回身を持って学ぶこととなった。というより、そんなことも考えていない我々が明らかに阿保夫婦すぎたのでした。

朝ごはん問題は今後も我々の人生において大きな壁となって立ちふさがり続けるだろう。

今後とも真摯に立ち向かいたい。

 

 

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