妻の誕生日

明日は妻の誕生日なのだけど、何の準備もしていない。何の準備もしていないのは所謂先延ばし癖というやつで、先延ばし癖があるのは、ギリギリまで粘れば途轍もなくいいアイデアが浮かぶのではないかという幻想に囚われているからで、そんな幻想にすがっているのは、妻がすこしでも喜んでくれるアウトプットを出したいと願っているからに違いない。

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毎年動画をつくっていてそろそろ飽きたので、結局いろいろ迷ってipadにお絵描きアプリをインストールして高校生の授業ぶりに絵を描いたのだが、如何、影の入れ方にジョジョ味がしみ出してしまって一歳半にしては娘がやや大人びた目鼻立ちに仕上がった。凛々しくカッコいい娘は今にも人間讃歌しそうだ。まぁこれはこれでいいのだろう。正直なところ妻はこの絵を明らかに気に入っていないようだが、わたしは思いの外、気に入っているのである。

この絵は、何かが足りてないというは感じるところなのだが、垢抜けていないというか、世の中でイラストを公開している人たちのやうな安定感をこの絵から微塵も感じない。それはそうなのだし比較するのもおこがましいが。

この安定感は文脈である。わたしはそれを共有していない。問題意識もない。ある意味では、界隈?の作法のようなものを恐らくわたしは知らないだけなのであるが、完全に無視しているのだ。知らないということは、こんなにも自由で気軽で、無責任で、たのしいものだと思うからこそ、素人にも素人の楽しみ方があるわけで、そういう肩の力を抜いて気軽に愉しむことを学んだ。

学ぶことそのもの、について私は結構すきなのは確かなのだが、積極的に学ばないことも、また同様に違う楽しみ方があることを学んだのだった。

といいつつも、妻の評を考えると、来年はどうしようかと今から考えたい。