2022-1-22

閉じこめられた世界に住まう。自分の意識がより近いところで拡大された感覚。悪いことが頭から離れないというのは、こういうことだ。

こういうとき無理に引き離すことは、難しいし、読書等をすると更に悪化することが知られる。刈谷市図書館で借りたミジンコの本を読んだ。頭で符号が踊り出す。漢字なのか、ひらがななのか、アルファベットなのか、透き通ったあの細い器官なのか。いやそういうものではない。このときあるのは悪いノリ、不均一なリズムでのたうち回る蛇、意味のない言葉だ。閉じた世界のわたしは、意味から離れた何かを生産するマシーンとなる。

音や動きから自律的に生成されるこれらが皮肉的なポエムに似たものなのか?と考えてみることもできるが、わたしの場合はもっと無味乾燥の処理に近い。処理、というか、吐き出している感覚に近いから華金の駅ホームに咲くあの一輪の花に等しいかもしれない。

わたしはゲロをいま吐いている。そして、仮想空間にある多くの情報がそういうものかもしれない。吐き出すと接近し過ぎた意識が白波のように退いていくのがわかる。要するに楽になる。楽になれるのだ。気持ち良くなるためにやっているしオナニー的でもある。

でも不思議なもので、ネット上では人のゲロを見てもそれをゲロとは思わないし思えない。ゲロとは過激な言論や集中砲火的なリプライを指すものではない。もっと私的なものだ。内から漏れ出てしまうものだ。他人のものは見た目こそゲロのディテールを取ってない。吐き出した本人にのみ、その酸っぱさがわかるのだ。