苺ビュッフェ

3・18

 

今夜我々夫婦が訪れたのは、名古屋にある苺ビュッフェだ。

とにかく全ての料理という料理、酒、デザートに至るまで苺で構成されている。

この店に関しては妻がトゥイッターで知ったらしく、今朝行きたい行きたい行きたい行きたいの連打をやっていたので、夕方から名古屋に電車で向かった。

いざ店に着くと、建物の外観がラブホでしかなかった。一瞬目を疑った。飲食店だよね、と。これはラブホ以外の何者でものないしラブホ以外の感想を抱かせる一切の隙を与えない徹底ぶりに、俄然興味をそそられていた。

わたしと妻は側からみたら、普通にそこそこの年齢の男女であろうと思うので別にこれがラブホであったところで、どうでもいいのだけれど。

 


店に入ると、東南アジア系のヤケに乳首の長い女体像みたいな置物をすり抜けてから、我々は席に通された。

先週行った新大久保の韓国料理屋のアットホームの空間のそれとは違ったベクトルの空間があった。バーっぽい。暗め。

まず初感が、女の子しかいない。

年齢はどのくらいだろうか?妻と色々これに関して話したが、アベレージ22とかその付近だという話になった。妻はワタシぐらいの26の女はこんなところにまず行きたいと思わないだろうと真顔でそういった。

わたしもそうだろうねと言った。

 


この店は、苺を主体とした料理ビュッフェの店である事は、先ほど述べたが、もう一つ売りみたいのがあってライブキッチン(よくあるやつ)なるで、このシステムはよくいうならばその場で炙った肉等を提供してくれて熱々のうちに食すことができるというビュッフェの弱点を補強するシステムだが、悪く言えばスーパーの一角の試食販売を想起させる、一種の、諸刃の剣的な存在なのだ。

ライブキッチンはシェフっぽいおっさんがベルを鳴らすことによって始まりが知らされる。

ベルの音が暗い店内に響くや、一斉に女の子の行動を促す。

シェフが何の料理を提供してくれるかは、本来はわかるはずなのだが、実際のところ席を立って見に行かなければ判断ができない。

というのも、ベルが鳴ったと同時に料理名を発語するのと、かつ彼の声が絶妙に通らないので非常に聞こえづらい、という何とかなりそうな理由から。

 


ミルフィーユなるのベル時は、かなり驚きを隠せなかった。

ベルがなったと同時に女の子が長蛇の列をなした。これまでも肉寿司のときもそこそこ列があったが、その5倍以上だった。それは、蟹の天津飯やサムギョプサルのベルの時の比ではなかった。

それらを完全に凌駕した。

わたしは苺ミルフィーユの列を席で座って観ながら開いた口が塞がらず、鳥肌が立った。

浅草橋の隅田川沿いの早朝の炊き出しの風景を思い出した。

それはわたしが学生時代に都内に出て終電を逃して千葉に帰ろうと酔っ払って歩いた時にみた朧げな記憶だったけれど。

 


わたしは幻影を振り払うと、苺ミルフィーユの戦禍に入って行った。