山本の日記

その時起きたこと、考えた事を記録します

えんとりーなんぼー2

名言ぽいぽい

 

かのアインシュタインは言いました。「人生とは自転車のようなものだ」と。その名言をきいたならば、我々はその意味を考えます。「自転車→漕ぎ続ける→それをやめたら転ぶ」と。当たり前ですが、一見突破なことに聞こえてもしっかりと論理性を持っています。だからこそ、我々の中に名言として深く刻みこまれるのかもしれません。

 

このゲームは「頭」と「お尻」に類似しない単語を配置してから名言ぽいのをつくって、他の人が頭とお尻を繋ぐロジックを推理します。

例えば、Aさんが単語が書いてあるカードを手札から二枚出します

頭→イケメン、お尻→勉強

そして文を宣言します

「イケメンは勉強するな!」

そうしたらば、Aさん以外の人がその二つの言葉繋ぐロジックだったりニュアンスを推理します。(早押しかなんか)

 

非イケメンは勉強するしか生きる道がない→イケメン様は非イケメンの勉強というステージでの貴重な枠を奪わないでくださいお願いします。

 

 

 

 

 

えんとりーなんばー1

メモ

 

あんびしゃすJK

あなた(プレーヤー)はファッションに敏感な若干17歳の田舎の女子高生です。田舎ムスメといえど、あなたはそれはそれは立派な野心家で、自らが流行の発信源になりたいという欲望を持っています。あなたは流行を作る為に、他の野心家(他のプレーヤー)と同じアイテムを身に付けても、ファッションリーダーには到底なれません。しかしながら頭に突然、蒟蒻を載せても、少々斬新過ぎて周囲が付いて来ることができません。今の流行りと相談しながら、新たな流行を創出しましょう!

つけ麺屋一燈で記す

究極の休日とは何だろうか?そういうことはポカンと口を開けて虚空を見つめ、過ぎ去る時間を肌で感じながら、誰もが一度か二度は考えるかもしれない。

休日が精神、肉体面の休養のみを目的とするならばゴロンと横になって本でも読めば万事解決じゃないですか。本でも読んでれば、日々の取引先や上司や、そういったものから少なからや解放される。

いや、待てよ、と。人間様は強欲だからもっと欲しい、そんじゃあ、物足りんと思う訳である。肉体面と精神面の休養は当然越えてくるラインであって然るべきで、それ以上を御所望のようである…サハラ砂漠で乾からびて、今にも死にそうな半亡者が思うのは、サッポロ黒ラベルが飲みたいとかプレモルが飲みたいとかそういう願望であって、決して水など、彼らの眼中にないのである。

ということで、とりあえず、人間様はそれはそれは欲張り困ったちゃんで、休日に休日以上の価値を求めがちである。でもそれは仕方ない。現代の"らいふわーくばらんす"とやらの"ライフ"の皺寄せが全て休日に殺到し、群がり、新小岩麺屋一燈みたく、地獄絵図そのものの形相を呈しているからである。わたしは今、麺屋一燈のこの理不尽な、しかし公平な行列の中でこうして炎天下、ブログを綴っている。

いつしか私様はこの行列の果てに辿り着き、あの脂っこい引き戸をひいて門をくぐり、日本一だかのつけ麺にありついたとしても決して満たされることは無いだろうな、と。だから、こうしてこういう意味不明な事を書いていると、私がこの行列の中にいる意味は、いよいよ希薄になってくる。ここにいる大半の人間が、これから一燈のつけ麺を食って美味いという漠然とした感想を抱いて、それを恐らく友人や家族みんなで共有して、楽しむのかと思う。

やっぱり、休日は自由な生産に尽きるなと思う。わたしによって生成された我が子、を通してわたしを見る。それは最も近くにいながらも、ぼんやりとした存在である自分を知ることができる、唯一かもしれない。

わたしは過去のブログを、後々さっと目を通すことがある。文章の読みづらさや意味が通っていなかったりも勿論、表現の稚拙さや抽象的だったりも手伝ってか、正直、生産者であるわたしですら意味が掴めない時がこれはこれは、結構ある。無責任かもしれないがそれを書いた身に覚えがない。これはわたしが忘れっぽい人間なだけか、それとも、自分自身が絶えず変わり続けているというのも、大いにあり得るかもしれない。

それでは、よいgwを

 

--------追記-------

ちゃんとしたボードゲーム(ゲームマーケットに出品するレベル)を作ろうと画策中なので(今思い付いた)、人員募集中!!(絵かける人特に)

 

 

 

かみのしてん

最近というのも、もはや、脳天、つむじが見える。自分のつむじというものはこうも、上陸したての台風のようだったとは。兎に角、わたしはわたしのつむじがみえるわけで。

この現象に苛まれ始めたのはいつだったか?もう、正直言って私にはほとんど記憶にない。というのも徐々に後退?して拡がっていくのであるから。生え際ではなく、視界がね。わたしが認識する世界がふわふわと宙に浮いているんよ。少なくとも高校、大学の初年度くらいまではつまらん新書を読んだりスマホをいじったりしても、ゆるやかな鼻筋、それを視覚という情報の中に明らかに捉えることができた。それは確かだと思う。それから二、三年経って気づいたら、もう、つむじであるんだから、そこまで到達しているわけで。それはそれは困ったもので?こうやって今もふかふかのベッドに仰向けになっていると、わたしの不甲斐ない顔面と対面せなきゃならない。

もう随分と、慣れてたものだが、こうも自分の一挙手一投足をまざまざと見せつけられると、ね。行動が色々と、制限されてくるもの。

ーそれはあなたもお分かりでしょうに?ねこちゃん。

わたしは、横でせいぜい半分くらい目は覚ましているだろう小動物に同意を求めた。

ーそうですね…

愛猫の御登場。むくりと起き上がって、ベットの麓からぴょんと登ってきた。名はねこ。そのねこさんからは気の抜けた炭酸のような御返事、それが微妙な間を開けて戻ってきた。いつもどおり。

ーおはよう、ねこ

ねこはキョロキョロと辺りをそのあおいだか茶だかわからぬ透き通った眼で、わたしを捉えた。

ーどうです?つむじのご機嫌は?

ねこは毎朝のようにわたしに尋ねる。今日も綺麗に、黒々逆巻くつむじは健在であって、その端整さなことといったら、日を増すごとに一級品そのもののようにさえ、思えた。

ー今日も残念ながら、ね。綺麗にくっきりとしてるよ

ーそうですか…ところでこんな時間ですがお仕事はお休みですか?

ーそれなら、ね昨日辞表を投げてきた。近い将来あの上司のつむじになると思うとね

ねこは口角をほんの少しだけ上げてわらった。

ー珈琲でもいかがです?

ーどうも、あーお湯だけ頼むわ

ねこはテーブルに飛び乗って、2Lミネラルウォーターのペットボトルのキャップを器用に回すと、少し底を持ち上げて、徐々に傾けながら横のケトルに注いでいる。

寝癖頭のわたしはこの先をぼんやりと、思った。このまま視界が後退する、つむじは段々と遠ざかる、いつぞや大気圏すらもゆうに突破して、優雅にゆらゆらと星間を飛行しながら、久遠、宇宙の真理まで到達できるかと想像する、嘔吐、吐き気。それこそ神さまじゃないかと。わたしは神さまの代行か、なにかなのか?いやいや、上司のつむじに恐れ慄いて会社を辞めてきた天性の狭量を持つこのわたし、が神様代行業務とか任されるのか、ねと。

そんなこんなで、ぶぉーーと電気ケトルが吠えた。わたしはベットから起きた。ねこには熱湯の処理は危険であるという暗黙の内である。ここからはわたしの出る幕で、インスタントの珈琲粉を二つのカップの底にさっとばら撒いて、それからお湯をちょろちょろ注ぐといった具合だ。完璧。ねこのカップには一掴みの氷を入れて、テーブルに置いた。カチカチと氷に亀裂が入った音がして、珈琲の香りが八畳間の部屋を占有し始めてから間もなく、ねこはテーブルにやってきて、美味しそうに珈琲をお召し上がりになっておった。わたしはというと、そう、ヤケににこにこと、しておられる。この病になってから上映される自身の湿気た面、これが堪らなく嫌で、毎度、我が家の愛猫に一種の憧憬に似たものすら抱いた。そうかそうか。わたしはこれまで幼少から物を口に運んだり、液体を体内に取り込んだり、といった基本的な行為を幾らも積み重ねて来た訳だが、こうも、ぶっきら棒にしていたとは。いかんせん、申し訳ないと思う次第で、わたしは無理矢理にでも笑みを作ることを強要した。遂にはこうして反射的に、それが起こるようになるまでになった。その努力もあってか、最近はねこが妙にわたしに懐いているように感ずる、恐らく気のせいではないやろうと。

昼の手前、八畳間に明るみが射し込む中、我々はテーブルを挟んで随分とくつろいでいる。

ーそういや、猫ってつむじないんか?

ーそうですね、考えたことすらないです

ねこは、頭とか耳とか背中とか腰とかありとあらゆる大陸全土を探り始めた。夏祭りで鰻ならぬ猫の掴み取りなんかがあれば、ぐにゃぐにゃと長い胴、四肢を曲げて、こんな風に抵抗するのだろうとな、と。

ねこは突如、ピタリとその阿保踊りをやめて慌てて、冷たいのかぬるいのかの珈琲を啜った。それから、ねこは話しはじめた

ーこれから、松戸に行って参ります

ーいつもの人間信仰会のあれか

ーはい、仰るそれです

ーもう一人でお湯は沸かせるもんな

ーありがとうございます…

ねこは少しばかり顔を赤らめた。わたしは続けた

ーいや、湯が沸かせれば実際、殆ど人間と言ってもいいかもしれよ。だってさ、珈琲も飲めるし、即席の類は作れるしな

ーそうですね…でもつむじが、少々、欲しくなりました。

ぼそりと小さくねこが呟くと、彼は玄関からそそくさと出て行った。わたしを目指すねこ。ははは。取り残されたわたしは伸びをしながらカーペットの上で横になった。わたしはわたしが寝っ転がっている様子をまざまざと、みさせられる。つくえ、その上の珈琲カップ二つ、貫禄のある七味唐辛子、わたし、空のティッシュ箱、コードの絡まった掃除機。タウンワーク

ねこになりたい。わたしはにゃーとおもいきし叫んで、自分の頭を触ってにつむじがあることを確認すると、大分悔いて、泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

まよこーんぴざの命日

三月のある日。

今朝もファミリーレストランに来た。ぴたり開店と同時である。店の自動ドアをくぐると、顔馴染みの店員がにこりと会釈をして、くるりと背を向けると、忙しなく調理場の方へ消えていった。

窓際の席、朝の木漏れ日、この席に決まって、腰を下ろす。鞄を長椅子の自分の身体の横に置いて、そっと目を瞑る。それから幾らか経っただろうか?香ばしさにそそのかされて目を開けると、眼前には円形の黄金に煌めくそれが置かれている。そう、ご存知。これこそがマヨコーンピザである。彼とはもう長い付き合いで、これまでの40数年の人生で最も、長く続いている間柄かもしない。現時刻、早朝6時半。その後流るるように出社する。これが、投球前のルーティーンである。

 

それから2年後の四月、ある日。

今日は時間がない。寝坊である。言いわけがましいのは嫌いだが、年度始めはいかんせん多忙だ。会社に遅れる旨の連絡を入れた、それが呆気なく承諾された。6時50分ファミレスに着くと。あっけらかんとした女子大生の店員が口を開いた

「もう置いてありますが…さめて…」

「いや、もう時間がないから作らなくていい」

窓際の席に、腰を下ろした。プラスチックの筒に伝票が既に刺さっており、テーブルには彼が不服そうな面持ちで、鎮座していた。丁寧にピザカッターで8当分に切り分けると、

間も無く、マヨコーンピザを口に運んだ。

 

それから、三年後の四月のある日。

6時30分。入店。自動ドアを通ってマヨコーンピザを目指した。マヨコーンピザは窓際の席に既に置かれて、テーブルには既に伝票が刺さっていて、そこには¥399と刻まれている。客席を見廻すまでもなく周りには勿論、誰か居るはずもなく。

程なく、マヨコーンピザを咀嚼した。

 

それから、つぎのひ。

朝日に照った窓際。テーブルの上に彼はいた。眩しい、今日は一段と。今日はあの白髪交じりのあのおっさんに一つ、報告することがあった。改名。彼はミックスピザに改名したのであった。細木数子にそそのかされたのではなく、自らの意思で。

時計を見た。6時50分。何年か前、いつだったか、一度だけ待たせた事があった。それがいつのことやら、思い出せる訳もなく、そんな事を、考えた。

 

 

 

 

 

ふいっち?

こんにちは、山本です。さて、私は世間一般で言う就活生といういきものです。黒い人口皮の鞄を片手に、さきっちょだけ妙に艶のある靴を履いて、慣れない紫外線光のもと市街を彷徨い挙句本社にでっかいしゃもじ持って突撃晩御飯するアレです

結論から言うと、わたくしはこの活動が非常に苦手、というよりいや、苦手です。でも勿論、やりますよ、そりゃ。たまにちょっとお洒落なイタリアンしたり、不慮の包茎とかに備えた手厚い保険にも入りたいですし、せめて家賃五万くらいの駅近アパートに住みたいし、丁寧にアイロンをかけて皺一つない真っさらな柔軟剤の香りするシャツを毎日提供してくれる清き正妻を迎える為にもそりゃ、余裕、余裕よ。多少お釣りが来るくらいの財力、そういったものを手入れたい。そう思うのは当然ですよ。

でも先程も申し上げました通り、わたしはこの活動がどうも、駄目なんです。それは多分わたしが重度の花粉症ならぬ、重度のツンデレであるというところに、真相が四肢を広げてぐうぐういびきをかいて眠っているらしいことが発覚しました。でもこれは喜ばしいことなのです!というより、仕方ないことと表現すべきかもしれません。なぜなら、究極のツンデレになることがわたしの人生の目的なのですか…ら

じゃあそのアンタの究極のツンデレとはなんなん?と問われるとそりゃそんな一筋縄ではこたえらりゃあしません。極みですから、何せ。飽くなきものへの渇望があって、極みに向かいますがそもそもそんなもん無いんです。無限の概念みたいなもんです、アリストテレスとかめみたいなもんです。でも敢えて極みを設定するとするのであれば、

総ての人間的感情は、ツンによってデレを表し、デレによってツンを表す

いかんせん、受け手、今回でいう全くの初対面である面接官は

ツンによってツンと受け取り、デレによってデレと受け取る

おしまい。

 

 

 

 

 

 

 

おしゃれなばすと

高速バス。素晴らしい。こんな快適な空間はあったもんじゃない。圧倒的な人の温もり、温もりなんて生温いかもしれん、熱い、情熱。もはや蒸発寸前である。分厚いエンジン音、粗雑な振動、子守唄である。

素晴らしい。それだけではない、仙台を出発したこの我らが拘束バス大先生は三回も、3回もSAで休憩してくださるのだよ。しかも、SAに着いたことをやんわりと教えてくれるわけ。ふんわり、そしてやんわりと。さーびすえりあに到着しましたー!!とか騒がない。それでも皆眠りから目覚めて、ノロノロと両腕を前にダランとして脳汁でも両眼の際から流しながらあのだだっ広い便所に向かうわけだ。先生は、消えるエンジン音。それがただ、我々を覚醒へと導くのである。あらお洒落。

 

よくある小説とかで、勤勉な彼女、ある朝を境に失踪してしまう。昨日はちょいと飲み過ぎた。二日酔い。全開のカーテンから差し込む陽光、僕は若干数意識があるから、彼女の不在に僕は気づく。辛うじて目が開くか、開かないか。そんな中ベットから抜けて居間に向かう。テーブルにA4のコピー用紙が置かれている、窓を開けた拍子にでも風で飛んでかないよう醤油と七味が文鎮として、雇われている。彼らを横に弾いて紙を手に取ってそれを読む、文字がある。さようなら。寝ぼけたまま、それから直ぐ知り合いの彼女の仕事仲間に電話しても先週、彼女は辞表を出してるし行方知らずで寧ろアンタが何か知ってると思った旨の指摘を受ける。僕はここで始めてあの優しくて勤勉で、従順で、真面目で、だいたいいつもニコニコして愛想だけは良かった彼女が消え失せたことを知った訳だ。そりゃショックだ、眠い、勿論悲しい、でもそれよりも僕の心を占領し犇めくのは何故、何故?あの勤勉でクソ真面目な彼女が忽然と姿を消したのは……

 

お洒落だ。大きくあくびをしながら、明確な意識のもと、それだけ思った。