半分。

公園というのは公(おおやけ)の園(その)とかくが、まったくそのとおりである。いつまでやってんだと日が暮れるまで手首のスナップモーションを何度も交えつつキャッチボールを女に教える男、何が愉快なのか池の周りを周回する汗ばむ息荒げなおじさん達、池の中央に浮かぶ岩の上で呑気に甲羅でも干してる外来種。

そして、わたしたち親子(わたしと帆乃ちゃん)もご多忙に漏れずその生態系の中の一員であることは認めねばならない。わたしたちは麗らかな週末の、この絵画の1ピースでありながら、同時にその中で躍動する平凡な父とその娘であることを、この際、誇りにでも思うとしようか!

 

この広い公園のなかで、わたしたち親子が躍動していたその場所は、滑り台というあのシステムである。一応、滑り台というものが何かを久しぶりの方々のためにお話ししておきますと、滑り台とは、「階段と傾斜からなる遊具」であるとと同時に、その周域には独自のコミニティが育まれる多様的な場なのだ。

 

試しにひとつ、今日の例を申し上げるのならば、ほのちゃんが滑り台の階段をよっこらよっこら登っていざ滑るというときになると、わたしはいつも「ちょっと待った!」と声を張り上げねばならない。なぜなら、3秒前くらいに帆乃ちゃんより一歳くらい年下の子がよちよち出発したばかりで、確実に後ろから激突して泣かせてしまうことが火を見るより明らかであるからだ。

したがって、わたしは帆乃ちゃんに、「前の子が滑り台の半分くらい行ったら滑ろうね」と、とりあえずの滑り台の基本ルールを説く。帆乃ちゃんはうん!と力強くうなずくとシュースルシュースル!と独特のあのゲラ笑いと両手の反作用でお尻をぐいっと前にスライドさせて、勢いつけて滑り始める。オトウサン!オトウサン!きてきて!というので滑り台とほぼ同程度の傾斜を前につんのめりそうになりながら、もつれそうなサンダルで急降下することを、当たり前のように強いてくる。

 

滑り終わると彼女はきまって、もっかい!もっかい!と言いながら緑の斜面をおぼつかない足取りでまた登って滑り台をめざす。帆乃ちゃんは慣れた足運びで階段を登ってちょんと腰を降ろすと、半分!半分!と高らかと叫ぶ。わたしは、前にお友達はいないし別に滑っていいんじゃね?と返す。それでも律儀なのか頭がちょっと硬いのか、わが娘はあのグイッとお尻をスライドさせるあのかわいすぎるムーヴを一向にとらない。それどころか文鎮のようにずっしりとそこに座して悲しそうにこちらをみつめている。おいおい、話きいてたか?娘よ、半分のルールは前に他の子がいる時だけだぜ?しまいには

「半分、半分、食べる!!おなかすいたの!」

と叫んで滑り台の上で泣き出したかと思えば、うしろに並ぶ子たちと傍にいるその親も何事かといったような微妙にやりづらい空気が流れたのだった。

そのとき、わたしは「半分、食べる」というこの二つのワードを撫でるようにゆっくりと脳内で反芻しながら、雷鳴に撃たれた龍のように背中をくねらせたくなる衝動を抑えつつ、まずはわたしの犯した単純過ぎる己の愚行を責めなければならなかった。そして、このことを、この事実を説明するには、山本家の食卓にすこしばかりフィールドを移す必要がある。面倒であるがお付き合いいただければ幸いである。

 

山本帆乃。2歳。彼女の自己紹介プロフィール、好きな食べ物欄に刻まれるものは、納豆であり、それ以上でもそれ以下でもない。納豆、納豆、納豆。彼女のアイデンティティのコアにも肉薄するその魔法は、いかようにも、あのネバネバした、あの腐乱した大豆だった。

わたしは毎食、納豆を食べる。わたしも、納豆が好きだ。も、というのは些か変だ。30年先輩のわたしが先に納豆を好きになった。ある日、いつだか忘れたが、わたしが納豆を食べるのを帆乃ちゃんは羨ましそうにみていた。

「半分、食べる?」わたしはそう言って、半分だけを帆乃ちゃんの茶碗にいれてやった。このやりとりを私たちは多分何度も繰り返した。無意識のうちに。そして、いつの間にか、彼女のなかで、いつの日から好きな食べ物は「半分」になったのでした。

 

そうすると、彼女はいま滑り台のテッペンで駄々を捏ねているのは、わたしが半分というワードを使ったせいで、急に半分が食べたくなってしまっていて、なんでかわからないけど、そのスイッチが入ってしまったということである。

わかった!帆乃ちゃん!お父さんが悪かった!半分食べたくなっちゃったんだね!それは俺が悪かった!でもそこで今からからお父さんがコンビニに半分買いに行って、ほのちゃんがそこでまってて、食べてから滑ったら後ろのお友達は帆乃ちゃんが半分食べ終わるまでずっと滑れないよね?だからとりあえず今は滑ってもらって、おうち帰ってからゆっくり半分食べよう!

帆乃ちゃんは苦虫を噛み潰したように、ゔん、、と頷くと、スルスル、仕留められた蚊のように泣く泣く滑り降りたのでした。

呪いのたま

皿がシンクに溢れれば洗うし、腹が減れば料理をする。

 

これらの家事の担い手が妻であるとき、わたしはソワソワとしてしまう。落ち着かなくなり、何か行動を起こしたいと思う。スマホを触って呑気にkindleをみていることに罪悪感を覚え、その場から立ち上がって両手を垂らしてリビングをウロウロする。

そう。あの玉を避けるために。あれは、呪いのたまである。

わたしには、呪いの玉がみえている。たぶん、これは負い目のようなものである。何に対しての負債なのかは正直わからない。負い目の対象が妻であると思いきや、どうやらそうでもない気がするのが不思議なところで、ひとつわかることはわたしはこの得体の知れない塊を過度に恐れている。

 

わたしが家事を行うのは、たぶんこの恐れからである。これは妻という人間に対する恐れではない。外部ではなく、もっと心の内側から鳴り響くもので、とても自分にとって根源的な部分からあの玉が発せられており、真っ直ぐこちらに向かって来るようでもある。おそらく、呪い自体は自分から湧き上がってくるもので、わたしが作り出したものなのだろう。

呪いのたまを受け取った私を外から眺めたならば、このひとは気を遣っているだとか、そういう風に他人からみえるのかもしれないが、わたしとしてはそういうつもりは全くなくて、呪いが足元から湧き出すのを止めるためには、それしか方法がみつからないのだ。自分がその担い手になることだ。

 

妻がいなければたぶんまったく何もしないと言い切れる。皿がシンクにいくら溜まろうと呪いは起きないのであり、サボりつづけて衣食住なる人の基礎的な部分に抵触つづけても、呪いがこちらに向かってこなければわたしは何も行動を起こす必要が感じられはい。そう考えると、なんとも受動的でネガティブな人間なんだろうと思う。

 

でも、同時にこんなことも考えたくなる。それは衣食住は人間にとって結果的なもので、この呪いや負債の心などのじっとりした陰鬱さこそが人間にとって根源的なものであり、この陰鬱さで生活が回っていることについて知らないフリをすること、ネガティブな原動力が人間の生存にとってポジティブに結果的にはたらいてしまっていると考えたら、なんなんだろう。

私たちが普段正しいと思っているその行動するも、その元を辿れば鬱っぽいネガティブな力だってことも考えられなくはないと思う。

 

 

 

 

 

金曜深夜にて

眠れない。

たまには、悪くない。

今日妻が、娘の面倒をみながら雑多なファイルを棚から引っ張り出して書類整理をしていた。わたしは整理というものが苦手なことを理由にこういった類のことはすべて妻に押し付けている。関白っぷりを遺憾無く発揮していく亭主。

といっても、「できないことは無理をしてやらない」というのは、我が家の家訓になりつつある。

だから、まぁそれを言い訳にぼけっと自分はみていた。

ファイルには過去の申請書や手書きのメモ、計算の跡のようなものが無数に入っているらしかった。妻はわたしの筆跡と思われるものがあれば、逐一私を呼んでこれは捨ててよいものか?と確認をする。

わたしは事あるごとに妻に呼ばれて行ったが、結果的に残したものは何一つとしてなかった。

つまり、すべて捨てた。

このように書くと、冷淡な人間に思われるかもしれないが、事実そうなのかもしれない。

それでも、自分の過去に興味がないと嘯くことはしない。そうではなくて、わたしは自分の過去にまったく自信を持てずに生きている、という単純な話だ。どうしようもない。とくにおもしろくもないし、深みもない陰鬱だ。

こういうネガティブな気分になると、昔であったらここで終始して停滞した問答が、最近どうも様子が変わってきた。

それは明らかに娘の存在が大きい。

わたしはかろうじて生きているものの、終わりつつある人間であると感じる一方、まだ始まる以前の生き物がそばにいるというだけで、自分の想いを何か託したいという気持ちが芽生えなくもない。

ただかわいいかわいいと縫いぐるみのように扱っているこの子に、寝顔を食い入るように観てしまう我が子に、つい自分の想いを繋げようと、半ば押し付けがましいことを思慮するに考えたときに限って、わたしはこの子の親であることを自覚する。

親の自覚というものは、公園で我が子の闊達具合を腕を組んでみているときに起こるものではないというのは、意外なものだった。あの瞬間は子供の成長にただ圧倒されまくっているシーンである。

親の自覚は、自分の危険を我が子にやむなく投影してしまうときに強く感じられるものだとそう思う。わたしの問題は、依然としてわたしの問題だから、親の自覚とやらに酔いしれる瞬間はたぶん要らぬものだ。

たまには、悪くないけど。

 

 

飛田新地でソーセージパンを知った。

冷たい北風が吹き抜ける中、友人ら3人と格子状の通りを気の向くままに歩く23時。月曜にも関わらず通りは人で賑わってる。春休み中なのか大半は大学生のグループだろうか。

わたしは、友人らの陰になって後ろからついていった。遠くでまるい月が綺麗にきらめく。その淡い光は目に左右から絶えず飛び込んでくる白壁とピンクネオン色よりさりげないものの、わたしの黒い陰を余計引き立たせるようで、なんだか怖気付きそうになる。

あぁ。

憂鬱だった。不安でもあった。だからさっさと入ってやる事やってボロ宿に戻ろう。たかだか、15分きりの辛抱である。

わたしは、風俗に行ったことがなかった。

番頭の女将さんの手招きが左右から放たれる。お兄ちゃん決めちゃいなよー。熟れすぎたしわがれ声も飛んできた。わたしは声の主に視線を移す。捉えたのは、たぶん安心感のある現実的な更年期むかえた女性だった。この人はわたしの世界にちかい存在。近所のスーパーに夕方過ぎに行けば、値引シールが貼られた惣菜をじっと凝視している、あの存在に近い。ありふれている。むしろありふれ過ぎており、この場に似つかわしくもないような気が起きる。

そう思ったときには、移った視線がすでに女将にないことに、わたしはきづいた。

白色七難を隠す、と妻の祖母がよく言っていたのを耳にしたが、これがそれだと理解した。女将の脇、店先の玄関のところにちょこんと座っている存在があった。視線がすぐに合う。にこりと笑って首が微かに傾いたかと思えば、細長い指が揃った手のひらがゆらゆらと海底のワカメのようにしなやかに揺れていた。人形。

********

「ちょまっ!て」

と言ったときには、すでに遅かった。20分コース16000円が開始されてから、どれ位時間が経過しただろうか?たぶん経過したのは数分だ。わたしは果てた。どうしようもないあの脱力感に苛まれながら、天井を仰ぐ。

室内はやたら乾燥していた。口と喉がパサつく。部屋には薄桃色のカーペットの横に布団が綺麗に敷かれていた。真っ白なシーツ、その上にわたしは仰向けで寝ていた。壁には墨で裸の女が描かれた掛軸のようなものがある。

すみません。さっきのお茶いただいていいすか?

わたしは横にいるお人形さんにそう告げると、にっこりして、まっといて下さいな、と言って部屋を出ていった。

ふぅ。わたしは何かを成し遂げた後にする溜息をした。部屋でひとりになってすこしだけ安心したのだろう。壁掛けのデジタルのストップウォッチを一瞥する。実家の風呂を沸かすときに使う百均のタイマーを思い出す。まだ5分しか経っていない。よって、残り時間は15分もあるわけだが、わたしは何をすればいいのだろう。とりあえず、布団の上に仰向けになったまま、お茶を待った。

喉が渇いたのだ。

********

すこしすると、引き戸を勢いよくひく音がした。お人形様が黒い漆の盆にお茶を乗せて布団の脇まで来てくれた。そのまま、すこし屈む格好になってわたしに湯飲みを差し出した。

どうも。

わたしは仰向けになったたまま、みぎ腕をメビウスの輪のように奇妙にくねらせながら、湯呑を受け取った。受け取ったそのいきおいで、布団から起き上がろうとしたとき、左脇腹に激痛が襲う。つった。うっ。と何故か湯呑みをもった右腕で脇腹を迎えにいこうときには既に遅かった。

わたしの身体の反射が炸裂したときには、それはもうほとんど声にならない悲鳴に近かった。裸の地肌にアツアツの茶をぶちまけたわたしを、お人形さんは横でおっぱい両対ぶら下げて正座してそれを見ていた。

********

大丈夫?

と一応心配されたときには、お人形さんはゲラゲラ下品に笑っていた。でもその笑いには優しさが含まれているようだった。

大丈夫大丈夫。前にもこういうお客さんいたんだよね。ちょっとまっとって、氷持ってくるわ。こういうときは、アイシングが大事だから、ちょっとまっとって。と二度同じようなことを反復してから、またバタバタと部屋を出て行った。

********

それから、わたしのお腹らへんには、氷がどさっと入った「玉出」と書かれたスーパーのポリ袋が当てがわれた。

なんだかすみませんね。ちょっと起き上がるとき、カッコつけちゃったみたいです。無意識のうちにですね。見栄みたいなやつです。普段使わない筋肉を使ったからツッチャッタんですね。まぁよくあるんです。あと冒頭にも申し上げたとおり、初めての風俗で緊張があったのかもしれません。

いや、でもアソコはほんとうにご立派でございましたよ!とくに根本。

と不意をつかれた股間フォローを受けたが、何かこちらがそれを言わせる流れを作ったようでかえって恥ずかしくなる。山本(もと)だけに?とテキトウなよく分からないボケをしたことが少し悔やまれた。

話をこの件からずらす為に、お人形さんに晩御飯になにをたべたか?とりあえず聞いてみることにした。

「うーん。ご飯はまだかな。めっちゃお腹すいとるよ。あーでも、今日は割りかし食べとるなぁ。あれ、ソーセージパン!ソーセージパン!二つ食べたねん。3時くらいだったかな。だからそこからはいままで何も食べてないんよぉ。でも、お昼はビーフカレー食べた、と思う。」

「ソーセージパンってあれですよね。ホットドックのことですよね?大阪では、ホットドックをソーセージパンと呼ぶのでしょうか?」

わたしは丁寧に質問をした。日本のことを知りたくてたまらない外人のように。すると、

「ホットドックはホットドックで別や。別別。ホットドックはあのパンに切れ目が入ってて、そこにボーンってソーセージが乗っかってるアレやろ?それはソーセージパンではないんや。それはホットドック。でソーセージパンはこう、ソーセージがあるやろ?ソーセージパンはソーセージを中心にして、パンが螺旋状にトグロまいとるやろ?あれや。あれがソーセージパンであんたが勘違いして思い浮かべてるのは、それはただのホットドック。理解できた?」

「あのすみません.....ちょっと、あたまを整理させてください。」

ヒリヒリする脇腹のうえの氷が冷た過ぎて嬢の説明がなにも頭にはいってこない。さらに傾聴に集中できないのはわたしが賢者モードであることも無関係ではないようだ。さっき飲んだハイボールのせいで頭もガンガンするし。

「ごめんなさい。まだ、わたしの中のソーセージパンが一向にホットドックのままなんですが....。すみません、もう一度、違いを説明いただけないでしょうか?....」

そろそろ頭をそこらへのテーブルの角に打ちつけたくなったところで、二対のおっぱいをぶら下げたその生命体は口を開いた。

「わたしの指、これあるやんか?これソーセージな?これをソーセージとまず思っとって。で、このソーセージの周りにぐるっとパンを巻く。これが、ソーセージパンやわ.....で、」


このあと、同じ問答が何度か繰り返されたあと、ストップウォッチはケタタマシイ音を鳴らした。

 

20分が経過した。

 

 

 

 

 

 

シャカシャカポテトの粉だけドライブスルーする

わたしは
「チーズてりたまマックバーガーセット」

妻は
「のり塩じゃがバターベーコンてりたまバーガーセット」を注文。舌を噛みそうだ。期間限定は情報量のお祭りでもある。

セットのそれぞれのサイドメニューをポテトにし、さらに40円を課金して期間限定のシャカシャカポテトに変更。フレーバーは、

「梅のり塩」と「にんにく黒胡椒マヨ」をチョイス。

これが本日1回目のドライブスルーで私たち家族が注文したものだった。会計をして、商品を受け取り車を発進させる。

この僅かながら、時間にすれば30秒後に妻の悲鳴をきくことになる。殺人が起きたかのような金切り声、ここはオリエタル急行と錯覚するほどに。

妻は、コンドームのような正方形の袋をパタパタと振って助手席で慌てふためいている。

梅のり塩がふたつなんだけどお!!
まぁ仕方ないよ。ミスは誰にでもあるし。対応してくれたバイトの女の子まだ不慣れな感じだったし、そういうこともある、また次の機会にもう片方の味を試そうよ。

と、わたしはヒステリックをおこす妻をたしなめた。

それでも妻は諦められない様子だったが、このままだと用事に遅刻するということもあり、そのまま引き返すことはせず、県道を進むことにした。

すると、県道155線の上流からドンブラこ〜ドンブラこ〜とマクドナルドが流れてくるではありませんか。しょんぼりした妻が少し不憫だったので、

この道沿いのマックで粉だけを注文してみようか。と提案をしてみた。やってみる価値はある。もし、仮にポテトも一緒に買わなければ無理だと言われれば身を引く。その時は、すみませんとマイク越しに謝って速やかにその場を後にする。

兎に角、やってみよう。成功すれば40円でにんにく黒胡椒マヨを手中に収めることができる。

ドライブスルーのレーンに少し緊張しながら入り更に奥に進んで車を止める。前にも後ろにも車はいない。ガラガラだ。これなら、仮に失敗に終わっても店側に迷惑もかかるまい...。

Windowを下げて、満を持して私は声を発した。


シャカシャカポテトのにんにく黒胡椒マヨのポテトなしを一つお願いします。


店員の困惑した様子がスピーカー越しにも伝わってくる。手に汗にぎる。いったか!?来たか!?こいこい、来い来い来い来い来い来い来い来い!!!
隣の妻も梅のり塩味のポテトをシェイクしながら、興味深そうにスピーカーの一点を見つめている。

少々、少々お待ちください!いま、ちょっと確認してきます。

若い店員が、バックヤードに確認に行く。すると急に冷静になる。わたしは何をしているのだろう。鬱になって会社を休んでいるまでは仕方がないとして、何をわたしはシャカシャカポテトの期間限定のフレーバーにここまで執着しているのか、30過ぎて恥ずかしくないのか?もう娘も2歳でABCの歌も難なく歌える。自分は毎日小難しい哲学書か知らんがただ読んだ気になって勝手に鬱々してるだけではないか...くそっ!でも妻を喜ばせたかったのは、、、ほんとなんだぁ!!!真実はどこにあるんだろうか!俺は嘘つきか!なんなんだ!くそ!

お客様!!!!!

私は我に帰る。遠くの方で声が聞こえる。お客様。また聞こえる。お客様!!!

は、ははははい。私は音に対して辛うじて反応した。反射神経で。

確認ですが、ポテトは無しで問題ないですね?と店員。

はい。問題ないです。むしろもうあるので。

承知しました。車を前に進めて下さい。
 

N

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靴のソールが剥がれた。約1ヶ月前くらいにセカストで買った少しだけ気に入っていた

NEW BALANCEのシューズ。

平均台に乗って歩いている感覚。これぞニューバランス。足を上げるたびにソールがビローンとしてきてパカパカと規則正しい音をたてる。かなり不便ではあるが、ちょっぴり楽しいのは内緒である。(おっさんが「内緒」というワードを使うのは気持ち悪いと一応、ちょっぴりツッコミをいれる)

アフリカの未開民族が、こういう楽器で儀式を執り行っていてもそんなに不思議ではないかもしれない。タップダンスのような荒々しさはなく、緩く裸体の男たちが類い稀なる身体能力を活かして空中でカスタネットのようにソールを叩いてリズムを刻む。

ソール 剥がれる ニューバランス

でググるとどうやらソールのウレタン部が加水分解して剥離しちゃったーー😱♪♪みたいなテンションのブログが沢山ヒットする。

何か違和感を覚えるのが、この「加水分解」というワードがここまで市民権を得ているという現実だ。

でも難しく考えずに、「水を吸うとポリ系の化合物?が分解されて縮んだりする」みたいなイメージなのだろうか。みんなー♪♪♪♪☆🙀なテンションのブログーが当たり前のように仰々しい加水分解なる言葉をポップにゆるく使うのを見ると、違和感を通り越して面白いという感想を抱く。

が、別にいいではないかと自分にツッコミたくもなる。

ところで、最近、娘のアンパンマンへの仕打ちが日に日に厳しさを増しているようにみえる。輪ゴムで手足を拘束され儀式?の生贄に捧げれたアンパンマンだが、彼はどんな苦境に晒されても笑顔であり続ける。わたしのヒーローでもある。

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クロスフォーXXXXについて

 雨が降る。濡れた道路の上を、クルマが通過する音が聞こえてくる。

 広々したデスクの手前に、ぽつんとノートPCが置かれている。画面上には黄色のフォルダのアイコンがまばらに並ぶ。
 並んでるようかにみえる。

 この画面に何らかのパターンを垣間見るとができる。フォルダを作るごとに新しい秩序、新しいルールが画面に現前化する。過去に作った秩序と激しく干渉しながら、消滅しつつもまた現れたりする。そんな移ろい。それは時代と共に明滅する帝国のように、栄枯盛衰を繰り返しながら現在を創り続ける。
 そうして、この干渉がカオスを更新しながらWindowsのデスクトップ画面一帯を覆うようになると、脳みそに暗がりを背景にいつも浮かんでくるのは、漠然とわたしの精神の形のようなものであった。

 人はそれをXXXX、と呼ぶ。クロスフォーと読むらしい。クロスフォー。もともとは精神病理学的な立場から名付けられた。これはダサカッコイイという部類だろうか?わたしは笑ってしまう。新型SUVみたいな名前をしている。やっぱりダサい。明らかに。

 わたしはXXXXの資格を持っている。

 こう表現する。しなければいけない。このことについては、割とセンシティブにわたしたちは言葉を運用するのが常である。
 わたしはXXXX持ちであるとか、XXXXと診断された、とか、そのような表現は世間的には正しくないとされている。

 世間的には、正しくないとされている。

 XXXXは認定されたものだ。XXXXはひとつの属性だ。人間に与えられた多様な性質の中の一つだ。ここに資本主義的な優劣を際立たせる意図は一切ない。区別も区切りもなにもない。あくまでも、その種々の性質の凹凸なくフラットな平面が展開されているという、優しい条件のもと。

ここに、わたしたちの社会がある。

コーヒーを口元に運んでいると、PC画面の右下にポップアップがでてくる。原っぱから軽快に飛び出す兎のように。チャットアプリからの通知だ。

「〇〇さん、少しだけこの図面を修正してもらいたいんだけど」

「分かりました。とりあえずXXXXの検閲システムにつっこみます。」

「よろしくお願いします」

 ブラウザでXXXX検閲システムにアクセスする。病院の予約システムほどにこざっぱりしたユーザインターフェイス。上司から来た依頼内容の文面をチャットアプリからコピペする。すると、異様な速度でその返答が文字として画面に刻まれていく。

 

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XXXX検閲*******
精神的安定→B
業務適正→C
業務積算精神負荷→C
不確定要素発生確率→60
納期緊張→C
運動動作/消耗→A
注意→C
・・・・・・・・・
総合判定→X
貴方が、この仕事をする価値はありません。
※この結果は既に依頼主に送信済みです。
XXXX検閲システム  2025/01/22/16:31

----------


 検閲の結果は、自動で依頼主にメールで送信される仕組みになっている。ので、わたしがこれ以上することは特にない。明日までが期限の別の仕事に取り掛かる。これだけを、わたしら淡々とこなすだけな。

 貴方が、この仕事をする価値はありません。

 この言葉がいつも私を守ってくれる。この言葉以上の温もりを感じたことはない。業務、会議、飲み会、掃除当番、労働組合の集まり、これら全てしがらみから、私が超えられそうなものだけを摘み出して、それをうまく、上司に伝えてくれる。

 わたしの手を介さず。

 だから、これは私の意志ではない。客観的にシステムが判断してくれたことだ。XXXXの資格を持っているというのは、そういうことになる。

 私がしなければならないのは、私の価値が出せること以外には、この世には存在しない。それは検閲システムが教えてくれることだ、私には私がわからない。何が得意なのかも、何が苦手なのかも。
 何をするべきかも。

 

弾丸奈良旅行

昨晩に奈良駅前のホテルに到着。
今朝は6:45に起床。娘、眠い。私、もちろん眠い。

妻、めっちゃ元気。初の奈良旅行に期待に胸を膨らます。

とりあえず朝食ブュッフェを堪能。ご飯、茶漬けに、デニッシュにブリオッシュに卵かけご飯に素麺をin。

まずは、妻のおすすめ饅頭神社に向かう。

まんじゅうの社 | 漢國神社

漢國と書かれており、いかにも饅頭とは無関係そうだが歴とした饅頭神社に他ならない。
他ならないと強めの語気を発したものの、饅頭神社が何者か掴めていない御一行。

饅頭神社という花蜜のような語幹だけを頼りに導かれ気付いたらそこにいた!、という時間をガンガン浪費していくタイプの人種には相応の結末が待っていた。

一応、載せておこう。一応、な!

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皆さん。これが饅頭塚です。
饅頭神社をそそくさと後にした後、我々はすぐに興福寺に着弾。okok順調!順調!

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三重の塔 1回目
三重の塔への訪問が1回目と書き記すからには当然のように2回目のお代わりというものが存在する、このことに甚だ疑問はない。

そして、2度あることは3度ある。

この有名過ぎる句は、2回目の替え玉のあとに3回目の替え玉が必然的に存在するうま過ぎ博多豚骨ラーメン屋のようなシステマティックで華麗な演繹があることを、疑わない。

ので、載せておこう。一応。

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2回目の三重の塔への訪問

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3回目。
物事には理由がある。もちろん無いこともあるが、多くの出来事には然るべき理由が存在しなくてはならない。

これは、妻の悪手によるものである。

奈良 謎解き寺巡り

妻が始めてしまったのは、スクラップ制作の「奈良謎解き寺巡り」である。

14時に奈良を後にした我々。謎解きも未完。

結局、また改めて奈良に訪れることになった。4月くらいに。桜の時期にいこう。どうせなら。
 

急な旅行

朝13時。目が覚めた。

これは紛れもなく寝坊というものだがノープロブレム。今日は会社に行く必要がないのだから。明日も行かなくてよいのだけれど。

妻は私に言った。
起きるのが遅い、と。別に怒ってはいなかったが、ごめんなさいね、とことばでは謝った。
こんな時間からでも奈良に行くのか?
と妻は聞いた。

奈良。わたしの脳味噌のcpu稼働率がグッと鰻上りに上がってから、奈良、奈良、NARA.....なら??

ok。ナラ、行く。

とだけ言った。パンイチでまだ毛布にくるまっていた。

とりあえず、立ち上がってシャワーを浴びてみる。寝癖が酷い。癖、というレベルを超えておりもはや重力を感じさせない。

なんでこんなに寝癖がひどいんだ.....

昨晩、寝ているときにパニック発作に襲われた。死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ。
慌てて服を抜いでシャワーを浴びた。お湯を頭から被って気を逸らすことに専念。甘ったるい飴も舐めた。それで5分ほどで治った。

そして、どっち道死んだように寝た。濡れた髪のままで。

話は戻る。今日に。
これから奈良に向けて出発する。
娘は粉状に乾燥したあらゆる色が混ざった黒粘土を畳にパラパラ撒いて遊んでいる。妻は鳩のように床に落ちている娘の遊び道具をついばみながら、巧みに片手でスマホをいじっている。

とりあえず、ホテルとったわ。朝食バイキング付きで9000円。

安いね。それに本当に君は有能だ。

オムツとおもちゃと下着を鞄に入れて、車で出発。車のナビに法隆寺HOURYUUJIとタッチパネルで入力。ただ事ではないドライブだ。起きたのは15分前なので、頭はまだ寝てる。

伊勢湾岸のナガスパの手前あたりで、docomoの解約をさねばらなぬことに気づいた。タイムリミットは本日中。
忘れていた。2月中に、両親の家族プランから抜けろと言われており、別の会社に移行する旨を話してきた。

格安の会社に移るにあたって、妻が手続きをすべてやった。やってくれました。ありがとう。

ただ、一点見落としがあった。次の会社の契約はeSIMでだったのだが、現在使ってるiPhone10ではe SIMに対応していないということだった。

嫁はそれに、伊勢湾岸のナガスパを超えたくらいのとこで気づいた。

わたしは、携帯が使えないのは困るので、e SIM対応の端末を奈良のどっかで購入しようと話した。が、妻は端末代が勿体ないと言った。ぐうの音もでない。

結局、妻のiPhoneはデュアルSIMというのが可能らしく、とりあえず、妻の携帯で格安会社と契約してdocomoは無事に解約することができた。よくわからんが、ぜんぶ嫁がやってくれたのでよかったです。

奈良駅前のホテルでねてます。おやすみなさい。

問答

バイト
 店長〜、今年も例の如く来ますねあのクリスマス。わたし彼氏なきなんでイブもしっかりシフト入ってますけど。外でホールケーキを売り切らなきゃいけないの、正直辛たんです....


コンビニ店長
 そうね、その話なんだけどちょっと今年はやり方を変えようと思って...


バイト
 おっ!?今年は店頭販売なしですか!?それならかなりハッピーうれぴーよろしくねって感じなんですが


コンビニ店長
 実は、クリスマスと節分を12/24・25に圧縮しようと、そう考えているの。

 

バイト
 そのココロは...って!!ももしかして、店長。毎度大量に売れ残ってバイトがその日の給与から天引きで購入して帰るあの不毛な節分商戦が産んだモンスター☆EHOUMAKI☆??の店頭販売はどうするんですか?クリスマスと合併っててて、クリスマスケーキは売らないんですか!?色々と混乱してます!!??


店長
 落ち着いて下さい。バイトさん。私も5年くらい前からこの二つのイベントは面倒なので一緒でいいと思っていたのです。


バイト
 はい。私は至って冷静ですが。店長。


店長
 要は、サンタのほうを向いて恵方巻きを食らう。サンタは当然3次元空間上をあのソリで縦横無尽に旋回するので、リアルタイムで恵方巻きの方角は変化します。今年は〜南南東とか〜そういうヌルい話はなくなります。豆もサンタに投げておけばヨシ。多分。愛鹿に床とか地面に散らばった豆は掃除してもらいましょう。きっと美味しく召し上がってくれるでしょう。ホールケーキもサンタに投げておきましょう。サンタは紅白の服装なので、苺ショートにピッタリでしょう。たぶん、苺ショートを多少くらってもそのまま服装の汚れなんかは気にせずにプレゼントを配りきることが可能でしょう。信じましょう。


バイト
なるほど.....!それにしても、鬼は何処に行ったのでしょうか?


店長
それは仕方ないので、私が引き受けてましょう。

 

 

 

クリスマス、正月、節分が規則正しく、周期的にやってくる。もうそれらは今となっては過去だけれど、未来でもある。

私はそれを改めて経験することができるだろうか?できないということは、それらを経験しないことは、死んでしまったということなのか。わたしはこの周期を信用しており、またクリスマスが来ることを信じている。

次もある。そして、次もある。また朝が来て夜が来ることを想う。わたしは普通に存在して、おそらく明日も普通に存在することを。

想いねがう。無意識に。

 

もう辞めないか、そんなことをするのを。正月に節分をやってしまう年が一年くらいあったところで。わたしはいいとおもう。