山本の日記

山本です。

真面目に

この長く突き抜ける廊下には、重く、そしてたるんだ脂肪のように陰鬱な空気が足下に滞留している。廊下のほぼ中央付近に位置する共用トイレと洗面所の窓からは僅かながらの援軍、ひかりが射し込むために、辛うじて皆ここで、この4階で、生活を回すことができているのかもしれない

 

夕方、そこでのむ茜霧島は絶対的に美味い。これはかなり揺るぎのない。そういうこと。酒大して好きでもない私でも思うのだから。尚更かと

事実・洞察・行動提案・成長、これらの我の強い言葉が文字という形態を経て、やがて記号の羅列になり、さらにそれらが分解されて線になって最期にするするぬけるように解けて土に還っていく。この一連のプロセスがそこには確かにある。自分が大切にしている言葉は何であったか?朧げな意識と、鈍くボアんとした頭でオモウ。あー。と

別に悲観したり、特段、評論家を気取りたいということもないし、難しい事をこねくり回したいのでもない。

ある日の幼い私。わたしのクラスに転校生がやった。軽く皆の前で簡素な自己紹介を終えると、彼は私の隣の席に幸か不幸か、腰を下ろした。彼はそりゃ緊張しているし、慣れないこんな環境に来たのも親の理不尽な転勤のせいだし、周囲を呪っている。私には彼の家庭のことなぞ一も分からない。一も分からんから、分かったフリは良くないわけだ。でもパッパラパーな私は分からんことも分からん訳で....

そういう時の秘薬は、取り敢えず、事実を粛々と、ただ粛々と真面目に、一切の嫌味や悪意なしに、正直に受け入れる、この他にはないのである。

私には、こういう処方箋なしには、純粋さや真面目さを取り戻すことが出来ない。

とにかくあきっぽい人

今朝方、4日ほど留守にした仙台の自宅に戻った。

縮れた靴下らを洗濯機に放り込み、珈琲を淹れ炬燵に脚をくぐらして、沖縄旅の感慨にいざ、とぐーぐるドライブ上にアップされたアルバムに、なんとなく目を通しながら、片や朝のNHK情報番組に耳を傾ける。

 

ゲスト斎藤工が、豆乳狂信者として、その猛威を、列島全土の主婦達に向けて存分に振り下ろす。世の子育てから解放された主婦は、この豆乳の深みのある白はきっと、流るるように自堕落な日々を送る自分を根本から漂白してくれる救世主になり得る、と錯覚するや最寄りのスーパーに駆け出すのかもしれない。

ワタシの脳内に電流が駆け巡り、勢い良く玄関を飛び出すも、時はすで遅し。このスーパーには、あー豆乳がみあたらんわ。そっか、わたし以外にもそりゃね、全国区番組でしかも斎藤工だし、ね、ワタシは大してタイプでもないけれど。高々1軒目のスーパーで諦めたら、またわたしは韓流で日中を溶かしきるわたし戻るだけだ、と電動自転車に跨ると、左足でコンクリートを思い切り蹴り上げて隣の交差点のスーパーを目指す。駐輪場に到着すると、入り口付近から白い羽を携えた蟻のような、まさに群、壮観な群がドバドバと、途切れることなく流れでてくる。彼女らの両手には真っ白なビニール袋が握られているが、中身の程はここからは皆目、分からない。確認できるだけでは恐らく長ネギの青の部分が若干飛び出ている程度で、それは氷山の一角であるか否か、一角であったとして、あったとして恐らく残りの袋の中身は。そうすると、このスーパーも捨てかもしれません。いや、そもそもね、ワタシはさっきから頭の中を狂ったように豆乳豆乳豆乳とぐるぐる循環しているけど、豆乳と一口に言ってもどの商品を買えばよいのか?何も考えずに家を出てきたしかなり見ずだったと反省せなあかんかもしれません。と我に返り、身体は自然と家に向いた。

 

私は沖縄旅行の写真をみることに集中しようと、テレビを消した。突き動かされたような格好で何かを始めて、一瞬にして冷めきってしまうことを私はこれまで幾度となく繰り返したように思う。それそのものに飽きてしまうというより、現状に飽きてしまうのである。雍歯がぽろりと抜け落ちるのは下から永久歯が立ち登ってくるからで、雍歯自体の脆さはあまり関与しない。

もう何度もこの生え変わりを繰り返していると、自分の意思というものへの愛着、それが徐々に希薄になっていくのが悲しくもわかってしまう。

 

いんたーほん

家のインターホンの子機を、ここに引っ越して早二年経過する今になって、まさに今日、初めて使う事ができた。進歩というのは、弱小であれど、人によっては進歩となり得る。

普段の私、私はインターホンの音を聞くなり、一瞬痙攣したようにわざと体をバタつかせてから部屋の虚空の方を。何故か浮足だった埃、あの微細な繊維群を眺め、そうすると僅かな落ち着きが生じるように感じた。そのときならば埃、チリ、難なく、いちにーさんしーご!と纏めて面倒をみてやんよと、養って存じ上げますよという妙な熱狂的な覚悟に支配されるような感覚、一種の麻酔作用に似た錯覚、それら諸々に囚われながら、私の身体は結局、今度は硬直してしまう。

てな訳で、私はつらつらと言い訳がましいことを述べたのだが、要は、インターホンというものが無理なのである。てへ。仮に、近所の還暦過ぎのマダムが採れたてのじゃがいもとか根菜類、白菜、仙台名産雪菜、それらをそりゃそりゃ大層ご加護のある古の大樹に両手を回すように抱えてやってきて、それも若者の健やかなる生活を、生活の屋台骨をキチンと見直しなさいねという暖か過ぎてよもや熱湯に近い御言葉を、きっと会えばその裏側に感じることができても、かの慈愛溢れるマダムがインターホンを押した暁には、当の本人は何かに怯えに脅え口をぱくぱくさせて虚空を眺めながら嵐が過ぎ去るのを、ひたすらに、ひたすらに待つのみになってしまう。これはどうも自身の法に触れるため、何とかしなければならん。

私はどうも、この事後的な麻酔作用のおかげ様で、インターホンの子機がある廊下に、ワンルームの炬燵の中からたどり着けずにいた。これが私の前に端然と置かれた、それは明らかなる課題だった。なお距離は永久である。感覚が麻痺しながらも、野菜両手に山盛り熱湯熟熟お姉さんのためにも、あの希望峰にどうしてもたどり着かねばならなかった。勿論、音が鳴るとモニターに鮮明に何かが映し出されることは紀元前から承知していた。承知していたからこそ、とにかく、この麻酔作用に襲われても、理性を保つといか、平常心を保つというのでもなく、あらかじめ、この身体に、炬燵から直ちに脱出しドアを開け廊下に出よ!という旨の制御文を、フレンチトーストの仕込みのように前もって、十分量、染み込ませておく必要があった。

今日、祝日の月曜がこの仕込みを映えある料理に昇華させる、まさにその日となった。インターホンが鳴り響いたのは、勿論突然だった。鳴った途端、仕込みが行き届き過ぎていたな、と後悔するほどに。私の身体は、何の不自由もなく動き、モニターの通話ボタンを押した。

モニターが描いたのは、両手に抱え込むお野菜の隙間からひょいと顔を出すマダムではなく、黒いダウンジャケットを羽織った二人の男だった。この絵を見たときは妙な違和感に襲われる羽目になったが、違和感の輸入先は何処だろうかと、しかし即座にそれは氷解した。何というか、徐々に浮き上がってきたのは昭和天皇マッカーサーとの対談時のあの写真だった。二人の背丈差とか風貌は面白いくらい調和せず、しかしかえってすぐに馴染んだ。彼らのうちのマッカーサーの方は慣れた口調で、我々はイエスキリスト教会の者だと至極淡々と述べた。

それから、確か、正確なところは忘れたが、あなたの日々の忙しい生活の中で、支えになっているものは何か?というような類の質問がなされた。私はモニター越しでその質問に対し、なぜか、ここは冷静に返答をするべきだと思ったし、気付いたらわたしの口は勝手に動いていて、意識が後から慌ただしく追っかけてる形となった。

わたしの生活の支えは、ただマダムの降臨を望む心に結局は帰すのみであると。マダムはただ我々に施しを与えるのみならず、さり気無く、目立たないようにそっと、その本意をその裏側に隠すんですよ。わたしはマダムを誠心誠意お迎えする為に、今日まで自分の感覚に抗うべく、努力してきましたと。

そろそろか、とモニターに注意を向けると、玄関裏の工事中のアパートから杭を打つあのくぐもった音があるのみ、となった。

 

 

みにまりすとへの偏見

布団の中に入ってとりあえず目を瞑ると、やっぱりあの、あの日の、夕方、のっぺりしたあの奇妙で病的な部屋を思い出さなければならなかった。殺風景という言葉はありきたりでありながらも、最も相応しいように感じる。私の寝室はどうしようもない暗闇のはずなのに、目の裏にまで溢れんばかりのあの白光が浸透してくるようである。

その白光りと同伴して、恐らく、片足で、窓際に立つ武田の、そりゃ武田しかありえまいか。何故だか顔のあたりをマジックでやたらめったらに塗り付けてあるせいで、確実なことは言えないが。確実な事を言いたくないとき、自分は大層、誠実な人間だと感じて何となく気分がよくなる。脳みそが勝手に武田の顔に、かのような処理を、逆光の如き処理を施したのか、とそう思うと、中々にそこまでしても私の脳みそは武田の存在を消去して、睡眠にありつきたいようである。

寒天を四角い型でくり貫いたようなその八畳間は、やけに西陽が眩しく、なかなかに鬱陶しい。が、私は鬱陶しいと喉元まで登った感情を武田には悟られまいと、必死だった。眩しいのもそのはずで、そもそもこの箱の中には、遮るものが、有るはずのものが、一向に、あらま、困ったわんと、何処ぞ見当たらんのである。遮るもの、というのは何も窓際のものだけではない。テレビ、机、椅子。仮に背丈のおおきな観葉植物でもあろうものなら、んなものは、武田からしてみれば、ぎゃははわははと相当に笑い散らして、両手で植木鉢の下辺りをひょいと持ち上げて、ひっくり返しそうになりながらも引き戸を片手で勢いよく開けてベランダからあばよをするはずである。

武田は自らを、みにまりすと、と説明した。武田のここのところの口癖は、とういつ感とか、ちょうわ、とか、なんというか端整な言葉たちを庭に招き入れた。大学に入ってから三年が経つが、武田とは学科が同じで、入学当初からの唯一、友人と呼べる友人だった。授業も常に二人で最前列から三列目の真ん中をキープし、当たり前のように壇上の教授の言葉に耳を傾け、それなりのメモをノートに書き付けた。昼飯も神楽坂のランチというランチは武田、奴と供に征服した。あの、ボウフラのように湧き出る数多のインドカレー屋を含めて、神楽坂ランチを全制覇できたのは、紛れもなく寡黙と勤勉さが心地良く共存する彼の、あのしなやかなる意思によるものに他ならなかった。

わたしは、逆光の最中、あの部屋で彼が語ったこと、熱を帯び、取り憑かれたように空白を語るかれを、正直、殆ど覚えていない。ただ、彼の言葉に対して、ひたすらに同意を繰り返した。彼を調子付ける言葉は、わたしの何処から湧き出て来るか。ただ頷くことを止めることが、どうしても叶わない。首の辺りが緩いのかと、頭が異様に重いのかと、あの遠くの西陽が眩しくていつもの偏頭痛がするかと、まぁ、わからぬが、この私の首が緩いのが終わったときは、それが終わってしまったときは、かれとの明日に、もう陽が差すことはないと思ったのかもしれない。

 

 

 

 

反省なし

今朝、教授から大学院の卒業単位が足りていない旨の連絡を受けた。結論から言うと私は救われたのか何だかよく分からんが、救われてしまったようである。

二年前の卒論シーズンのときも、これと全く殆ど変わらないことを経験した。それを私は何となく思い出した。怠惰とか不誠実とか、自業自得だとかそういうものは、痛い経験に逢ったり、それこそ、単なるそのトラウマに似たものを皮切りに次第に綻び薄れていき、やがて消えゆくものだと、その当時の私は考えた、と思う。

確かに、今でもそれはほとんど正しいと私は思う。怠惰や欲望はある程度、意識的に、合理的な物事の運びを考えれば、その通りになるのである。ただ、今回の件で分かったのは、多分これから先も、私はこうやって私自身の首を絞めながら、生きてゆくのだろうと、そう思うし、きっとそうなのだろうと、予感がする。

恐らく、私をそうたらしめるものは、欲望とかそういう大きなうねりの中ではなく、それはそれはささやかながらも絡みつき離れない、さぞ厄介な古の原理、があるのだと思うし、それはもうどいてもらうのは、諦めるしかあるまい。

修士論文を書かなければならないのにこんな事をしている場合ではない

この問題をわかるもの

と黒板を背にその若い女教師はたしか言った。冒頭いきなり、些細なことを言えば、この定型句は恐らく少し違っていて、これは舐められることを怖れた教師が、初老の威厳を急いで被ったのち、誤って発射することばを連想させるからである。でもきっと当時の私は知らないが、現在の私もそんなことは大してどうでもいいことだと考えているし、これから先もどちらにせよ、大して変わらずにまったくどうでもいいことだと考えるであろう、というか寧ろ、考えなければならない、と思う。

とにかく話を戻すと、私はこの教師の高圧的なあの鬱陶しい視線を潜り抜ける必要が、それはかなりあった。というのも、暇な貴族の独り言を現代語に変換するという行為を、日本社会が目の前の女教師を通じて、いわば操り、要求してくるわけで、しかもこの日記をかいた引眉の女の気持ちが全く分からないことが周囲に知れ渡ればそれこそ、大変な赤っ恥かき、恐らくは吊るし上げにされて元の穏やかなあの青春には戻ることは愚か、例のカースト上位から引眉を強要されるため毎朝6時くらいに母のメイクポーチをかき漁って短く持ちにくい眉ペンで上からぎゅぎゅと塗りつぶして家の人間が起きてくるまでにひっそりと何事も無かったように誰も起こさぬように溢れんばかりのグラノーラを強く右手に握りしめて半分くらい口に放り咀嚼音さえにも気を遣いながらドアノブに触れエレベータに乗り込み駅まで何となく早足で移動しベタベタ砂糖が付いた手を舐めながら制服に擦り付けて水分を取っ払い定期をリュックサックのように背負っている手持ちバックから定期を取り出して改札をくぐり抜けていくのである。帰りというのは近くの公園で冬のそれはそれは冷たい水、蛇口をひねって隅田川の炊き出しの列に想いを馳せながら次世代平安風オシャレメイクをそっくり落として赤く霜焼けのような笑顔で夕刻、玄関に足を踏み入れなきゃならんわけである。

私は教室の後ろの窓側にいた。勿論、例の如く背後には掃除用具のどっさり詰まった縦長のロッカーがあった。埃のあのきつい匂いはそこまでないが、昼下がりに関わらずカーテンがそれは全開で陽の光がまともに机にあたって眩しく、私は常に目を半分閉じたか開けたかの寝起きのマグロのような状態で着席していた。これはあの女教師の標的になるにはかなり十分であったが、突然大体どうでもよくなって、お日様を恨む気持ちも私の中には特に芽生えずに、寧ろなんだか幸福につつまれたような気になって何故かニッコリと笑顔を作ってそれをあの女教師に向けてやった。

私の他に、この刹那、女教師に顔を向けているもう一つの存在を私は確認していた。教室の私の真逆、廊下側の前席にいた彼女は真剣な鋭い眼差しを黒板の方に向けている。私は彼女のことを知っていた。いや、同じクラスで一年以上過ごした人間に使う言葉では無いかもしないことは重々承知であるが、これ以外に使うことばがさして無いのである。私が彼女に対して知り得る情報の唯一は、彼女が茶道部に所属しているという事実とある一つの光景である。記憶は学園祭、プラスチックの容器に並々と入った緑の汁だくを箸でかき混ぜて抹茶を溶かし、片手でテンポ良く、かなりの高速で長机に並べ、量産する例の姿であった。形式的な美を所望する一行に属しながら、それとは程遠い彼女の所作に、私は何か感動を覚えた程だった。私は何となく彼女の方を見て、きっと彼女は自信に満ち溢れていて、この女教師を満足させるに至るだろうと、漠然と思った。というより、そう思いたかった。

 

彼女がいなければ、恐らくは、だいたいどうでもよくなって、のほほんと日向ぼっこを始めていたあの瞬間の私は、大袈裟に言うと、救われなかったであろう。私はそれなりのリアルな恐怖がジリジリと迫ってくると、どうでもいい下らない妄想を膨らませる癖があった。それは、その恐怖を小さくしたり克服しようと努力するのではなく、逆に自らでせっせと膨らませて、その恐怖の風船たるやをぶち割ってしまうのである。パンと弾け飛んでしまえば、不思議なもので、大体どうでもよくなってしまうのである。

彼女が見つめていたのは私と違って女教師なぞではなく、黒板の上に取り付けられた、ひとつの時計だった。無論私も薄々感づいていたが、恐らくは彼女は答えなぞ、全く用意をしてはいなかったと断言できる。彼女は窓から見えるグラウンドの横にある駐屯基地での自衛隊の訓練開始の時刻を恐らく、知っていただろうし、あの女教師がヘリの風切り音が大の嫌いで、授業を中断してでも外を眺めることによって、あの不快感を皆に表明するあの癖を、把握していたのであろう。

 

 

 

 

いみがわからないこと

足の小指にぶつかるのはいつも空の2Lペットボトルである。いやきっとそんなことは無いんだろうがね。帰宅後の暗黒、凍てつくワンルームの床にカランコロンと大層間抜けな音が響くもので、そのときにアッと、小指をぶつけてしまったなぁ、と少しばかり遅くれてから、たしか、そう思ったのである。

でも、おかしなもので、そんな空虚なものを蹴っ飛ばしたところで、さほど、その例の小指に激痛が生じる訳でもなくて。よってわたしは小指をペットボトルにぶつけてしまってお茶目だかチャーミングだか間抜けだとかと、一々自分を評する機会すら与えられん訳であるから、そもそもこの文章をしたためているというのも中々、どうして変な話である。

例のペットボトルを蹴っ飛ばした晩の、翌朝は、仙台は冬晴れの中に、牡丹雪が舞っているような一日だった。わたしはきっと人型のシルエットがぼんやりしてよく分からない位に着込んだ。それこそ起毛の効いたエセ関西人風ヒートテックにシャツに安っぽい人口繊維のセーターにジャージにダウンと。自転車にまたがってアパート前の通りにでると、坂道をしゅっしゅと早まきでくだっていく。そのときの、わたしの神経の大多数は顔面というか、口元から鼻に至るまではマフラーで辛うじて塞がれているから、目元付近に集中する。足の小指の出番なぞ、ここでは到底ないのに、それにも関わらず、過ぎ行く景色に一向にそぐわないスピードでゆっくりと例の小指とペットボトルの情景、氷のような焦げ茶のフローリング、暗闇に灯る底抜けに明るいモニタ、それらが脳内に立ち上がり、反芻する。

これに似たようなことは、何となく、わたしの場合、日常的に起こる。どうでも良く処理されてしまうようなこと、推理小説のように意図的に隠されて、かえって目立ってしまうそんな素振りもなく、後から解を囁かれても全く腑に落ちないような、でたらめで、トンチンカンな光景、つまんねぇという感想を持つ暇さえ許されぬ、無味乾燥な画像、どうにもそれがフラッシュバックされる。

そういうとき、わたしはその人だかケモノだか知らぬ放浪者を、NHKの集金だとかお尋ね者みたく、軽くあしらって表に返してしまう。わたしには仕事があるんやと、修論の結果と原理に整合性が合ってないことに気付いてね、アンタとそれどころじゃあないやよ、とね。

ただね、わたしは凄まじい権利を、たのしみを持っている事に気付いてしまったような気がする。その例の放浪者に、名無しのxさんに名前を冠することができるわけで、ペットボトルと小指と冷気と暗闇にどんな意味があるかは知らんが。あれの類は、追われ拘束される日常にそっと差し出された、どんな意味にも変容する、一種のジョーカーなのかもしれぬ。