きょうからまたはじめたいとおまいます
夏のおわり
我々はまちのカフェにいた。店の中は人が疎らで、奥の四人席もぽっかり空いていた、それでも手前の狭いカウンターに二人して腰を下ろしていた
彼は目の前の、露のある、透き通ったグラフを軽く横に揺すりながらー私に言った
「このくそみたいに暑い中、ホットときたか
「何だろな、今日に限ってはホットの気分だよ
「でもさ、季節感というものがあるだろうに
「季節感、か。
まだぴたりと汗で貼りついたシャツ、そこエアコンの冷たい空気が、ほんのりかすめるのを、感じた
「夏への、密かな反抗かなにか?
彼は、ほとんど笑いながらそう言った
「いや反抗心なんて、そんなもの微塵もないよ。むしろ、犬だよ。やつらの従順なる……でも、夏反対!!の立看板を担いでってさ、このへんの街でもテキトウに練り歩くのもいいかもしれない
「でも、夏にこれから対抗するよりも…紅葉を、少しでも早くお招きする方が…
わたしは少し考えてこたえた
「だから、このホットコーヒーは…秋をほんのちょっと、少しだけ早く輸入するための期待を込めた、祈りの儀みたいなものかもしれんね亅
わたしは2杯目のお代わりに席を立った
いんこーす
「いやー、なかなか、彼はいんこーすをついてきますね
「はい、しかしながら、先程からの連打はすべて、彼のその、例のいんこーすのすとれーとを捉えた、そういったものですがどうでしょう?
「そうですね、いんこーす狙い自体は、それ自体は一向に構わないというか、むしろ狙うべきものだと思うのですが、時折、あうとこーすも織り交ぜる。そんなスタイルに徐々にシフトしていく必要性があるかと、おもいます」
なるほど…ひたすらに、永久に、いんこーすを投げ続ければ…いんこーすが、相手にとっての当初のいんこーすとは、違った意味のものになるということ、すなわちー鋭い変遷とか落差とか、そういったものが求められるのかと。露出した太ももに妙に冷えた、風の鬱陶しさを感じながら
わたしは、至って快適にしていた。手脚をだらんと、だらしなく四方に伸ばしてる。憂鬱な砂埃も、憂鬱な汗も湿度も、照り返す過激な陽の光も、そんなものはあるはずも無いし、土の香りも勿論、インコースに投球が収まるのを横目で見守る必要もない。わたしの現在の仕事、せめてもの仕事は、身体の横に広がるベランダに続くこの窓から、時折、外を眺めて、しっとりとぶ厚い雲を眺めて、目を細める位であろうか……天気について話すと、人間、終わりだ。という類の話を聞くが、わたしは常として、アウトコースを織り交ぜるのを好む人間であるから…どうか、お許しを願いたい
ばあさんちにきた
うまさんとうしさんに招集をかけました。右のおうまさんの方は、左前の脚が地に接地いたしておりません。しかも突然のわたしの招集に若干の戸惑いを隠し切れないご様子。色々と浮き足立っている馬という立場の彼に、私はある提案をしようかと思っております。というのも、これでは到達予想から2日3日、もしくはそれ以上の遅れが懸念されます。もはやそれは、遅れ、と表現するのは適当ではないかもしれません。しかも彼は、物事を斜め上からみるたちで…ご先祖様の気を悪くさせるかもわかりません
一方、うしさんの方は、非常に安定感がある。それも並みの安定感でなくて、全盛期の桑田を彷彿させる、それです。桑田はボディも見た目以上に軽量で、脚は太く、逞しく、あの世のどんな荒地でも歩を止めず、力強く進むことでしょう。
といことで、今年の我が家は打順を変えて、桑田にお迎えを依頼しました。ご先祖様がお帰りの際は、浮夫が責任を持ってお送り致しますので
ドヴォルザークに煮卵を
「クラシックが流れているのも、中々ないよな」僕は隣に座る彼に、そう言った
これは、彼がこのラーメン屋のカウンターに腰を落ち着けたときから、既に感じていた底ならぬ違和感であったらしく、その源泉はまさにこの流るるクラシックであったか…と成る程、合点したようだった。目の前では店主が、綺麗とはお世辞には言えない、そのまな板の中央付近に丸々した、淡い黄金色の焼豚をどんと置き、流れるように鋭く長い包丁の刃を、さっと通した。カウンターから厨房の隅々まで見渡すと、奥の巨大な寸胴の中では、熱に浮かれて踊り狂う浦和のサポーターのような、極太の麺達の存在が認められたし、店主の額のその玉の汗を見ても、厨房の熱は十分に伝わってきた。
突然、前の少しの氷水が入ったグラスを軽く揺すりながら彼はこう言った
「実は、ね…こう見えても私は、クラシック、聞くんですよ、山本さん……」彼は自分でそう打ち明けた。彼のその口は、微かに歪んでいるようだった。しかも、彼は言葉の語尾に一々、余韻を残すのを癖としたから、それも相まってクラシックに対する自信の無さが、より一層露呈するという結果になった…
「では、向山さんは何とかーーーの8番とか、そういったものをよく聞かれるのですか?」わたしの丁寧なその言葉、その調子は、うなぎ登りにぐいぐい上がっていき、一種、挑戦的な体裁をとった。
「ーーーの8番とかはよくわからないですが…あれです、山本さん…リストですよ。リストあの繊細でキメの細かいピアノの演奏は素晴らしいです。あとは…」
彼は一瞬、斜め上あたりを見つめて、続けた
「ドヴォルザークですね…」
「ドヴォルザークですか…僕も聞いたことはあるが…とんでもなくこう、何と言ったらいいでしょう?破天荒というか、荒々しい火山というか、リストとは、対照的な音楽を創り上げそうなそんな方ですね……」
僕も彼の癖を真似て、わざとらしく、ため息のような、余韻を残してみせた。
それからというのも、我々はただ黙って、店主が忙しそうに麺を上げる様子をまだかまだかと見守った。それから、彼は呟いた
「ドヴォルザーク…これは、まさにドヴォルザークじゃないすか…山本さん……」
店主は最後に、切った焼豚を分厚いその指で手際良く円形に並べて、丼を軽々持ち上げると、その太い両腕を此方に差し出した。丼には熱と、ある種の暴力的な何かが溢れんばかりであった…が
彼は丼を覗き込んで、力無さそうに小声で言った
「ドヴォルザークに…煮卵を…」
彼のその丼には、追加で付けたはずの煮卵の姿はなかった。
肉塊を焼く男
「おっ、今日は何作ってんの?」
左横のコンロで豚の肉塊をひたすらに焼く同期の男がわたしに、尋ねた
「今日はぶり大根というのやらに挑戦しておるよ」
「おー煮物か…よくやるね…」
と一言、友人は自分の肉塊に目を戻した。突如、僕に何とも言いようのない恥ずかしさが襲った。僕はぶり大根を作ることを確かに、自ら望んだはずだったのではないか…
私は火を止めて、さっさと平皿にそれらをよそうと、自分の机まで運んだ。
今日は失敗だったと呟きながら、堅い大根を口一杯に詰め込み、白飯をかき込んだ。
7時なのにまだ明るいな、そんなことを思いながら窓際から沈みゆく太陽を、わたしは眺めていた
土曜日は最高
「土曜日は最高だな」
僕はてきとうに、呟いた。
一つ机を挟んだ、左隣にいる彼が右耳のイヤホンだけをとって、ん?と若干の皺を眉間に寄せて、此方を見た。それから少し遅れをとって、回転椅子のキャスターからガラガラ音がやってくる
「いや、土曜日は最高だって話よ」
僕はゆっくりと、確かめるようにそう言った。一呼吸くらいの間の後に、彼は返した
「と、言いますと?」
彼のその好奇に満ちた目とその口調から、まさか、そんなまさか月並みの、当たり前の土曜日最高論では無いのだろう?という私に対するほのかな期待感、そう言った類のものを感じないでもなかった。そうであろう、彼は最もだと思う。ほぼ全人類が共感するであろう事実に何を今更、こいつは何を言及するのだろう?どういった斬新さを備えた切り口で、立ち向かうというのであろうか?
僕も私に期待した。そう。目の前の愉しい話に飢えた男だけでなく、私自身もだ。
ごくりと唾を飲み私は言った
「いや、特にこの話に続きはないよ」
彼のバットは見事に、空を切った。鋭く縦に変化したスライダーは、無邪気な土曜の、その陽気な午後の光の中へと、消えていった…
「あー今日は、やっぱり、土曜だな…」
彼は大きく伸びをしながら、小さく微笑んでそう呟いた
ばんね
我々4人は深夜2時の国道6号線をただ、ひたすら直進した。過ぎゆく目に入るものはすべて、事故防止のための主張の激しい電飾であったり、コンビニの白色灯であったり、それだけだった。私は時折、手の甲で目の下を拭いながら、集中力を保つことに全神経を傾けていた。睡魔との闘い、私はまだ敗れてはいけない。後部座席のお姫様は確実に、その大きな口を開けて規則正しく寝息を立てているし、後部座席のもう一人のナガクラという男も、暗がりの中で御自慢の薄型PCを広げている。わたしの最後の頼りは、左隣に座る田中という男、ただこの一人のみであった…
田中は唐突に、口を開いた
「もう少しで左折や、すけ」
兵庫出身の特有な喋り口調の彼の言葉は、わたしを安心させた。出発してから2時間半。ようやくの左折である。これは祈願であり、目的地までの距離がもう、殆どないということを教えてくれる。
その後は国道の大通りから外れ、暗闇の山道を縫うように、我々ハングライダー講習合宿御一行は目的地の宿泊施設に吸い込まれていく…大変申し遅れたが、我々の目的は明日のハングライダー講習を受けることである。その為にこうして夜中のうちに現地に移動して宿泊し、万全な状態で朝から練習を始めるという算段である。
我々が宿泊施設に到着したのは、もう3時になろうというところだった。宿泊施設と言っても平屋のボロが二軒、並んでいるだけであるが…その前の広々とした駐車場、というより、もっと空虚な意味を込めて、スペースと言った方がいいかもしれないが、そこにはいつもに増して多くの車が停めてあった。他大学のサークルで大盛況なようだ。このとき、ここの宿泊施設での文化、おぞましきあの言葉「バン寝」。それが微かに、脳裏をよぎったのだが、特段気にも止めなかった。
わたしが着いたと声をあげると、田中が何やら後ろのお姫様を起こし始めた。一向に起きそうにない彼女の身体を揺すりながら、めんどくさそうに言った
「ボロ屋の中に寝る場所あるかみてくるわぁ」
「おう、サンクス。頼むわ」
田中が砂利道をスタスタと走って、今夜の宿泊地であろうボロ屋の中の偵察に行った。というのも、様々な団体が先着順で中のベッドを利用するため、場合によっては寝る場所がない、という事態も起こり得るのだ
そして暫くすると、田中が車に帰ってきた。
「ダメや」
「まさか人でいっぱい?」
「そうや、三人までなら中のベッドでギリ寝れる」
「これはもしかして…」
そうこう我々に暗雲が立ち込めているところにボロの平屋から一人の男がやって来るのがわかった。タイヤが砂利を踏み潰す、あの音で目が覚めてしまったのだろうか?ジャージ姿の彼は運転席のドアガラスを丁寧に二回、コンコンと叩くと、開けてくれと何やら手首のスナップを大袈裟に効かせている
「こんばんは、ボロ屋は定員オーバー状態なのであのバンに回っていただければ…」
彼は駐車場の端の寂れた畑の前に止まる、その巨大なバンを指さしてそう言った。その悲痛な彼の声の響きから、まるで、いざこれから戦地に向かう我々を見届けるような、そんな同情に満ちた何かが確かにあった
「いや、でも隣の彼が今さっき中を見に行ってくれたのですが、三つほど、ベッドの空きがあったのでバンで寝るのは一人です
「それはそれは、ベッドが空いてましたか!!それはそれは」彼は続けて、
「わたしは今の今まで寝ていたのですが、先輩方が誰か夜中に来ることを見越して、平屋のベッドからバンに移ってくれたかもしれません!!」
「いや、それは有り難いです…明日お礼を直接言わねばなりませんね…ただ、我々四人の中から一人、バンで寝る人間を出さねばなりませんね」
私は後部座席をゆっくりと振り返った、そこには相変わらずPCに噛み付く男と、口を開けて寝る女がドアに身を預けて、ただ、寝ているのみであった。唯一助手席に座る田中は、俺が行こうか?というような目配せを私にしたが、それをドア越しのジャージが先に制して、満を持してこう言った
「分かりました。私がバンで寝ます。あなた方はまだここの寒さもあまり知らないでしょうし、バンで寝れば勿論こと、ご存知の通り、明日の講習にも響きますしね」
このときの私は知っていた。ここの文化に染まった人間が「バンで寝た」という事実を後日、まるで英雄譚のように他方に語り聞かせることを…
「いや、いやいや、それはあなたに申し訳がありません。私が明日講習を受けないので、私がバン寝します」
わたしは敢えて、バン寝を強調して言った
「あくまでも、無理はなさらないでくださいね、どうしてもということであれば私に一声かけて下さい」
「いや、本当に助かります」
私はそう言って軽くお辞儀をして、窓を閉めた
それから田中が口を開いた
「すけぇ、どうする?誰がバンで寝る?マポォはもう寝てるかムリやし、もともとこいつはベッド確定や。」
私はバン寝をしたくなかった。それはバンでの寝心地や寒さを気にしてのことでは無かった。寧ろそんなことではなく、バンで寝るということ、私から言わせてもらえば屁でもないような事柄に対して、自己犠牲に酔った英雄気取りをしている人が好きになれなかったからである。
突然、ナガクラがノートPCを丁寧に畳み、鞄にしまってから、席を立った。
「一旦トイレいってくるわ」
彼はこういった面倒ごとを、極端に嫌うたちだった。後のことは我々に任せて、自分がトイレに行ってる間に何とか上手いこと頼む、という彼なりのアピールかもしれない。
「明日すけぇは講習無いし、皆しっかり睡眠取りたいだろうから、バンで寝てもらってええ?」
私も田中のその意見には賛成だった。運転手として来ただけの講習のない私が、バン寝する。他の連中が明日のハングライダー講習の為に体力を温存する。合理的である。田中の清々しい、キッパリとした物言いには異論の余地は無かった
さてさて、私がバンに移ろうという流れになってから田中が思い出したかのように言った
「そういや、ナガクラは?さっきトイレ行ったきり帰ってこんけど、もうあいつ寝たんちゃうか?」
わたしは、その時になって彼の、ナガクラの真意を理解した。やられた。これが、ナガクラの正義。面倒ごとは自分が背負ってしまえばいい。それが彼のやり方だった
「わたしはバンに行く必要はどうやらないようだね」とわたしは言ってから田中も
「あいつぁ」
とにこりと笑い、後ろの寝てる女を引きずって我々三人は平屋のベッドに向かった
ピザ屋との文通
拝啓 帰宅すると、わたしは胸が痛くなります。新聞受けの奥に刺さった、クシャクシャの貴方方のチラシを見ると。ここまで、わたしが熱烈なオファーを頂いているのに、それに応えない、ピザに冷ややかな人と思っておられませんか?わたしは新聞は取ってませんので、完全なるピザチラシ受けです。朝ピザ、夜ピザ、カモンカモンです。思えば私は常にピザを欲して、生きてきました。幼少期、パーカーのフードを裏っかえしにすると彼女募集中というのが流行りました。ご存知でないですか、ね?私はよく友人にふざけてフードを裏向きにされましたが、それを私は極端に嫌いました。別に、私は彼女を公に募集するのが恥ずかしかったのではなく、そもそも、女というものにその頃微塵の興味も芽生えてなかった頃です。結論から申し上げますと、一つの可能性、そう。わたしのフードにピザを誰かが入れてくれる可能性が亡くなると、当時の私は考えていました。それは冗談ですが、私はマンション住みなので、五階までエレベータに乗るのですが、時折、ほんの稀にです、ピザ屋のお兄さんと鉢合わせることがあるんです。あの香り、食欲を一気に覚醒させるあの香りが、あの空間を一瞬で支配するんです。私の背後には、ピザを持ったお兄さん。あぁその、片手にちょんと行儀よく乗った貴方のそれを、私のフードに
とりあえず、もう、気が済んだので、わたしは寝ます。
山本