しあわせ

結局は、メーカーに就職するにしろ、博士課程に進むにしろ、料理人になるにしろ、漁師になるにしろ、起業するにも、異国に放浪の旅にでるのでも、blogで金を稼ぐことでも、幸せになればいい。


僕が幸せを感じるのは「自分自身の成長を実感できるとき」というのが最近の見解である。幸せという言葉はメルヘンチックなお伽話の世界に描かれるような意味を彷彿させるかもしれないが、僕は真面目に、真顔で、幸せという言葉を使っている。


ただ、幸せを実感するのは簡単ではない。この実感というのが癖もので、実感できるレベルに成長それ自体が大きくなくてはならない。成長速度が十分大きい、と言葉を変えた方がいいかもしれない


最近、私の彼女が筋トレをやっていると報告してくる。今日も嬉しそうな顔で「腹筋ローラーを使ったら次の日割れるからね!わかるの!」と言っていた。その顔はなんだか生き生きしていたような。


私も彼女につられるように先週ぐらいまで、こっそり筋トレをしていた


続かない


実感が伴わない。きっと、この腹の下の繊維が徐々に徐々に強固になってはいるのだろう。という気はしないでもない


そんな訳で、一度に押し寄せる実感はある程度の重量感を伴う必要があるのかもしれない


何日か前の記事、何故私が研究を積極的にやっているのか?知見を増やしたり、今迄避けてきたこと(電子工作など)に挑戦したり…それにより、ある程度の自身の成長を伴った結果、幸せを感じ取れたというのも、また一つの考え方なのかもしれない


ただ、これを書いていて思った。結婚は?確かに自身の成長を感じる場面も多いかもしれないが、なんか上手く説明出来そうにない。


生物学的なお話なのかもね。(てきとう)


僕の書いた「幸せ」とは、これまた、ただの満足だろうか?