2021 12 28

実績のある式と記憶を別のことに適用すること。

 

これそのものが思い込みや不幸につながることはあるものの、これを不用意に恐れる態度を取る必要は一切ない。必要なことは、このアナロジー的なものを使う危うさを常に前提としておくことだ。

 

危うさを前提にすれば、この実績ある経験が崩さった場合にも、世間は理不尽だ!という暴言を吐かずとも済むはずだ。

暴言を吐いた時点(キレる)で、私はそれに反応しており、しかも反論の余地の無い反応が暴言として現れるとすると、それは不幸なことだ。(不幸なことを定義するということに取立てて意味はないように思う。)

 

私が前提にしていることの多くは完全なものだ。完璧な球体だ。凹凸は無く均質だ。そこには危険はない。危険があるとすれば完全なものを想定してる前提思考そのものだろう。