せいしんさんぽ

僕はたまに不可解な、摩訶不思議な気分に襲われるときがある。何というか、自分の精神の肉体の結び付きが妙に弱いように感ずるときだ。そのときは、僕はラーメン屋の看板に精神を寄せることができるし、FA宣言をした僕の精神はもはや、出来ぬことなど。ない。この精神のお散歩は、したがって僕の趣味である。しかしながら、ある意味、唐突に「襲われる」ので自分での制御は一切できない。自発的に、この趣味に享楽することは叶わない。

 

就活か何かの面接で趣味を尋ねられれば「せいしんさんぽです!」と、胸を張って、私は勿論答えるはずもなく。

 

ちょっとその場で、きみ、その「せいしんさんぽ」とやらをやってみてくれ

 

と中年の海外経験ありの技術出の人事が私に注文を一度すれば、

 

 すみません…あの、せいしんさんぽはそんないつでも頻繁に出来るものじゃぁないんですよ…

 

と答えざるを得なく、そんなものは超感覚的なもので、理性的な事柄とは一線を画した判断をされてしまうかもしれない。いやでも、その人事が、

 

どうぞ、山本さん。あなたが「せいしんさんぽ」をするまで、待ちますよ。待ちます。見てみたいんです。

 

いやいやいや、「せいしんさんぽ」はこんな狭苦しいつめたい白色光の空間に居ては、多分無理です。

 

いいでしょう。わかりまひた。山本さん。この部屋を出て構いません。一向に。どうか、見せてくださいまし、あなたのせいしんさんぽを。ここからは、もはや、私の好奇心です

 

そのときぼくは、この人はぼくに向かって、せいしんさんぽに来てくれたと感じるのだろう