仏に内緒で、ケンタッキーにいるのはわたしである。

18:47分

ケンタッキーにいるのはわたしである。

 

こういう言い方をするに、現在、ケンタッキー店舗にはわたし以外の人間は一切存在しないという、そういう感じを受けなくもない。そうすると店内が暗闇に包まれ、カーネルサンダースの笑みが不気味に浮かび上がる。

実は書き出しの、ケンタッキーにいるのはわたしである、という三省堂の中学教材の例に扱われそうな平易な文は、ここには、もう少しばかりお化粧をこしらえる必要があるわけだ。

何故、わざわざそんな馬鹿げたことを若い貴重なたいむいずまねーでプレシャスdeゴージャスなタイムを浪費して書き、しかも無残にネットの海にザバザバそれを垂れ流し、多くの、時間という名の第一か第二か第三のそこいらの恋人を大切にする方々から多少なりとも、それを取り上げる始末であるから。それ相当の高尚な理由がなければならないと思うのは、かなり真っ当な意見である。

ただ、わたしにはツラツラとここに説法のような理由を述べている時間がない。18:51....すでにipadにタイプし始めてから時間は勿論、止まることなく足早に流れる。

 

妻には何も言わずに、ケンタッキーにいるのはわたしである。

 

これでとりあえずはケンタッキーにわたし以外の人間の生命の息吹が吹き込めるかもしれぬ。ははは。この文言を挿入した途端、気づけばわたしの横の四人掛けは歯が皆無の老人に占領されているし、そのさらに奥の窓際には疲れきったリーマンが残業規制の余波というかをもろ食らってメロンソーダ片手に泣く泣くgyoumuに取り組んでいる。いや、しかし、彼等も今晩はケンタッキー行くんで夕飯いりませんとか、そんな報告をするのは不自然である気もするし、おまけにリーマンは恐らくはメロンソーダしか注文していない。横の夕刊広げる老人なんか、そもそも、もう独り身かもしれないと思うと、この文言は一意でなく不正確な感じがしてをまたしても修正、いやお化粧せねばなんように感じたのだった。

しかも、このお化粧のままでは、まるでわたしのお嫁さんが恐ろしいもの以外の何者でもなく、わたしの一人の時間とやらを乗っとる侵略者にも、最悪、最悪の場合聞こうるわけである。寛大な妻は勿論そんな悪党でも何でもなく、わたしが全人類の中でも最も信仰する人間の一人だし、唯一、欠点という欠点を強いて挙げるならば、彼女は家中の至る所で、7年間土の中を耐え抜き日の目を浴びたセミの真似をしてしまうのである。コートやパジャマやズボンが廊下、リビング、台所、ありとあらゆる場所にすっぽり、美しいまでに、その抜け殻だけが虚しく転がっているのである。

ということで、今回の悪党は、この場合、わたしのみであるから、冒頭の文句に登場する妻には最大限の敬意と皿洗いもろくにせず一人でこそこそケンタッキーなぞで浪費し申し訳ないという後ろめたいわたしの勝手な妄想を込めて、このブログのタイトルで妻に煌びやかなお化粧を施し、現場報告としよう。19:03